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340件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1951-03-26 第10回国会 参議院 厚生委員会 第18号

二十六條、二十七條は結核患者並びに死亡者に対する死亡診断書、死亡診断等における医師指示に関する規定でございまして、医師はその職務性質上、患者療養については当然指示いたします。が、この結核疾病特殊性に鑑みまして、他への伝染防止についての指示をしなければならないという規定でございます。本章におきましては第二十二條に医師の届出に関しましての罰則がございます。

山口正義

1951-03-22 第10回国会 衆議院 厚生委員会 第15号

これは死体でございますから、その患者を前から診療しておつたときには、もう生きておるときにすでに指示してありますから、診療しておる医者がその死体死亡診断したときでございますから、非常にそれは適当しておるのでございます。しかし死体を検案したときには、解剖でもしない限りなかなか結核を伝染させるおそれがあつたのかなかつたのかということまでわかりません。

丸山直友

1951-03-17 第10回国会 衆議院 厚生委員会 第12号

二十七條は死亡診断をいたしましたときに、医師の行う指示を義務づけているのでございまして、医師職務性質上、患者の医療を行うのはもちろんでありますが、結核のような伝染性疾患につきましては他に伝染するのを防ぐために、ただいま申しましたような指示を行う必要があるということを規定しておるのでございます。この指示を怠つたときも、やはり罰則規定されてございます。  

山口正義

1951-02-17 第10回国会 衆議院 厚生委員会 第4号

死亡診断書の正確性調査費——これは新たに昭和二十六年度から着手いたします調査費でございます。これは嚴密な意味での統計調査と申しますよりは、かなり疾病に関しましての統計は、整備されて参つたのでありますが、その数字信頼性というようなものについて、各方面から疑義が起つております。その正確性というものについて、幾分の調査をいたしたいということで、新たに計上していただいたものであります。  

曽田長宗

1950-12-07 第9回国会 参議院 厚生委員会 第5号

思いますけれども、全体からいつてその数字は、伝えられるほど大げさなものじやないのじやないかという気持を持つておるのでありますが、よく笑話にありますけれども、被保険証で入院して死亡したが、死亡診断書を書くときに、被保険者証通り名前で書いてもらつては困るというような話もされておりますが、事例としてはあります。それほどたくさんじやないのじやないかということを実は思つておるのであります。

安田巖

1950-04-18 第7回国会 衆議院 法務委員会 第31号

死んでから死亡診断書を書くだけだということも出ておるのであります。そこでなおこういう生活に耐えかねまして、暴動を起したことがときどきあつたそうでありますが、この首謀者といわれる者はどこかに連れ去られて、そのまま帰つて来ない。なおまた集団逃亡が前後三回あつたそうであるが、その都度これは失敗してつかまつた

猪俣浩三

1950-04-10 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第23号

高山証人 向うでは死亡したら三通ないし五通くらいの死亡診断書がとられて、日本軍医立ち会つてはつきりとしまわれているという事実をわれわれは知つております。ですから、全部のいろいろなあれが終つたはつきりソ連の方から発表するのではないか、かように私は考えているので、どうかこうかということについては私は知りません。

高山秀夫

1950-04-06 第7回国会 衆議院 法務委員会 第21号

たとえば昭和十九年から二十年にかけて、当時建設中であつた木曽川御嶽発電所工事、これに中国人捕虜が約千五百名労役に従事せしめられたのでありますが、終戰時までに生き残つた者はわずかに五百名、他の一千名はみないろいろな理由で死んでおるのでありますが、役場に届けられておる死亡届並び死亡診断書によりますと、わずかにそのうち四十三名だけが届け出られておるのです。

