1991-09-25 第121回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第3号
その一つの点というのは、やはり中央の権限としての首都機能の問題でありまして、これは明治維新があって、明治憲法ができて、帝国議会ができて、そして仮議事堂で運営しながら本議事堂は昭和十一年になってやっとできて、そしてそれから戦争状態になって、帝国議会は第二次大戦の終了とともに閉鎖されて、そして同じ場所で今度は平和な民主憲法の中で民主国会をつくろうという努力がなされて今日に来たという思いがいたしますが、この
その一つの点というのは、やはり中央の権限としての首都機能の問題でありまして、これは明治維新があって、明治憲法ができて、帝国議会ができて、そして仮議事堂で運営しながら本議事堂は昭和十一年になってやっとできて、そしてそれから戦争状態になって、帝国議会は第二次大戦の終了とともに閉鎖されて、そして同じ場所で今度は平和な民主憲法の中で民主国会をつくろうという努力がなされて今日に来たという思いがいたしますが、この
すなわち、戦前の我が国の歴史は帝国議会の歴史であり、戦後の我が国の歴史は民主国会の歴史そのものであると申して過言でないと思います。 私は、この記念すべきときに当たり、憲政の発展のため尽くされました先人、先輩にはるかに思いをはせ、その御功績と御辛苦に心からの敬意を表しますとともに、議会制民主主義の確立を通して我が国国運の隆昌に寄与せんとする決意を新たにするものであります。
それが政府の民主国会におけるあるべき姿勢であろうというふうに思うわけであります。 今の御答弁では全然わかりません。竹下さん、アメリカに行って何か約束をしてくるつもりですか。私は第二の安保改定というくらいこれは重要視しているのです。そしてまた、来国会か何かに、あるいは来年じゅうか何かにこの地位協定の改定なんという大問題をまさか持ち出しはしないでしょうね。
したがって、民主国会であり議会中心の今日、大臣がここにくぎづけになってどうも行政指導する時間がないのだなんと言うことは、これはもってのほかだというふうに考えます。
ただ、先ほども申し上げましたように、どうも日本では政府なんかがいろいろなのを提案して、国会で御審議いただく案件は圧倒的に政府提案のものが多いという、これが民主国会のもとにおいていいか悪いかは別問題でございまして、政府は一生懸命に努めますと同時に、今度のようなありがたいことを議員さん方でやっていただけばなおありがたいと、こういうように存じておる次第でございます。
○大平国務大臣 立法府と行政府が民主国会におきまして、司法も含めまして、それぞれの立場を守りながら相互に牽制し、相互に協力しながら、緊張した関係において国政が運営されておることは御指摘のとおりでございます。
(拍手) 三九・五%の得票しか得られなかった自民党政府にとって、いまこそ、謙虚に野党の主張も聞き、その考えも取り入れた国会の論議と話し合いの政策実施をはかるとともに、民主政治の基本に照らして、今日ほどこの民主国会の場所におけるところの論議が要請されるときはないにもかかわらず、その道を避けて通らんとすれば、戦後三十年間積み上げてきた議会制民主主義は、もはや回復できない奈落の底に突き落とされるであろうことを
そうでなければ、民主国会そのものが成り立っていかない、真に私はそう思うわけでございます。 国民の道徳問題でございますが、これは戦後の教育ももうすでに足かけ三十年になっております。知育に関しては世界に類例のないほど高揚されておると評価されておりますが、徳育問題がなおざりにされておるというのは、これはもう外国ではなく、国民的課題になっておるのであります。
しかし、国民の素朴な観念から言うならば、民主国会という立場から言うならば、ああいうおりをつくらなければならないのか。それで、中で乱闘しておれば、動物園の動物に似ていると、こう酷評されるまであのさくは非難をされたものです。したがって、少なくとも国民の皆さんに伸び伸びとして入っていただく、参観をしていただくというような議事堂の開放の問題。あるいはまた、国会図書館の問題でもそうです。
日本の民主国会というのは、これは悠久なんですから。やっぱりそれはまじめに考えれば、お互いに話し合いは必ずできますよ。やりましょう、お互いに、ほんとうに。
女の人というものは軽く見て、男は能力があって女はないものだというような古い考え方で、国会運営をする事務局のほうがそういう考え方であるとすれば、これは民主国会の名にふさわしくない、私はそう思いますが、それはどうですか。現時点でそういう状態になっているのではありませんか。
ただ、私なりに感じますことは、その当時、率直に、解放された民主国会で国会法というものが論議された場合には、あくまでも国会至上主義的環境の中に当然議論され、そして私は、当時の法律解釈はそれなりには定着しておったんではないか。
これについてはぜひやるけれども、とにかく、あの収拾にあたって与野党一緒になって、行政や政府ペースでできないことをやったということが、私は非常に大きな七〇年代初頭の日本のこの民主国会の一つの大きな私は業績だと思う。そうしたものを今後お互いに国会でやるということのほうが、どうも意義があることのようだと思います。ひたすらそれを念願しておるわけでございます。
(拍手)民主国会をかかる仮死状態に追い込んだその責任の一半は、中立、公正で規則を重んじなければならない議長の責任であると断ぜざるを得ません。民主主義は、その本質、内容、真理が重要であると同時に、そのプロセス、手続そのものが民主主義でなければならぬのであります。
さらに続いて最後は、民主国会に対する権力の抑圧であります。こういう順序でファシズムの民主主義に対する進行というものが発展をするのでありますが、そういう点から見ますならば、わが国における現状というものは、佐藤内閣の軍国主義思想によりまして、ファシズム体制がすでに進行しつつある危機をわれわれは感ぜざるを得ないのでございます。
ただ問題は、こういう条約に関心を持って読む人はあまりないと思いますけれども、日本の人が読むのですから、そういう点はもう少しわかりやすい形に今後は変えていくということがあってもいいのじゃないか、民主国会においては。
これは意図的に流したかどうかわかりませんが、これは民主国会でありますから、これはどこへ持ち運んでもかまいませんから、それでもう数年たったならば、日本が回収硫黄ですね、石油から出る回収硫黄のために硫黄がダブつく。だからこれはもう買いたたかなくちゃならぬというのが相手側のほうにずっと伝わっておるわけです。
何でもかんでもしゃにむにごり押しに、政府与党で法案ができますとこれを国会に提出して強行する、そういうやり方は、民主国会においては、そのために国会が混乱をしてきたことは、大臣、御承知のとおりでございますから、そういうやり方をやめて、そうして世間の誤解をできるだけ解いていこう、こういう方針であることは、一応私は了解をしたいと思います。 しかし、了解できない点は、世間の誤解ということばです。
最近、重政庸徳君の副議長在任中に一心同体的立場にあり、常に側近にあつて副議長を補佐した秘書が、その地位を利用して副議長室へ暴力団を引き入れ拳銃を売買するなど、およそ民主国会においては想像もできない不法行為を行なつていたことが明らかにされた。
ほんとうにもし議会政治を守り、民主政治のたてまえを貫くというんだったら、これほどまで国会を空転させ、かつて例のない予算案の不成立、日本の国会始まって、戦前の帝国議会から戦後の民主国会、民主国会は五十回の国会でありました。政府が提案した予算案が廃案になるということは空前絶後であります。