2004-11-11 第161回国会 衆議院 憲法調査会公聴会 第1号
我々は、北東アジアの島々に歴代相受け、天皇制のもとに、独自の文化と固有の民族生活を形成してきた。我々は、主権在民の上に、自由、民主、人権、平和の尊重を基本に、国の体制を堅持し、教育や文化の重要性を強調し、国際平和と世界文化の創成に積極的に寄与する。そして、大日本帝国憲法及び日本国憲法の果たした歴史的意義を想起しつつ、新時代の日本のためにこの憲法を制定する趣旨を盛るべきである。
我々は、北東アジアの島々に歴代相受け、天皇制のもとに、独自の文化と固有の民族生活を形成してきた。我々は、主権在民の上に、自由、民主、人権、平和の尊重を基本に、国の体制を堅持し、教育や文化の重要性を強調し、国際平和と世界文化の創成に積極的に寄与する。そして、大日本帝国憲法及び日本国憲法の果たした歴史的意義を想起しつつ、新時代の日本のためにこの憲法を制定する趣旨を盛るべきである。
これは人間がやることでありますから過ちが起こるのは当然でございますが、それらを全部踏まえまして、日本がどういう姿で今後長期的にいくのが正しいかという根本的理念や、わが国家、民族、生活の体質を分析しながら、その基本的な軌道を外さないように弊害をためていくというのが正しい考え方ではないかと思うのであります。
しかし、そういう人柱に石炭をしてはならぬので、石炭のそのバイタリティーの火を消してはならぬ、これは民族生活上大事な一つのともしびであり、たいまつである、そういう観念に立って第五次答申もできておると思いますし、第五次答申の次においても、私たちはそういう基本的観念に立って石炭を守っていかなければならぬ、そう思います。
あるいは機械産業に幾らかの貢献をしておるんだ、あるいはオリンピックに貢献しておるんだというように、逆算的に競輪の非常なギャンブル性あるいは社会風教に与えておる非常な悪影響というものを正当化するような答弁がなされておるように思うのでありますが、そういう点についてしっかりした一つの——この法案をあらためて出すというからには、現在の社会環境をどう見ておるか、この影響をどういうふうに見ておるか、それから民族生活
この親の場合にも、学問的には、民族生活というものと関係いたしまして、日本のような農耕文化圏においてはその親が母親であるという形をとるのが一般的であります。ところが、牧畜文化圏においては、その親が父親の形をとる。キリスト教などがその場合に当りまして、天にましますわれらの父よと呼びかける。ところが、アジア大陸の大部分の宗教における神様は母親である。そういう民族的な違いが現われております。
戦争が今後起らぬと言えないことはございませんけれども、もっとのっぴきならぬ突き詰めた情勢のもとに、いろいろな変化が起るものと思いますから、そこまであまり強く考えないで、ただ私ども国民は、英霊を粗末にする——ほんとに私はどこかの物置きみたいなところに安置されておるのではないか、よく知りませんけれども、そういう懸念を持ちますると、こういう気持で今日の民族生活をやっていけるものかどうかということで、憤りを
だから、憲法が民族生活のために悪い、早く言えばこういうのが私の考え方であります。それが第一点。 前の軍隊と同じであるかどうかということは、これはあり得ません。全然違うと思います。服を着たとか、靴をはいたとか、或いは幕僚がいるとか、いないとかということについては同じでありますが、性格は全く一変したものになる。
けれども忘れてはならないことは、われわれ民族生活の将来ということを考えることが、今日の一番重要な問題だということなのです。それを軽んじておられるということを私は指摘しておる。その点についてもう一つ私は言いたいことがある。
今日の林野行政の行き詰まりは、日本国土の関係と森林分布の関係においてこれが荒廃するならば、日本民族生活の上に重大な影響があるということから、国家経論の上に予算の獲得でも、法律の施行でも制定でもやられなければならないという点です。つまり全体の政治の面から見るならば、森林行政というか林野行政というか、いわゆる森林政策というものが軽視されているということを私は言つておるのです。