田中堯平

1950-02-15 第7回国会 衆議院 厚生委員会 第5号

その当時に癩としてその各地方死亡診断書が――毎年二千人、多い年にに三千人というような癩患者死亡いたしました。むろん癩でありますから、死亡診断書は正確ではないから、それに数倍あるところの数が死んでおるということがわかるのであります。そいうような有様で、政府なり民間の有力者も、これは外国人にだけまかすべきものでないというので、明治四十年に癩予防に関する法律というものを議会で取上げられました。

光田健輔

1950-02-06 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第10号

私はその程度のことは勿論やるべきであり、やつて呉れるだろうと私は考えましたものですから、部隊に帰りまして部隊長に言うて、そうして写真、それから財布、そういうものを用意しまして、荷日本文で以て死亡診断書並びに本人の本籍その他を記載した書類を一まとめにして、その人事係に渡しました。同時に万一のことを思いまして、密かに遺髪と爪とをとりまして遺骨を作り幸した。

尾ノ上正男

1950-02-06 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第10号

その中には遺品があれば遺品と、それから各収容所軍医死亡診断書というものを入れまして、雪中に御覧にかりましたようにやはり白い布で包みまして置きました。で私が各收容所を訪れますと必ず部隊長部屋、又は部隊長の隣りの部屋遺骨が何十と並んでおつたのであります。

尾ノ上正男

1949-11-28 第6回国会 衆議院 厚生委員会 第9号

結核は、ことに当委員会方々は御承知の通り、本年度の死亡者は厚生省の統計によりましても十四万五千人、この結核死亡者は実は療養所に入つておられる方の死亡だけでありまして、普通家庭において結核によつてなくなられた方々は、いろいろ社会的な関係がありまして、結核という死亡診断は書かないのであります。

伊藤憲一

1949-10-08 第5回国会 衆議院 厚生委員会 第32号

そのほか現実には結核死亡しておりながら、結核という死亡診断なつておらないものが、大体同等くらいあると見てさしつかえないのではないか。そうするとこれは四十万、かりにこれを五割と見て三十万、それだけのベツドが必要だということになれば、これから三年間で八万ベツドということになると、実際上これは結核対策にならないわけです。つまり一か十かの問題だと思う。

伊藤憲一

1949-08-19 第5回国会 衆議院 厚生委員会 第27号

この埼玉縣鷲宮町におきましては、大体今年の一月ごろからときどき下痢患者、消化不良というような死亡診断書が初め出ているのでありますが、これは特別に著明なことはなかつたのであります。ところが七月の中旬になりまして、これはどうも少しおかしいじやないか、しかも二、三続いて來るというので、調べてみますと、そこに相当数患者がおつた

三木行治

1949-04-13 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第16号

証人酒井一郎君) 二年間に私が死亡診断書を作成しました人数は、恐らく三十名から三十五名以内であります。この中で内科疾患として死んだ者が二十名余り外科疾患として亡くなりました者が十名余りであります。正確なる数字は資料がないので申述べられません。その外科疾患十名のうち、これは人爲的暴力によつて死んだものであるというふうに認めましたのが三名ございます。

酒井一郎

1948-06-26 第2回国会 衆議院 厚生委員会 第16号

久下政府委員 從來歯科医師死亡診断書の発行を認めておりましたことはお話の通りでございますが、その点につきましては、若干の議論があつたのでございます。新しい法律案の制定にあたりましては、この点につきましていろいろ論議をいたしました結果、歯科医師死亡診断書を書くということは、歯科医師素養の点から適当ではないという考え方のもとに、今回におきましては特に明確に法文のうちに表わした次第であります。

久下勝次

1947-11-06 第1回国会 衆議院 厚生委員会 第28号

調査をいたしまして、その死亡診断書等根據にした結果を申し上げますと、特別病室死亡者中に縊死した者が一名ございます。それから死亡診断書の表面から見まして、診断書の上では心臟麻痺あるいは神經衰弱という病名になつておりますが、それらの状況から推測いたしまして、凍死と思われる者が二名ございます。すなわち合計三名は縊死あるいは凍死ということが断定せられると思われます。

東龍太郎