2021-02-01 第204回国会 衆議院 内閣委員会 第2号
○玄葉委員 初期消火にも、場合によっては緊急事態宣言解除後のいわば残り火の消火にも、両方使うことを想定している、こういうお話でありました。
○玄葉委員 初期消火にも、場合によっては緊急事態宣言解除後のいわば残り火の消火にも、両方使うことを想定している、こういうお話でありました。
○玄葉委員 他方で、私、初期消火ということを申し上げましたけれども、想定される運用として、初期消火じゃなくて、逆に、残り火の消火というか、そういうものにも使うのかどうか。
松下副大臣からありましたように、経済産業省にこのNITEを通じて入っている報告は、全体の中では極めて限られているとは思うんですが、二〇〇四年から二〇〇八年まで百三十二件、その中で、要するに残り火、火が消え切らずに衣服などに引火したケースが百三十二件中三十八件、さらに、意図せず着火というふうに副大臣は言われましたけれども、知らないうちに火がついて燃え広がった、そういうケースが十六件、さらに、大きな炎、
具体的には、ライターの残り火、火が残っている、そのまま放置している、それから、意図しない着火、ライターのガス漏れによる事故、そういうものでございます。
少し前、二〇〇四年ですけれども、たばこに火をつけ、ライターを胸のポケットにしまったところ、残り火でシャツが燃えてしまったということですとか、あるいは、二〇〇七年ですが、乗用車のシートの位置をずらした際、下に落ちていた電子式ライターの点火レバーが押されてしまって、走行中に車が火災を発生した。
私ども、実は、この自衛隊の派遣について、当初理解していた中では、イラクというのは、基本的には、今いろいろな紛争が起きていても、それはサダム・フセインのもしかして残党がある面ではいろいろなところで紛争を起こしている、火事で言えばいわゆる残り火みたいなところで、そこに自衛隊が安全なところに入っていっていろいろな支援活動をしていく、人道復興支援だ、そういうことで、私ども、この政策に対して一生懸命後押しをしております
それと、ITの投資ブームがまだ、残り火でありますけれども残っていた。これらが、小泉政権の発足の後、文字どおり総崩れでありまして、一切なくなってしまった。 そこへ、構造改革というのは、さっきも申し上げましたように破壊でありますから、一切、先ほどから話題になっているような需要面から景気回復を図るというそのやり方を放置して、それで供給サイドで破壊をしていく。したがって、投資も消費も伸びない。
ひっかき回して調べる、それでも残り火があるんです。消防は、また燃えたというと大変な恥辱なんですね。どうしてそういうことが行われなかったのか。 私は爆発が起きたというのを聞いて驚いたのですけれども、爆発の直前に作業員が五十二名ですか、入室しようとしてスタンバイしておったというのでしょう。うっかり入っておったら大変な惨害ですよね。
しかし、どうも後で見ると、消火していなかったのではないか、残り火があったのではないかという可能性、あるいはまたその熱が原因になって爆発を誘発したのではないかという指摘などもあるわけですが、この確認はだれが何時にどういう方法でやったんでしょうか。
私は、アジア太平洋地域は、今なお冷戦の残り火を抱えてはいるものの、これからは非軍事的な脅威、例えば環境破壊、エネルギー不足、人口増大、食糧不安などの問題が大きな比重を占めるようになると認識しています。これらの非軍事的な脅威にかかわる諸問題にAPEC加盟国が共同で取り組んでいくことを目指す必要があります。
という言葉で結んであるわけでありますが、こうした抑留者の方々の苦しみというのは、いろいろ国の方でも手当てをしておるようでございますけれども、残り火がまた燃え上がるように燃え上がってくるわけであります。それはやはり、戦中は皆さん苦労したわけでありますけれども、戦後にまた戦中よりもこういう悲惨な体験をした。
これを読んでいきましたらここのところで十九時です、書いてありますね、十九時に残り火の危険はないと。大体火災が発生したら煙がずっと吸い上げられていくのだから、排気を通って煙が出てくるわけですね。煙は出てこないと、そして十九時に火災はないと確認したというわけですよね。それで火災がないと確認した十九時、その十三分後に戸門の構築を指示して、そして二十一時四十二分に一つができたと。
そうすると、自衛隊の前日の火入れ、野焼きですか、これの残り火から出たという推定しかない。こういうこともお認めになった。岩手県の県民もみんなそう思っていますよ、山を知っていますからね。山に火入れをしたら、その火がどんなふうに残るかというようなことなどは、私らみたいな山国に育った人間は全部わかっています。あなたの推定によって、そう言ってもなおかつ見舞い金しか出せない。
防衛庁の場合には、あの火入れにつきましては、防火帯を設けたとか、あるいはブロックごとに分けて火入れをしたとか、さらには翌日の朝七時ごろまで残り火の監視隊を残していろいろ調査したとか、そういうようなことでできるだけのことはやったわけでございますけれども、天候の特殊な状況下におきまして残念ながらああいうような火が出たということでございますので、重過失はそこではないというふうに我々は考えているわけでございます