これは民族産業、民族生活を守る上に、非常に重大な問題だと思う。こういう点に対して大臣は、やはりこれも一つの自由主義の国際競争に日本が負けておるのであるから、これはしかたがないということで、放任される意思であるかどうかをひとつ承りたい。
だからそれによつて必ず絶滅を期せられるとは考えられませんが、併し国民生活として、民族生活として、そういうものは否定するものだというあり方の下に行われている。たまたまその法を犯してそうした行為をなされるものがあるといたしますれば、それは法秩序を紊す一つの異分子であるという考え方でよいのじやないかと存じます。
そこで、私は、天皇制というものは、要するに、日本民族にとつては、家族制度的な性格を民族生活の上に実現しようという民族理想の上に天皇制が立つておる。従つてこの天皇制の確立のために、日本民族が三千年の歴史を費した。その三千年の歴史が、一度の敗戦によつて根本からくつがえされるということが、はたして現代の昭和の民のとるべき態度であろうか、私はそう思いません。
民族生活が成り立つておる。だからして国は造林費を半額補助することになつている。しかしせつかく国が助成しても、この緑化しようという目的以外に運賃を払わなければならぬことになつたならば、一体森林の保全ができるかどうか。公共性なんてあまり高度に認めるものではない、鉄道の経営の方が大事だと言われるが、国家の前途とどちらが大事か、私はこれについて運輸大臣の御意見をお聞きしたいと思います。
民族生活はその森林によつて営まれておるのです。国家経綸の上から見て、大臣はこういうことを考えなければならない。なるほど大貨物だからこれらのサービスの中には入れなかつたというならば、一方農林省の政策の造林助成は一体どうなるか、同じ閣僚であられるのですから、国をどうするかということを考えてもらいたいと思う。
○衆議院議員(長野長廣君) 只今申上げましたように自分の郷土は、即ち自分の民族生活の根基であり、自分の国から、社会からいいましても、自分の郷士は一番近接したものでございます。そこに感激あり、そこに努力をすることが、本当の私は具体的な努力だと思います。自分の郷土をかくしなければならん。国家のためにどうする、社会のためにどうするということを言うと、あなたのおつしやるような抽象論になるのであります。
私はこの点委員長がお考えになることは全く杞憂に属しまして、競馬をやろうが、或いは競輪がこのまま廃止をされなくて継続をされて参りましても、日本民族の良識というものは、必ずこれは進むべきよき途を選んで進み、一方に邪惡はありながら、又他方において日本の民族生活はますます今後よきほうに向つて発展をする、かようなことを信じて疑いません。
○小澤國務大臣 通信事業の持つ役割がきわめて公共性を帶びておつて、しかもわれわれ文化國家を建設せんとする、いわゆる新日本再建の現在の民族生活に、緊切なる影響のあるという点は、お話の通りであります。從つて通信事業が今後ますます強化拡大といいましようか、強力に行われまして、その事業の復興あるいは復旧が、よりよき速度において展開されることが望ましいのであります。
われわれは三千年の古い歴史の上に立ち、その時代々々によつて、やむにやまれぬ民族生活の変遷とともに、この用語も自然にある流れをもつて変つていくのです。
政府があんなばかな法律さえつくらなければ、おれたちはあれほどひどい目に遭わないのだ、こう言うと思うのですが、日本は敗けたのだからしようがないけれども、ちようど日本が樺太や琉球を見るような気持になつて、大きな都市は始終朝起き夜寝る間も、これを鼻の先で見せられたら、これは深刻な民族生活のひびがはいるだろうと思います。これに対して一向配慮が注がれていない。
(拍手)責任者が政治的の責任を負わされただけでは、失われたる民族生活は回復しないのでありまして、私どもが憂心まことに断ちがたいものは、この点にあるのであります。
すなわち京都府の歴史及び地理より考察いたしますと、京都市は昔山城國葛野郡の一村落でありましたものが、都を奈良より移されるにあたり帝都と定められ、以來千有餘年の間、山城、丹波、丹後等とともに日本の最も古くより開けた地方として、大和民族の中心地をなし、帝都たる京都と、これらの地方との交渉も繁く、相ともに發展し、相ともに民族生活を營んできた一團の地域でありまして、殊に明治維新後八十年の間まとまつた自治體として