1969-03-17 第61回国会 参議院 石炭対策特別委員会 第5号
それで、金田町の金田小学校の真下に残柱式で十八年に三菱が掘っておった。しかも、七片と八片はふけのほうに向かって伸びておる。それと金田小学校の真下にある残柱式で掘られたものと同じ色のものが金田町の真下に採掘図の中に出ておる。しかも、この図面は通産局が出したものである。
それで、金田町の金田小学校の真下に残柱式で十八年に三菱が掘っておった。しかも、七片と八片はふけのほうに向かって伸びておる。それと金田小学校の真下にある残柱式で掘られたものと同じ色のものが金田町の真下に採掘図の中に出ておる。しかも、この図面は通産局が出したものである。
○説明員(佐々木茂行君) 私は採掘のほうの専門家ではございませんけれども、いろいろ聞きましたところによりますと、明治年間という時代に残柱式で掘った場合にはかなり残炭量があるだろうと思われます。
その採掘については残柱式だという結論が出ておる。そういたしますと、この残柱式だとすればこの八尺層がかなり残っておらなければならぬと思うんですが、あなたの見解はどうですか。
これと併行して、三四年五月から開始された採鉱試験は峠鉱体を使って、残柱式採鉱法、長壁式跡ばらし採鉱法等の試験を終え、現在は水力式採鉱法の技術確立に努めている。
アメリカの炭鉱、これも私も入っておりますけれども、これはむしろ長壁式ではなくて残柱式というような掘り方が、アメリカの石炭においてはとられておる。亜炭ではどうかと申しますと、現在長壁式採炭をやっているところはまずございません。残柱式あるいは柱房式採炭がとられております。
たとえば長壁払いが残柱式に変わる。さらに人的な構成の変化ということもありまして、それらによるふなれということもおそらくあろうかと思いますが、一時的に災害が増加いたしたことがございます。ただその後監督を強化いたしますと同時に、漸次新しい方式に順応いたしてまいりますにつれまして、災害は漸次減少してまいる趨勢を示しております。
残柱式採鉱法、跡ばらし式採鉱法、長壁二段採鉱法など、宇部興産——石炭の山に似ておりますから、このほうからいろいろの人に来てもらって研究をし、大体日本の堆積岩の採鉱については確信を得ております。最近は水力採鉱、このほうにもっぱら力を尽くして、人形峠の鉱内で水力を利用しての採鉱法を研究しておる次第であります。
次に、新大桜の第一坑におきましてやはり死者一名を出しましたことは、これはまことに残念でございますが、災害の発生個所は残柱式の採炭の個人切り羽でございます。個人切り羽の幅四メートルの昇り払いの個所でございます。
というのは、たとえば石炭を掘るときの地掘りとか残柱式とか、従来われわれの経験のあるいろいろな採鉱法でやるとそういうことです。ところが、今考えております水力採鉱というのは、ずっと、安いのです。われわれとしては、こういう貧鉱処理には、やはり新しい採鉱法をやった方が、低品位であっても仕上がり原価が安くつくだろう、こういうねらいで、それを早くやっていこうというわけです。
そこで従来とつて来ましたやり方としましては、この採炭の方法に長壁式と残柱式とがありますが、鉄柱を使うにはやはり長壁式のところにこれを応用する、しかも傾斜が非常に急でないところでないと使えませんので、そういう方面をねらいまして従来指導して参つたのであります。
私は何も肥料工業を弁護せんとするものではないが、戦争中において陸軍のもののわからない少佐、中佐等の参謀が、残柱式石炭採掘においても、残つた柱でもその炭のカロリーが高ければこれをとつて戦いに勝とうとして、わが国の石炭産業を壊滅に瀕せしめた無知は笑うことはできないと思う。農民は肥料を要求する。その要求はなるほど強い。
安くなれば、これは工場原価を割つているのであつて、そういうやり方をすれば、戰争中に残柱式採掘の柱の隅を取去つたような濫掘と同様に、肥料産業を食いつぶすというような結論になる。肥料産業というものは、やはり修理するものは修理し、そうして濫掘ではなくて、着々と補修し、設備をつくり、転換させながら、肥料産業を盛り立たせなければならぬ。
しかしながら他面地下資源の開発より見ますれば、福岡県におけるがごとく、石炭の埋蔵地域が主として平地であり、しかも人家が密集し、あるいは農地が多く展開しているところでは、石炭の採掘は採算上不可能に帰するのでありまして、鉱害防止策といたしまして、完全充填、保安柱の設定、あるいは残柱式採炭等が考えられますが、これはまた採算上十分なことができないという現状でございます。
そのところは深さが八百尺、厚さ十二尺掘つておりますが、これは三十年ほど前に掘つたのでありますから、おそらく残柱式という方法で掘りまして、石炭が相当残つておつた関係もありましようが、十二尺を掘つて八十センチ下つておる。これは下り方がわれわれの常識から言いますと少いのでありますけれども、そういうデーターが出ております。これは昨年の十一月のことであります。
尚隣接鉱区は終戰後同一條件のもとで、五〇%実收率の残柱式により採炭、現在何ら被害の現われない事は、如何に戰時中の強行出炭が被害を伴つていたかを物語つているようでした。
それより引続きまして、日炭と高松に到り説明を聽取、水洗三十町歩と称する被害地と隣接し、目下残柱式によつて五〇%の採炭を実施中の彼我の比較を見て大辻附近に到り、戰時中市街地を移転して採炭をなし、六尺以上の陥落を生じ、復旧工事施行中なるも、プール制度廃止に伴つて工事中止中の実情を見まして、新入附近へと視察を続行したのであります。