○小川(仁)委員 そうすると、絞ってくれば、自衛隊の火入れの残り火ということしか推定にかたくありませんね、私は推定という言葉を使っていますから。
しかも連合会は、その前の十日、十三日にも残り火の不始末からぼや騒ぎを起こしており、泉市消防本部は、県住宅供給公社に口頭で注意をし、森林組合連合会に対しては確約書の提出を求めていた。雑木の伐採、焼却について火を残さないようにしろ、再びこういうことはしません、そういう確約書の提出を求めている。
その後、巡視船艇等によります消火活動によりまして、七日の午前二時三十分ごろにはアストロレオ号の付近の海面火災、破口部の火災はほとんど鎮火ということになりまして、あと船員居住区等の残り火がありまして、これが約三時間後の午前五時半ごろに完全に制圧されました。 引き続きまして海上保安庁は、油の流出防止措置及び流出油の防除作業を現在実施いたしているところであります。
なお、午後九時ごろ、発火地点に残り火があることがわかったので、第一線に立って消しとめておった係員一名が、落盤のため二次災害にあって死亡する事故になって、まことに残念であります。 また、そのころまでには消火によって通気が良好になりましたので、避難しておった五百人以上の在坑者は、一部の警戒員を残して全員の昇坑を確認いたしました。うち煙を吸ったと思われる十六名を入院させました。
これもある種の基準がございまして、搭載燃料と同量の水によって旅客、乗り組み員の救助は一応可能であるといわれておりますが、さらにその上に残り火の整理用といいますか、整理水といいますか、そういったものがいま申し上げた救助用の水の三倍ほど必要である、こういうことになりまして、DC8の飛行機で申し上げますと、燃料の面からいうと八万リットル、それにいま申し上げた三倍の水というものが一緒になったようなものが、水量
そうしますと、そのあとへそこの海岸に海水浴に来た少年が三人、前のたき火の残り火を発見して、寒かったので木片を集めて三人がその場所でたき火を始めて、約十分経過したところ、突然爆発した。そして前田国徳という少年が即死、宮川橋一という少年が顔面爆傷、右の眼球破裂の重傷、梅田順という少年が軽傷を負った。宮川橋一は、現在都立の駒込病院で入院加療中であるというふうに事故の現状を承知いたしております。
二十一日の午前五時ごろになりまして、救護隊が図面のちょうどまん中あたりの一昇りと三片沿層坑道との交り点から若干奥のほうに進入いたしましたところ、非常に濃いメタンガスと濃い一酸化炭素を検出いたしておりまして、坑道の上面に白煙を認めておりまして、爆発のあとの残り火による再爆発の危険性があるということの保安管理者が報告を聞きまして、判断をいたしまして、二十一日の八時ごろから翌朝二十二日の七時四十八分ごろまで
第二点でございますが、第二点につきましては、二十二日の朝七時四十八分ごろに救護隊が再度救助活動を始めておりまして、当時は、先ほどの布張りをいたしました三片坑道の奥を探検する、残り火がないということを確認することが第一の目的でございまして、そこだけの人数に限りまして三片坑道に入ったわけでございます。
当時の状況といたしましては、メタンガスが相当ございましたほか、一酸化炭素が相当出ておりまして、かつ煙が見えたという状態で、もしかりに残り火があったと仮定いたしますと、さらに一酸化炭素ガスがふえてくる、こういうふうなことで、ガスのその後の量の観測をするまでは、もしかりに入ったときに、残り火があったと仮定いたしますと、いつ爆発するかわからない、こういう状態でございましたので、結果的には必要はなかったわけでございますが
○政府委員(松村清之君) これはまあ実情をよく存じませんけれども、水防、火災等におそらく出ておると思いますが、特に消防職員が消防に出動した、火を消したあとの残り火の監視、そういうところに消防団が任務を果たしておるのではないかと、こういうふうに考えております。
併立をいたしておりますところでは、大体においては地区を協定いたしますのと、それから地区がダブリますところでは、消防団自身は、常設消防に協力をいたしまして警戒区域の設定をやる、あるいは火事が終わりました際の残り火の跡始末をやる、それらの点については緊密な連携を保って協定を守っておるわけであります。
その辺の状況から申しますと、学生が四方八方から石を投げてくる、あるいはたき火した残り火を投げてくるというような状況の中でございまして、教授団というのは全く離れて、明らかに教授団と認められる状態においてそこにおられたというふうには聞いておりません。そういう意味で、その当時のやや混乱した状態の中で、区別してなかなか行ない得なかったのではなかろうかと思うのでございます。
○説明員(柏村信雄君) 当時南通用門方向に約四百名ほどの学生を規制しておったわけでありますが、この学生たちは、依然として石を投げることによって警察官に抵抗し、また道路上に、竹ざおを横にかまえた組織不明の一団もございまして、これも石やプラカード、たき火の残り火などを警察官に投げつけて、規制活動を妨害しておったのであります。