2001-03-02 第151回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号
御指摘のように、確かに、朝鮮総連という名称になって以降、現在までのところ暴力主義的破壊活動を行ったと認め得る事象はないわけでありますけれども、今申しましたように、そういった活動を行った疑いがあるいわゆる民戦という団体、これを前身としておりまして、現在もなお暴力主義的な闘争を肯定的に評価しているということがありますし、また、北朝鮮それ自体が、ラングーン爆弾テロ事件とか大韓航空機爆破事件など国際テロ事件
御指摘のように、確かに、朝鮮総連という名称になって以降、現在までのところ暴力主義的破壊活動を行ったと認め得る事象はないわけでありますけれども、今申しましたように、そういった活動を行った疑いがあるいわゆる民戦という団体、これを前身としておりまして、現在もなお暴力主義的な闘争を肯定的に評価しているということがありますし、また、北朝鮮それ自体が、ラングーン爆弾テロ事件とか大韓航空機爆破事件など国際テロ事件
そして、公安調査庁は、朝鮮総連が破壊活動をする団体ということで、その朝鮮総連になる前の、民戦ということで破壊活動をやったということ、それと拉致問題などを挙げてそういう団体と規定しているわけなんですが、五十年以上も前の問題で、どうして朝鮮総連が破防法の二十七条に基づいて調査する団体なのかよくわかりませんので、もう一度説明をしてください。
総連の結成でございますが、昭和三十年の五月に行われておりますが、その前身に民戦というものがございます。これは昭和二十六年一月九日に結成されておりますけれども、その結成に至る前の準備会というのが昭和二十五年の五月ごろからございまして、ちょうど昭和二十五年の六月の二十五日に朝鮮戦争が勃発いたしました。
朝鮮総連の前身の民戦は、昭和二十七年ごろ、皇居前メーデー事件、吹田騒擾事件、大須騒擾事件等に参加した。昭和三十年から現在まで、民団との間でいろいろな問題をめぐり抗争事件を起こして多数の検挙者を出している。さらに、北朝鮮は従来から我が国に秘密工作員等を密入国させており、朝鮮総連関係者がこれに関与しているというたくさんの事例がございます。
○古賀政府委員 朝鮮総連は、先ほどから委員仰せのとおり、北朝鮮と極めて密接な関係があるということ、それから結成の経緯、つまり過去において暴力主義的破壊活動を惹起いたしました民戦を前身としておるというようなもろもろの事情にかんがみまして、治安情勢のいかんによっては今後再び暴力主義的破壊活動に出る危険性なしとしないという意味で、治安上重要な注目を要する団体であるというふうに考えております。
朝鮮総連の前身であります在日朝鮮統一民主戦線、いわゆる民戦は、昭和二十七年ごろ、皇居前メーデー事件あるいは吹田騒擾事件あるいは大須騒擾事件などに参加しております。それからまた、昭和三十年から現在まで、民団との間でいろいろな問題をめぐりまして抗争事件を起こしまして、多数の検挙者を出しております。
なぜ調査をするのかということについてでございますが、朝鮮総連は過去において暴力主義的破壊活動を行った在日朝鮮統一民主戦線、これは略称を民戦と呼ばれておりますが、この民戦を前身とする団体であり、今後の治安情勢いかんによっては将来同種の行動に出る危険性なしとしないという意味で、危険性があるという答弁になったわけでございまして、単純に危険だと申し上げた点については、抽象的過ぎて誤解を生みかねないと思いますので
三十年ごろの綱領を比較してみますと、民戦のほうは日本帝国主義という文字が出てくる。あるいは日本軍国主義という文字が出てくる。それから総連のほうは、その趣旨たるところは日本の革命、民主化のための活動は朝鮮人がやることは誤りであるという立場に立っておる。そしてもっぱら日本の内政に干渉すべきではないという立場に立って、それから民族教育、朝鮮人の権利擁護、自主統一という立場に立っておる。
○川井政府委員 破防法の面からいいますと、団体の同一性があるかないかということがまず問題になると思いますが、私どもの判断の基礎といたしましては昭和三十年に民戦が発展的解消を遂げて現在の総連になったということ。その当時のいきさつ、民戦が総連になった日時それから会合に参加いたしました代議員の方々の構成、そういうふうなもの。
○横山委員 民戦と総連の違いについては、あなたも特に選ばれて長官におなりになったのですから、国会で議論になるのは承知の上ですから、相違点についてよく御存じのはずであります。民戦の当時においてある意味においてそういう疑いがかかったという事件がないではありません。しかしもうとっくにあなたが御存じのように、そういうことがいけないということになって総連が発足をした。
その後民戦と称する団体は、昭和三十年の五月かと思いますが、全国の代議員の大会を開いて、一たん解散をいたしましたが、その代議員が、すぐそのまま現在の在日朝鮮人総連合会を結成し、団体構成員も、また財産も、そのまま承継いたしておりまして、同じ、発展的解消——同一性があるように存じております。
あるいは韓国の旗を振り、北鮮の旗を振ることによって、振っている幹部連中は国会のオブザーバーに一なったり、あるいは北鮮の民族戦線ですか、その民戦の議長団になったりするかもしれません。しかしそれが一体六十万在日朝鮮人とどういう関係があるか、何の意味もない。しかもそういう動きというのは何も在日朝鮮人全体の意思を代表するものではない。
○関政府委員 お話の通り、総連が民戦と、綱領のある部分において変革があったという点は、これは疑いないところであります。さりながら、しからば根本的なものが変ったかいなか、特に政治的変革の基本的な考え方が変ったかいなかというような問題になりますと、これは変らない。
