2010-04-20 第174回国会 衆議院 法務委員会 第8号
○馳委員 ちょっと死刑の問題に触れましたので、今回のこの改正案を提出するに当たって、亀井大臣、いわゆる閣内において、死刑廃止論者もいるという中で、死刑制度を前提としてもちろん出されたわけでありますから、死刑制度廃止論者である亀井さんは、今回の法案について特に御意見はお述べにならなかったのでしょうか。
○馳委員 ちょっと死刑の問題に触れましたので、今回のこの改正案を提出するに当たって、亀井大臣、いわゆる閣内において、死刑廃止論者もいるという中で、死刑制度を前提としてもちろん出されたわけでありますから、死刑制度廃止論者である亀井さんは、今回の法案について特に御意見はお述べにならなかったのでしょうか。
また、千葉法務大臣は、議員であるわけですけれども、もともと死刑廃止論者であったとも聞いております。死刑の廃止について、何かアクションを今後起こされる考えがあるのか、あるいは、法務大臣在任中はそれについて封印されるのか、まずお尋ねさせていただきたいと思います。
それで、もともと死刑廃止論者であれば、これは推測でもあるんですけれども、死刑をしない、執行署名をしない可能性があると思うんですけれども、そのときにはやはり大義が必要だと思います。それを考えれば、いろいろな議論が必要だからその間は凍結するとか、何らかの理由なり見解をはっきりした上で対応すべき、僣越かもしれませんけれども私自身はそう考えますので、それに対する千葉大臣の所見をお伺いいたします。
これ、終身刑の話というのは、しばしば死刑廃止論者が終身刑を設けて死刑をなくせとか、死刑を執行しなければ終身刑になるとかというようなことでしばしば議論をされますが、逆に無期が甘過ぎるという観点から死刑は死刑でやる、無期が甘過ぎるから、無期だと大体出てきちゃうんじゃないかと、甘過ぎるから終身刑だと、両方の立場から終身刑が唱えられることが多いので、私も勉強していこうと思っておりますけれども、今の先生の御指摘
そういうもので、結局、死刑廃止論者が終身刑を訴える場合もあるし、被害を受けた遺族が、無期懲役じゃいずれ一定の期間で出てくるから終身刑を設けてくれという、要望はいろいろな形で出てきているわけですけれども、これは仮釈放という制度があったり、それの全くない終身刑というのを設けるとか、やはり最も残酷ではないかとか、いろいろな議論がありますので、これは相当慎重に構えていかなければ、終身刑という議論はそう簡単に
その後、先生の肝いりというかセットがあって、時間が余りとれませんでしたけれども、さまざまな方から、死刑廃止論者の声というものを聞かせていただいたわけでございます。それを聞いたから、それを一応聞いたんだから死刑を執行したということは絶対にありません。そういう感覚は私は毫も持っておりません。
○近藤正道君 もう一つ、今日は死刑の話が幾つか出ましたのでお尋ねをいたしますが、例えば人を二人以上殺したような場合にはこれはやっぱり死刑の問題と向き合わざるを得ない、そういうケースになるというふうに思うんですが、自分は死刑廃止論者であると、こういう死刑が具体的に問題になるようなケースの事件はやりたくないと、かかわりたくないと。この場合はどういうふうになるんでしょうか。
私は、死刑廃止論者、アムネスティ・インターナショナルの方々のお話でも、いつでも心を無にしてお聞かせいただこうと思っております。
したがって、勉強会というのは、先ほども申し上げましたように、今どういう状況になっているのか、戦後の歴史的な経緯はどうであるか、あるいは実際、施設の中でどういう日常を過ごしているかということまで勉強いたしておりますが、私はこれは勉強会で、したがっていつまでに結論を出せるという話ではありませんと神崎先生にもお話をしたところであって、当然、死刑廃止論者のお声も聞く機会は持ちたいなと思っております。
大臣は、死刑廃止論者ではないが、死刑には消極的な考えを持っているのかな、私はこういった印象を受けました。死刑制度の存廃というのは、これは国民的な重大な関心事であるというふうに私は改めて感じました。その現状や問題点というのは、引き続きしっかり調査をして、あり得べき姿というのを考えていかなければいけないと思っているところであります。
弁護人が死刑廃止論者であるということが背景にあるだろうという報道もなされています。 ただ、これについては、どうして欠席をしたのか、詳細な事実関係を把握する立場にございません。
