1949-05-19 第5回国会 参議院 商工委員会 第19号
又殘つた六千人の人間が、配炭公団法が來年の三月以前に廃止されるというので、もう不安動搖の中に突落されているわけでありますが、これに対しましても、現在公団の職員が、販賣業者にできるだけ接收されなければならない、そうしてそこで失職する人のないようにお願いしているわけでありますが、この点につきましても、これは政府の今後の措置でありますが、この参議院におかれましても、その点についていわゆる労働者の生活を守られるような
又殘つた六千人の人間が、配炭公団法が來年の三月以前に廃止されるというので、もう不安動搖の中に突落されているわけでありますが、これに対しましても、現在公団の職員が、販賣業者にできるだけ接收されなければならない、そうしてそこで失職する人のないようにお願いしているわけでありますが、この点につきましても、これは政府の今後の措置でありますが、この参議院におかれましても、その点についていわゆる労働者の生活を守られるような
殘つた金が約七千万円程になるのでございますが、そのうちで約五千万円が庶民金庫の手数料の不足に充当されておるのでございます。
殊に國家地方警察とか、自治体警察とかに分れまして、そのときに自治体警察側に殘つた人というものは何でも余り優秀でない人が殘つたのであります。そこでどういうふうに自治体警察側の穿き違えがあるかといいますと、署長みずからが、民主主義になつて來たのでありますから、警察も民主主義化しなければならない。それには民衆の中に入つて行かなければならない。だから民衆に対する接接は努めてやる。
そういう関係から、そこに殘つた車を方々へ集結してその爆破したものと一緒にぶちこんで置いた、それじや惜しいからというので、そういうようなものを一台々々何とかすれば生きるじやないかというので、中には殆んどボデーだけというのもありますし、それからボデーも一人前役に立たないひん曲つたような車もあつた、中には多少よい奴もあつた。
○椎熊委員 進歩党創立の一人であられる齋藤先生は、その後進歩党の有力なる政治家が多数追放せられまして、党内に殘つた最高の地位にあられた方は齋藤先生だと私どもは思つておりましたし、また進歩党が幣原総裁を迎えるまでの間は総務会会長として党の最高責任者であつたように私どもは考えますが、そうではございませんでしたか。
それで亞鉛地金につきましては、もしこの掠奪物資でない九十一トンが沒收されるといたしますれば、その代りとして殘つた亞鉛地金をいただきたい、こう思つたのであります。
それは一つは石炭の問題でありますが、昨年度國鉄は五万トンの石炭を節約したということをいわれておりますが、この五万トンの節約は、私の考では、決して節約でなしに、悪く言えば浪費すべき極めて杜撰な計画が、実際にやつて見た結果は五万トン殘つたというようなことになつておるのではないかというふうに思うのです。
問題は三百五十三萬圓を活かすということ、これが後へ殘つた問題であります。尚今の證人の説明によりまして、援護院當局の岡田指導課長が見えておりますから、一言ここで、十分に今後の委員會においてこれは檢討しなければならないと思いますけれども、その邊は問題が二、三ありますから、ここでちよつとお伺いしたいと思います。 質問いたしますが、かような問題が起きたことは、これは援護院當局のやはり責任である。
これを他の面の、食糧の問題などにすればすぐわかるのでありまして、米のごとき、その他の食料品は、一應届け、供出以外の殘つた額というようなものは、實際形が小さいために右左かなり自由の幅がきいておるのでありますが、材木になると、形が大きいためにそのようにいけない。その結果實質は殘つて腐るほどある。
たとえば、同じ一時間居殘つたといたしましても、俸給の高い人と安い人によつて時間給の差異がつくわけでありますが、國會職員全般にして平均一時間いくらになるかというお尋ねでございますと、大體八圓ちよつと上になります。平均給與が豫算的に七圓いくらになりますので、二割五分増と見ますと八圓ちよつと。こまかい資料は今持つておりませんので、はつきり覺えておりませんけれども、八圓ちよつとになります。
一人平均としていくらになるかということは、實はまだその計數をとつておりませんので、はつきりしたことを申し上げかねるのでありますけれども、實施方法につきましては、内容はあくまでも實際に居殘つた者に出す超過勤務手當でありまして、形式としては特別手當の形で出すのであります。
