1972-08-17 第69回国会 衆議院 内閣委員会 第3号
その他、清掃車であるとか、死体運搬車であるとか、若干の特例がある中にあって米軍に全く特例がないということが、はたして法の均衡を保つものであるか。特に地位協定との関係で適正であるかどうかについては、外務省といたしましては問題意識を持っております。しかし、これを具体的に建設省にお願いしているとか、具体的な協議が始まりているとか、そのような事実はございません。
その他、清掃車であるとか、死体運搬車であるとか、若干の特例がある中にあって米軍に全く特例がないということが、はたして法の均衡を保つものであるか。特に地位協定との関係で適正であるかどうかについては、外務省といたしましては問題意識を持っております。しかし、これを具体的に建設省にお願いしているとか、具体的な協議が始まりているとか、そのような事実はございません。
何だ、これだけは自由だ、これは死体運搬機でありました。立川に入る、これだけは認められておった。こんなことを一体国民感情が許すかどうか。ほんとうに腹をくくってやらなければならぬと思う。 そういう態勢の中で、政府もこう出しましたので、わが党も今度の緊急対策を出しました。これは政府にもさっき申し入れた。そうしてこれは皆さんの御検討をいただきたいと思った。
それから特別被爆者の範囲の問題で、二週間以内に爆心地等に死体運搬その他で入った人が放射能をたくさん受けて、つまり二次放射能、残留放射能、その被害者が出ておる。しかしながらその人々には、現在特別被爆者が爆心地から三キロ以内という制限があるために、ケース・バイ・ケースで、症状があらわれないと出てこない。
○大原委員 たとえば死体運搬や、その他家屋疎開、整備等に、原爆が投下された後に入った人がある場合に、一週間以上入市して爆心地で作業した人には特別被爆者の手帳を出す、こういうふうなことを時間的に制限するようなことはできませんか。
当時は、そういう災害に防衛庁から救援を、災害そのものに防衛庁に要請するのでなくて、あくまでも病人や死体運搬と、こういうことで当初は要請をしております。隊員百名、車両三十台を至急送ってくれ、そうして任務は運搬業務だと、こういう要請を市を通じてやってきておる。ところが自衛隊のほうでは、特に百八十二名自主的に追加されまして百名という要請を八十二名、ですから、追加されてきておるわけなんです。
○鈴木政府委員 救急車の救急活動はあくまで救急でございまして、死体運搬には使わないことになっております。これは救急車を持っておる東京都などでもそういうことになっております。
これは全部バケツをさげましたり、あるいは軍の命令でたくさんの死体運搬をいたしました。焼却もいたしました。これは残留放射能を受けております。そういうことでみんなが国の命令で、法律によりまして働いておったわけです。軍人軍属というふうな者だけに国家の援護、生活保障を限定するということは、私は不当であると思うのです。これは外務大臣もおうなずきになっておる通りです。
○藤森眞治君 十八條の点について伺いたいのですが、十八條において死体運搬その他死体の処理のことが出ておりますが、死体の処理をする前には、先ず病気で死んだ場合にはいわゆる診断書というものが交付されますが、病気でなく診療を受けないものが突然死ぬことがある。殊に養老院というような施設の和で、診療を受けないで死ぬような場合が相当今後考えられると思う。
ストップ・ウオッチというお話が先に出まして、ここでお話申し上げるのはどうかと思いますが、これはストップ・ウオッチを持つて行つたけれども、同時に死体運搬の練習をして、どのくらい時間がかかるかという測定をしておつたのでありますから、死体をかつぐのに一生懸命になつて、押すのを忘れたのでありまして、必ずしも刑事の非科学性ということにはならないのじやないか。
そうした死体運搬という作業はまあ特殊な作業でありますが、それは他の一般の作業をその日だけ休んでやるということでありますか、或いはそれから帰つて來ると、一般の作業をやらせられる、又はあなたはもうすでにその隊でそういう死体を運搬する当時は、雜役的な仕事をされておりましたか。
○穗積眞六郎君 永井証人に伺いますがあなたが死体運搬をなされるというときに、それはどうもさつきから伺つておりますと、ただ雜役的に何も言わずに軍医の書いた死亡診断書を持つて向うに行つてそれを渡して、そうしてただ帰つて來るというふうに伺えるのですが、あなたぐらいの方がついていらつしやるときに軍医なり隊長なりが、今日の運ぶ死亡者は誰々であるというようなことを一遍も言つたことはないのでございますか。
死体運搬は隊長室におられた永井という人が責任者となつてやつておられました。その次に医務室の坂口衛生兵、その人がやつておりました。その両名がどうしても工合の惡いとき、私が死体運搬として現在青森にいる久保田という馬を扱つている兵隊と二人でやつて参りました。