○杉浦国務大臣 私、いわゆる死刑廃止論者ではございません。発言が当を得ていなかった、すぐに気がつきまして、撤回させていただいたわけでございます。
もう一点、死刑廃止論についてですが、私も若いころからずっと死刑廃止論者でした。人が人を裁くことが果たしてできるのか、神のみができるのではないか、こんな考え方を持って、理想と思っておりました。しかしながら、年齢を重ねるにつけて、世の中にどうしても大勢の人間を殺してしまう、その人間を死刑にできない、これでは犯罪を抑止できないのではないかという考えが強くなってきました。
私は死刑廃止論者ではございません。 死刑があるから残酷だと。確かに、冤罪だったら残酷であります。しかし、死刑でなくても、冤罪だったら残酷なんです。そういう点から、冤罪があるから死刑廃止という議論には結びつかないんじゃないか。現実に、冤罪でない、本人も承知し、極めて残酷な犯罪を犯した者に対して、むしろ、しかるべき刑の重さで罪を償うということがあってもいいのではないかと私は思っております。
この波崎事件の上告棄却のときにいろいろ迷った、裁判長が上告棄却の宣告をして退廷をしかけたときに、傍聴席から人殺しという罵声を浴びた、やはり、本当は無実だったのかもしれないと、私はこの瞬間決定的な死刑廃止論者になったということを、今から十年前にインタビューに答えていらっしゃるんです。 この方は、冤罪を訴えています。今、年齢は八十五歳で、東京拘置所にいらっしゃいます。
私は死刑廃止論者なんですが、きょうは、現行のままであったとしても、少し制度の運用として問題があるのではないかと思うところについて何点か御質問を申し上げたいと思います。 議連の方では今、死刑を廃止して、ただ仮釈放のない終身刑というものを法定しようではないかという形で今検討をいたしております。
私は死刑廃止論者だと言ったら、じゃ無期懲役にしろと。いや、本当にこれは笑い事じゃないので、庶民の怒り、国民の疑問、そういうものが今皆さんに向けられているということなんです。 大野木参考人、あなた自身の報酬やあるいはこれからおやめになるときの退職金のことや、あるいはこれまでの役員の方の退職金のことを今お話しになりましたね。
私は死刑廃止論者であると同時に、凶悪犯罪人によって大事な大黒柱を失った遺族をどうやって金銭的にも精神的にも支えていくか、救っていくか。まさにこれは国の仕事だというふうに思います。 通り魔事件でもってできた犯罪被害者補償給付金がありますね。上限が一千万ちょっとで下限が二百二十万ぐらいかな。金額的にもこれはちょっとどうなのかなと思うし、自賠責より低いじゃないかと、私、前に言ったことがあるのですよ。
私は死刑廃止論者であります。死刑は人権の基本にかかわる非常に重大な課題だというふうに思います。もちろん感情論では、例えば私の家族が凶悪犯人によって残虐な殺し方をされれば、八つ裂きにしたい、死刑にしろと私も叫ぶと思います。 しかし、一方、人権の尊重、個人の尊厳等々を基本として考えた場合に、命の大事さを訴える国が、法の名のもとに、凶悪犯罪人といえども殺していいのかという論理が当然出てまいります。
ですから、私が死刑廃止論者になったきっかけは、あの平沢貞通氏という人がどうしても真犯人だと思えないという疑問を持っています、もちろん勘ですけれども。そして、御存じのとおり、九十五歳で亡くなるまで三十数年間獄中にあったという、死刑の判決を受けてからだけでも三十年を超しておりますね。彼のために死刑の時効ということが議論をされたことも御存じのとおりであります。
○鈴木(喜)委員 終わらせていただきますが、最後に、団藤重光元最高裁判事、刑法では私たちも一生懸命その本で、教科書で勉強した世代ですけれども、この団藤さんが判事になられたら、そこで死刑廃止論者に変わったということを言われています。
私が死刑廃止論者だとか否かは全く別にして、単に法律の中がどうなっておるかということを言えばそういうことであります。しかし、実際の裁判の場ではどういうことになっておるんだろうか。一部には、少年だということで刑が甘いのではないか、結果として、という意見もあります。例の女子高生のコンクリート詰め殺害事件の主犯格の少年は、先般懲役二十年という刑が出ました。
実は私は死刑廃止論者でございまして、この点について法務大臣の御意見を伺いながら、最終的に総理大臣の御見解を承りたいというふうに思っております。 死刑廃止条約というのがあります。