たとえば速記にしても、衞視にしても、この間のように一晩殘つた場合においては、一晩じやないこのごろ毎日四時過ぎまで働いておられますが、平約の額はどのくらいになるか。これをお聽きしたい。
非戰災者の個人について申しますと、終戰時におきまして燒け殘つた家屋と動産と、それから戰時中にその時その時の時價によりまして、損害を受けたその損害額と合計いたしまして、その合計額と損害額との割合が三割以下になつておるか、三割以上になつておるかということを見るわけであります。これはすべて世帶を單位として見るわけであります。世帶の三割以上になつております場合は、非戰災者ということに相なるわけであります。
燒け殘つたという感覺は、結局家屋と動産について言い得るわけであります。もしそれを山林に擴げる、立木に擴げるということに相なりますと、株式はどうか、あるいは何はどうかということになつてまいりまして、結局現在もつている新圓というようなことも考えなくちやならぬ。
そういう意味合で、焼け殘つたという人に課税するものであります。所得税は、その後の本年の所得、或いは増加所得でありますと、昨年の所得に對して課税をする。これはあくまで我々としては課税しなければならんと思つておる次第であります。これは全然別個の問題であると考えるのであります。ただ申上げておきたいのは、闇所得が完全に把握されるということ、闇所得自體を完全に捕捉するということは、これは不可能であります。
なおもう一つお伺いしたいのは、かような米價が高くなつておるにもかかわらず、買上米價は公定價格八千八百圓であるのでありますが、ほんのわずかの殘つた六段とか、一町とかの貨付料は、やはり一石七十五圓であると承知しておるのであります。
かような状態からそこに差額として現われました擬制資本を排除する意味で、戰時補償特別税ができておるのでありまして、今囘の燒け殘つた家屋に對しまするこの特別税とは、その根本の理念において相違があるわけであります。非戰災者特別税法を通覧いたして見ますと、いかにも燒けない者は得であつた。その權衡を保つためにやるのだ。この精神でかなりむりにできておると思います。
その場合においては、やはり引讀いて中央政府においてこの權限をこの法律によりまして、他に地方財政自主化の法律によりまして、その殘つた權限をどの大臣にやるか、どの大臣に行わしめるかということが別にきまらぬ限りは内閣總理大臣がこの自治委員會一箇年間の存續期間の間は、その委員會の補佐によつて行うことに相なつております。
わずかに燒け殘つた家はございますけれども、これはほとんど用をなさない。屋根がとんでいるし、離れた所でも柱は曲つているというような状態でありまして、まつたく戰後で全燒したと同樣な災害をこうむつております。そういう都市において形だけ殘つたものが、やはりこれは非戰災家屋であるというような處置を受けることになりますと、非戰災家屋に對する課税の考え方とは違つた結果をもつのではないかと思います。
もちろんその場合に、持株の方でとつた措置でもつて獨禁法に觸れるものはなくなつてしもうとか、獨禁法でとつた措置は排除法でとる措置は必要がなくなつてしもうということになりますれば、あとに殘つた公正取引委員會なり持株會社整理委員會は、何ら措置をとりませんが、前に他の委員會が一應の措置をとつたが、しかしなおかつ自分の方の法律に照らせば、とつた後の状態から照らして、まだある一部の措置をとらなければならないという
この三つの作用によつて、その被害はきわめて激烈をきわめるのでありまして、從つて長崎、廣島兩市における倒壞を免れ、燒け殘つた家屋にいたしましても、それはほとんで無きずなものは一戸もないのであります。
殘つた品物に對しましては全國津々浦々に販賣しておりますが、その公定價格は二十一年度における公定價格がきまつたそのままで、五割の物品税を課されておるということは、千五百人の漆器の職工が非常に困まつておるのであります。つきましては物品税を二割にしてもらいたいということが本請願の趣旨であります。本來ならば免税をしてもらいたいのでありますが、いかぬとなれば二割に引下げられるよう切望するのであります。
これは最初洪水がございまして、その次に洪水で殘つた地蔕に旱魃が襲い、最後に非常に早く霜が參つたのであります。この三つの惡條件が重なりまして、實はさような非常にひどいことに相なつたのであります。そのころには、われわれが考えてもおりませんでした西ヨーロッパが旱魃で非常な減収が現われてまいつたのであります。