1980-11-13 第93回国会 参議院 外務委員会 第4号
ベルリンでビスマルクに心酔していたウィルヘルム一世に言われて、ドイツではとにかく社会民主党というのがあって、軍事費の問題を国会に出すとみんな削減されてしまうので全くてこずっていた、これができないような工夫をしなければいけないということを言われて、国家学も政治学も国際法に対する関心も、イギリス憲法に対する比較研究もしていない伊藤が、伊藤巳代治さんのような茶坊主相手につくり上げた明治憲法によって、日本の民族エネルギー
ベルリンでビスマルクに心酔していたウィルヘルム一世に言われて、ドイツではとにかく社会民主党というのがあって、軍事費の問題を国会に出すとみんな削減されてしまうので全くてこずっていた、これができないような工夫をしなければいけないということを言われて、国家学も政治学も国際法に対する関心も、イギリス憲法に対する比較研究もしていない伊藤が、伊藤巳代治さんのような茶坊主相手につくり上げた明治憲法によって、日本の民族エネルギー
日本の民族エネルギーがどういう形において資源のない国において世界の脅威となっているかということを見守っているんでして、私はもっと大所高所から、のたうちながら本物に日本の進路を見出す、このところで自分は立ち往生してもがんとして一歩も引かないというだけの見識ある政治家が、この機会にこそ、哲学は苦悩の中からの産物です。いかにカントやへ−ゲルやブハーリンを学んだってへのかっぱです、そんなものは。
もう戦争や暴力革命を過大評価したり、それに幻想をまき散らすのは古いタイプの政治家であって、そんな形の冒険政策を行なえばその国自身が滅びていかざるを得ないんだと思うんですが、そういう点からも、この転換期においてもう少し日本は、原料はない、しかも島国である、しかしこのエネルギーの源泉として民族エネルギーがある。この労働力を高度化して、この技術を高めて、そうして製品を外国へ送り出す。
しかしながら、一億の民族エネルギーが教育の力によってもっと質を向上させ、生活の安定によってまた変な教育ママが血眼にならなくてもよいような、金がかかるのは教育と政治だといわれるような、教育の場と政治の場を荒廃させさえしなければ、日本の国は資源が少ないからといって何も驚くことはない。
第三には、この電力事業というものかすでに各界各層から指摘されましたように、日本民族の共同の財産であつて、一産業の利益、一資本の利益に偏重すべきものでないのみか、ただ一つの国際的に有利なる民族エネルギーの根源でありますから、それらのことを勘案いたしますと、日本における電力事業というものは、他の諸外国と比較にならぬくらい、国民的あるいは民族的あるいは公共的、社会的性格を名実ともに明確にして運営しなければならぬ
これでは日本の民族Y業、民族エネルギーの根源である電気事業に対して私は相済まぬ気も多少いたすのでございます。大体そういうふうになつたことは電気事業の経営者自身が電気事業の公益性に対して自覚されると少くて、そうしてせつかく一つになつて社会化すなわち国民大衆の利益の道を進んでいたのを一歩後退されたから、今日のような矛盾が一層しわ寄せが来たという点もある。
その条件は、産業界の赤十字ともいうべき重要な民族エネルギー源を担当しておる産業においては、もはやわくの限界と矛盾の絶頂に来ておる。