1947-12-04 第1回国会 衆議院 決算委員会 第27号
この殘餘金のうち前年度より持ち越した缺損額七十九萬七千四百二十七圓餘を補填しまして、八十萬九千四百六十一圓餘の殘金を生じましたので、そのうち三十二萬四圓の收入未濟金を除き、四十八萬九千四百五十六圓餘を陸軍製絨廠作業益金として昭和二十年度一般會計の歳入に納付し本年度の決算を結了いたしまいた。これで陸軍製絨廠作業特別會計というものはまつたく終りを告げたわけであります。
この殘餘金のうち前年度より持ち越した缺損額七十九萬七千四百二十七圓餘を補填しまして、八十萬九千四百六十一圓餘の殘金を生じましたので、そのうち三十二萬四圓の收入未濟金を除き、四十八萬九千四百五十六圓餘を陸軍製絨廠作業益金として昭和二十年度一般會計の歳入に納付し本年度の決算を結了いたしまいた。これで陸軍製絨廠作業特別會計というものはまつたく終りを告げたわけであります。
○福田政府委員 お尋ねの點は學校特別會計の殘金のことかと考えるのでございますが、學校特別會計は昭和二十一年度をもちまして廢止となりまして、その法律の中に、廢止による殘金につきましてはこれを一般會計に繰入れる、さように規定しておるのであります。その規定によりましてこれを第一號豫算の財源と見たというふうに御了承願いたいのであります。
○政府委員(河野一之君) 貿易資金の特別會計法の二條にございますが、當初これができましたのは、終戰直後、十月頃であつたと思いますが、爲替貿易調整特別會計という當時アジヤ地域と日本との貿易關係の價格調整をやる特別會計がございまして、その殘金の五千萬圓で貿易資金というものを作りまして、後に二十一年度の豫算でこれを九億五千萬圓殖やしまして十億にいたしたのであります。
そこへ前の年から持越しました缺損額が七十九萬七千四百二十七圓餘ございますが、これを差引きいたしまして八十萬九千四百六十一圓餘が本年度の殘金となつたわけでございます。その中三十二萬四圓というものが收入未濟金となりましたので、それを差引きまして、四十八萬九千四百五十六圓餘というものを結局益金としまして、一般會計の歳入に納入しまして、決算を結了した次第でございます。
しかるに昨年度いつぱいをもちまして學校特別會計が終了に相なりまして、その歳出の殘金が三千萬圓あつた。これが大きな追加豫算の中にも見ておるものでありまして、そうしてこれは確實な費目でありますから、ここでその中から引出しまして第三號の財源とすることが適當ではないかということで、三千萬圓というものを全部もつてきたわけであります。
本補正のための財源といたしましては、學校特別會計の廢止によつて受入れる學校特別會計の殘金の受入、これが三千三十二萬圓餘、昭和二十年度餘剩金の受入が千八百八十七萬圓餘でありまして、合計いたしますと、四千九百十九萬圓餘と相なるのであります。
從いまして確實な財源といたしまして、學校特別會計の殘金が三千萬ある。そこでこれを充當するというふうにいたしたわけであります。申し上げるまでもなく、この殘金というものがありますれば、それはそのまま學校の關係の經費に充當するわけではありません。それは歳入といたしまして別個な見地から歳入に取上げて、歳出は歳出規模全體の問題といたしまして、また別個に檢討するということになるのであります。
天引の殘金の行方が疑問だ。」これに對しまして分館長から、「殘金は八千圓あり、これは慰安會に繰入れた。」加藤課長から、「患者に斷りなしに天引したことははなはだよくない。」次に、「高松宮御來園のときの御下賜金その他寄附金等は、一切慰安會に繰入れられてあるが、しかも慰安會會計帳簿は何ら公表されていないのは不當だ。」という患者側の發言に對しまては、應答がなかつたようであります。