1981-06-04 第94回国会 参議院 文教委員会 第16号
つまりお母さんがわりなんだからというので、この寮の母親というので、非常にやさしく表現しますと、寮の家庭のお母さんがわりだという意味が寮母という言葉を生んだというのでございまして、まさに母がわりというのは、現在の寮母の職務内容や仕事から言いますときわめて不適切だということに相なっておるのでございます。
つまりお母さんがわりなんだからというので、この寮の母親というので、非常にやさしく表現しますと、寮の家庭のお母さんがわりだという意味が寮母という言葉を生んだというのでございまして、まさに母がわりというのは、現在の寮母の職務内容や仕事から言いますときわめて不適切だということに相なっておるのでございます。
私の場合を申し上げますと、私も地方の外科病院におりましたけれども、兄が日支事変で戦死をし、また後を追うようにして母も亡くなり、幼い妹や弟を抱えて、そして父とおりましたので、やはり母がわりとして、看護婦をやめてそして家庭に入ったわけでございます。
これも古い資料にあるのですが、訓練生の寮母、この寮母の必要性は御存じだと思うのですが、いずれも十六歳ないし十九歳までの青少年であって、家庭を離れて渡満をしたのですから、結局母がわり、また姉がわりとして起居をともにする。こういった寮母というものが、これも特別の訓練所や東京、内原なんかで訓練を受けて渡満をし、昭和十五年現在ですか、寮母が八十名おったというのです。
さっき言った母がわり、姉がわり、そういう心情的な状態は別として、制度的に見た場合に、彼女たちが昭和十三年一月に東京に設立された特別の訓練所や内原の訓練所で指導者としての訓練を受ける。そして各訓練所に配属をされる。大石頭訓練所に四名とか孫呉訓練所に六名とか、こういったように強制的に配属をされて訓練生と起居をともにしておる。その数が八十名。
母子寮がありながら、母がわりの保母のいる父子寮がなく、児童扶養手当法によって「父と生計を同じくしない児童について児童扶養手当を支給することにより、児童の福祉の増進を図ることを目的とする。」
そのねえさんは、施設に預けられた弟妹たちを、ことしになって、五人きょうだいがひとつ仲よく暮らしましょうねといって、二万七千円のマンションを借りて、そこへ四人の弟妹を引き連れて、まさに母がわり、一家のあるじとしてこの十九歳のおねえさんが新しい生活に入った。ところが、きのうの朝二時ごろに、スナックから帰った直後でしょう、ガス自殺をして二段ベットの下で死んでいた。
寮におきましては、ただ小学部の低学年の子供等になりますと、いわば母がわりになって世話をする人がぜひ必要でございますし、その世話をいたす者もただ衣食住のめんどうを見るだけではなしに、教育的な配慮がぜひ必要だというような観点で、現に寮母の職務の中にも世話及び教育に当たるというような書き方をいたしております。
だから盲ろう学校でも子供を学校にやったから、あと学校から帰るまで昼寝でもしているかというとそれはできない、母がわりだとすればそれはできない。普通の家庭がそうじゃないですか。奥さん稼業というのは亭主のいない間は遊んでいるほど余裕はない。五人も六人も子供がおったらそんなことはできやしない。実情はそうでしょう。ろう学校の寮母だってその通りです。
そういう資格の整わない人が母がわりになった場合には、四六時中子供に影響しますから、やっぱり相当慎重な資格要件を付することも必要だと思うのです。そういうことをやっても、そのあとの勤務条件というものをきちっとして、そしてその人たちが疲労こんぱいせず、あるいは不満とかというものがなく、子供たちに対してほがらかにやっていけるような工合にしていかなければいかぬと思うのですよ。