1959-02-18 第31回国会 衆議院 外務委員会 第6号
○藤山国務大臣 今日まででも、フィリピンの各地に日本の残存兵があって、山にこもっているというような事態がありますときには、できるだけ救出の方法を考えて努力はしてきておりますが、ただいま御指摘の点につきましても、われわれとしては最善の努力をして参りたい、こう思っております。
○藤山国務大臣 今日まででも、フィリピンの各地に日本の残存兵があって、山にこもっているというような事態がありますときには、できるだけ救出の方法を考えて努力はしてきておりますが、ただいま御指摘の点につきましても、われわれとしては最善の努力をして参りたい、こう思っております。
ただいまは五百名くらいは確かにおるのじやないかというお話を伺つたわけでありますが、あなたがちようどフィリピンに行かれてお着きになつたころだと思いますけれども、十八日の夜の六時に、マニラ放送局からは、日本の残存兵はルバング島には十名くらいしかいないらしいが、イロイロとミンダナオとには千名か二千名おるらしい、バタンガスにもおるらしい、国防省でも日本人工作員を使い、いろいろ苦労して調査を進めている、こういう
と申しますのは、アメリカ軍が日本軍の残存兵を掃蕩する当時、あるいは終戰後たくさんのキャンプをつくる当時における洞窟の入口は、ほとんどこれを埋めて行つたのであります。今は植物が繁茂して洞窟の入口を発見するのも非常に困難でありますが、当時においては非常にたくさんの砲弾が打込まれたために、全島まる裸といつていい状態であつたと想像されるのであります。