○岡田委員 先ほどの朝鮮民戦から朝鮮総連に変って以降の話を聞いていると具体的な事例は今日はない、過去にそういう事例があったから今日朝鮮総連に対してそういう適用を与えるということになると、具体的な事例はないわけですね。そして第四条によって対象にするということになりますと、第二条に反して拡張解釈していると言われても仕方がないじゃないですか。
○関政府委員 今長官が申し上げた通りに、かつて日本共産党と共同して全国的の規模において内乱の正当性、必要性を主張し、暴力主義的破壊活動を展開した、その疑いを――これはいわゆる民戦と申しますか、それがやったであろう、とこう私どもは疑わざるを得ないのであります。調査の結果それ相当のエビデンスを持っている、そう疑わざるを得ない。これは二十六、七年のことであります。
○尹参考人 綱領とか規約を対照させて見ますと、よく違いの点が出てくるのでありますが、過去の民戦のとき朝鮮人運動の指導方針というのは、当時一番重要であったことは、日本における朝鮮人の生活を守ること、あるいはあの当時は特に朝鮮戦争中ですから、日本からどんどん飛行機が飛んで行く、こういう点にみんなの頭がしぼられていって、日本から朝鮮侵略の飛行機が飛んで行くことは、どうしてもとめなければいけないということでした
大体、この政治的なと申しておりますのは、その当時略称民戦と称しておりましたが、朝鮮人の非常に左翼的分子の団体でございますけれども、その当時共産党の非常な尖鋭的な闘争方針ともからみまして、これらの民戦の運動方針というものも非常に尖鋭化しておりまして各地におきまして非常に執拗な、ある場合にはすわり込み、またある場合には脅迫に類するような形で市町村の窓口に押しかけて参ったというような例が相当ございます。
それは率直に申し上げますと、先ほども申し上げましたように、日韓間の話に基きまして、ある者を仮放免いたすということの話が出ましたときに、当時俗に民戦と申しておりますが、朝鮮人のいわば左翼的な団体の外郭団体であると認められます解放救援会からその仮放免者の世話もするから引き渡してくれというお申し出があったのでございます。その当時それはお断り申し上げました。
実はこの問題につきましては、先般解散になりました旧民戦の兄弟のような団体でございましょうが、解放救援会という団体がございまして、この問題につきましてわれわれの方にいろいろ言ってこられた例もございます。
○内田政府委員 その反対運動の決議というようなことでは、すでに民団が反対の決議をいたしておりますし、そのほか、御承知のように従来の民戦は先般解消されましたが、もちろん左翼の方の急進分子によりましても、各地でそういう動きがないことはないようでございます。しかし現在のところ、非常にまじめな意味で中央において反対の決議をし、それを各地に流して反対運動をやらせるというような状況ではないようでございます。
この平和月間の行事も、表面上は党ないし平和擁護日本委員会主催のものはきわめて少く、大部分は各種の平和団体、民戦、総評その他一般市民団体によつて主催されており、八月十五日記念日前後の集会数は全国で三百以上を数え、その動員数も八万名をこえたといわれております。
これら北鮮系朝鮮人は、在日朝鮮統一民主戦線、民戦と略称される団体に結集しておるのであります。民戦は十数個の単一団体の結合体でありまして、いわゆる戦線体でありますが、その構成員は十六万余となつております。
これら北鮮系朝鮮人は在日朝鮮統一民主戦線、これを省略して民戦と申しますが、その民戦という公然団体に結集しております。民戦は十数個の単一団体が結合しておる結合体でありまして、いわゆる戦線体でありますが、その構成員は十六万余となつております。
外部においては民戦系諸団体が対収容者工作を執拗に推し進めており、面会、差入れ、通信等には厳重な警戒、検閲をなし、通謀防止に万遺漏なきを期しているそうであります。 最後に視察後における感想を申し上げます。
その反面においては、小瀧政務次官らが了承を与えて、例の神戸で起つた民戦議長の李浩然氏の乗船問題については、あつさりと許可を与えておる。たとえばこんな記事があるのであります。
その後今月の十一日の日本経済に、民戦側の記者会見の発表という記事で、入国管理局が李浩然君に対して、今言葉ははつきり覚えておりませんが、お話のような出入国許可証を発給して、これに基いて二十一日、スウェーデンの船で神戸から北鮮に向けて出国をするという発表をしたという記事が載つておつたのでございます。
多数の不特定な人をどうと言うのではないので、李浩然君という特定の個人、しかもこの李浩然君は在日朝鮮民戦の中央議長なんですから、普通の朝鮮人とは少し区別して考えていただきたい。これは朝鮮人民民主主義共和国が国際的な承認でも得て、そうして日本と国交が開かれるなら、こういう人は駐日大使にでもなるような人なんだ。実際そうなんだ。
そういたしますと、今月の十一日の日本経済に民戦の方で新聞発表をいたしまして李浩然君に正式に出入国許可証がおりたので、これによつて二十一日のスエーデンの汽船で北鮮に行くんだという記事が日本経済に出たわけであります。
こういうふうな問題が起つている際に、最近日本におりまする、ちよつと完全な名前は忘れましたが、朝鮮民戦という団体の議長をやつております李浩然君が中国を経由いたしまして北鮮に参りたい。日本におりますところの朝鮮人にしていろいろな技術技能を持つている人が日本で仕事もない。従つて何かおもしろくない仕事をしなければならぬ。こういうことでは本人にとつても困るし、ある意味においては日本にとつても困る。