1959-10-22 第32回国会 参議院 決算委員会 閉会後第3号
さっきいろいろ問題が出ましたけれども、大体福祉大会だとか民生委員大会だとかいろいろなものが、私どもが勘定しただけでも十以上あるのです。それは大体済んでからまた地方でするか、あるいは地方へ持ってきてから全国の催しをここでするか重複している。東京でするときにだれが来るかというと、毎年来る人はきまっているのです、おざなりで。
さっきいろいろ問題が出ましたけれども、大体福祉大会だとか民生委員大会だとかいろいろなものが、私どもが勘定しただけでも十以上あるのです。それは大体済んでからまた地方でするか、あるいは地方へ持ってきてから全国の催しをここでするか重複している。東京でするときにだれが来るかというと、毎年来る人はきまっているのです、おざなりで。
私は過去六年議会で厚生委員をやつて参りましたが、全国の民生委員大会が年ごとに開かれるたびに、その都度政府に非常に反省を求めて参つたのでございますが、政府においては何ら積極的な手を打たれない。しかも民生委員法の一部改正法をお出しになつても、枝葉末節であつて、私は本旨に少しも触れてもらえないということを残念に思います。
○堤(ツ)委員 社会局長に少しお尋ねいたしますが、今年もまたわれわれの手元に婦人民生委員大会の案内が来ておるわけでございます。聞くところによりますれば、婦人民生委員の数がだんだん減りつつあるということでありますが、二十五、二十六年あたりの婦人民生委員のトータルがございましたらお知らせ願いたい。
年々行われる婦人週間、母の日などの世論調査は、必ず母子世帯を救うべきであると強く叫ばれ、また全国的未亡人大会や社会福祉大会、児童福祉大会、民生委員大会などでも、必ず母子福祉法実現方を決議して参りました。しかるに与論を無視して法的保護がなされなかつたことは、政治の貧困以外の何ものでもありません。
十月の十三日から三日間、鹿児島で全国民生委員大会が中央社会福祉協議会の主催で開かれることになつておりますが、今までにもこの大会には委員を派遣しておるわけですが、今回は如何いたしましようか。特に今回は民生委員法の改正がこの会議の議題の主なるものになるだろう。こういう点から特に今回の民生委員大会は重要である、こう思いますので、派遣することに対して御意見を伺いたいと思います。
その場合の協力方式等につきましては、過般の全国民生委員大会等においても研究されておるわけでございますが、逐次そういつた結論を明らかにいたしまして、これに従つてはつきりやつて行くようにいたしたい、かように考えております。
衆議院の方でもその点の修正等につきまして関係方面といろいろな折衝をいたしておるような次第でございまして、こちらの方も若干の修正をしようという意見もありますが、毎年衆参両院の厚生委員長並びに厚生委員の若干名が代表いたしまして、この民生委員大会に参列いたしますのが恒例になつております。
○石原幹市郎君 来たる二十二、二十三、二十四日に金沢で全国民生委員大会が行われるということを聞いておるのですけれども、丁度国会においても生活保護法の審議中で参りまするし、広く各方面の意見を聴くという丁度いい機会で心ありますから、この際参議院厚生委員会からもこの会議に議員を派遣したらどうか、こういうふうに考えますので一応動議として提出いたします。
さて、私の言わんとするところのものは、すでに二、三年前よりその兆を見まして、厚生省初め、全民連、昨年は広島市の第四回の民生委員大会において、その他中央、地方を通じての大問題、大焦点でありまして、正に両法案の最高峰であると思います。すでに三月六日におきましては、民生委員側の代表が、衆参両院厚生委員の方々に対しまして、国会にこれを反映せしむるように、陳情済みであります。
民生委員大会の決議ではございませんから、その点ははつきりしておきたいと思います。 なお本件につきましては、民生委員制度そのものについての根幹に関係があるものというふうな誤解が一部にございまして、これによりまして相当の反対があつたようでございます。これはその点が誤解であつたことが明らかになりまして、その点につきましては、割合に皆さんが理解いたしてくださつておるようであります。
又この問題につきましては、先般全國民生委員大会が北海道札幌で開催されました席上での、相当論議になつたということでありますが、これはその通牒をお出しになりました結果、又その通牒の出し方が、何か一、二回文章を変更されたりなんかあつたということでありますが、新聞の記事でありまして本員はよく存じません。
今度の民生委員大会は、民生委員制度の振興方策に関する件というのが第一部会で、更にこれが五つの委員会に別れて小委員会を設けて審議をいたしておりました。それから生活保護の徹底と適正に関する問題を第二部会で六つの小委員会を設けてそれぞれ重要な問題を分割審議いたしておりました。
或は又その後、四月、五月の食糧欠配の当時で、宮城前でそういつた大会があつたり、民生委員大会で食糧輸入懇請の大会があつたりしましたが、そういつたときも、今晩の飯がないということで、私のところに來られて、是非何とかして呉れというような話で、一緒に食糧営団に交渉に行つたことがありますが、別に威迫的な言動を示されたことは、私自身として、これは主観的な問題でありますが、そう感じてはおりません。