1963-05-28 第43回国会 参議院 建設委員会 第18号
そうして東京都の将来のあり方がどういうふうになるか、したがってまた、現在のような困難の状態に対しましては、都心のあり方、副都心のあり方、また民衆施設のあり方というものは、どういうふうな形で東京都の再開発をしているかという問題をかみ合わせまして、いろいろ検討しますと、現在は確かに道路はない、ないけれども、その将来の姿において道路は作らなければならない。
そうして東京都の将来のあり方がどういうふうになるか、したがってまた、現在のような困難の状態に対しましては、都心のあり方、副都心のあり方、また民衆施設のあり方というものは、どういうふうな形で東京都の再開発をしているかという問題をかみ合わせまして、いろいろ検討しますと、現在は確かに道路はない、ないけれども、その将来の姿において道路は作らなければならない。
池袋駅舎の問題について申し上げますならば、第二十四国会参議院運輸委員会において、大倉精一議員が池袋駅舎の問題旭に対し質問をしたに対しまして、国鉄の佐藤施設局長の答弁の中に「今民衆駅を作りつつありますが、一階には何も民衆施設はございません。普通の駅と全然同じでございまして、民衆施設は二階以上のただ空問を利用するというだけでございます。」
設立の準備が進められまして、ホテルというのは下品なホテルになってもいけないから、やめた方がいいじゃないかというような関係者の意見もございまして、本格的には二十八年の二月に会社が設立されたわけでありまするが、そのときの内容には、売店、食堂、デパートという内容になっておりまして、申しおくれましたが、その前、二十七年の七月に一応、池袋交通会館創立事務所発起人代表という相手方に対して、東口駅舎のそういう民衆施設
なお、お断わりしておきますが、今民衆駅を作りつつありますが、一階には何も民衆施設はございません。普通の駅と全然同じでございまして、民衆施設は二階以上のただ空間を利用するというだけでございます。
これは賃貸料という名目で取つておりますが、実際は福井駅の民衆施設の共同管理の費用及び共通負担の費用でございましてその額は、年額約六百十五万円でございますが、その一部に該当しているわけでございまして、特に搾取というような言葉で表現することは適当でないと思うのでございます。
最後の全額国鉄の資本によつて建てられた駅舎である京都駅を見たのでありますが、同駅の民衆施設は、その母体として京都駅観光デパートが作られ、店舗の設備を業者の寄附によつてされたという特質があります。出店者は株式会社観光デパートほか三十八名の者からなつておつて、京都における名産、名物が殆んど並べられておるということであります。
建物は二階建鉄筋コンクリートの本屋を建てたのでありますが、二十八年の三月に竣功し、その二階が民衆施設に利用されておるのであります。その内容は売店及び喫茶店を出すのに市民中から出店希望者を募つたのでありますが、その希望者がなかつたために、最後は鉄道弘済会と交渉をして、それが直営事業として経営されることに相成つたのであります。
建物は鉄筋コンクリート建の三層で、民衆施設部分は二階の食堂、売店等と三階の物産陳列場であります。国鉄専用部分が千百十五、五平米、民衆施設部分が二千百三十九・七平米、共用及び公衆施設部分が千二百七十四・二平米の割合であります。 第一期工事が二十六年十二月着工、で二十七年十月竣功、第二期工事が二十七年十一月着工で、二十八年十月竣功でありまして、竣功と同時に国鉄の所有となつたのであります。
ただ一時使用にそれがきまりましてから後で、日は覚えありません、内灘村長並びにあすこの副議長であつたかと思いますが、連れだつて林屋さんのところへ民衆施設の五百万円か何かについてお願いに参りましたときに、林屋さんからは、西田さん内灘のほうは直ぐ鎮まつたのじやないかどうか、是非とも河北潟の干拓は、若しか内灘が永久使用ということになれば、この機会においてはあの干拓はやる気がないのじやないかどうか、どうかその