1949-09-13 第5回国会 参議院 地方行政委員会 閉会後第9号
その後八月十五日に朝鮮の独立記念祭が小野田で行われまして、その際やはり双方の衝突がありまして、下関からトラツクに乘りまして小野田に向つておりました民團側に対しまして、朝連の方から襲撃をいたしまして、双方とも負傷者を出したという事件が八月十五日に起つております。
その後八月十五日に朝鮮の独立記念祭が小野田で行われまして、その際やはり双方の衝突がありまして、下関からトラツクに乘りまして小野田に向つておりました民團側に対しまして、朝連の方から襲撃をいたしまして、双方とも負傷者を出したという事件が八月十五日に起つております。
八月十五日以來の警察側の無責任にして奇怪なる態度は、ついに民團側の破壞的暴力行為を助長する結果として作用し、去る八月二十日の破壞的集團暴力行為となつた。
ただ下関事件におきまして、民團側にも不法行為があります。朝連側にも不法行為があります。さようでありまするから、両方とも不法行為は断固取締ると述べたのであります。ただ下関事件の最も大きな不法行為は、朝連側が加えたということを私は報告を受けておるのであります。事件の詳細は取調べが済みますれば明らかになるだろうと思います。それまでお待ちを願いたいと思います。
○齋藤説明員 まず大きな事件と申しまするのは、二十日の午後三時から五時ごろまでの間に、朝連側の約三百人の人たちが、民團側の事務所及び民團委員の家屋約二十戸を破壞いたしまして、そうして数名に傷害を與えたという事件であります。
○岡元義人君 次に伺いますが、大体民團側の者はあなたの隊は百八名ですか。