2009-04-09 第171回国会 参議院 国土交通委員会 第8号
しかし、前回も申し上げましたように、金融工学や河川工学も、経済は歴史現象でございますから、予測どおりに二度と同じことが起きるという保障は全くございません。あるいは、河川工学も、科学は自然現象でございますから、これは二度として同じことが同じ確率で起きるということはございません。しかし、確率上起きるという前提に立ってきた金融工学や河川工学が逆に今破綻をしてきているわけですが。
しかし、前回も申し上げましたように、金融工学や河川工学も、経済は歴史現象でございますから、予測どおりに二度と同じことが起きるという保障は全くございません。あるいは、河川工学も、科学は自然現象でございますから、これは二度として同じことが同じ確率で起きるということはございません。しかし、確率上起きるという前提に立ってきた金融工学や河川工学が逆に今破綻をしてきているわけですが。
なぜならば経済は歴史現象ですから、全く同じことが二度と起きることはないわけでございます。 にもかかわらず、金融工学上こう行きますと言って実際に破綻をすれば、それは、それをつくった人の責任ではなくてそれぞれ買った人の責任だと言って、金融の大家もいらっしゃいますけれども、だれも責任をとらない。河川工学も同様でございまして、科学は自然現象でございますから、二度と同じことは起きないわけでございます。
しかし、経済は歴史現象でございますから、二度と同じことは起きようがございません。逆に言うと、河川工学も、科学も自然現象でございますから、全く同じ条件ということが二度と起きるということはないわけでございます。すなわち、確率というのは、同じさいころを同じ状況で同じように振り続けるという、本来極めてユートピアのような話の中ででき上がっているということです。
発展途上国はナショナリズムの旺盛なのがどこの国でも共通の歴史現象でありますから、そういうことを言えば中国は反感を持ってしょう。だけれども、こちらは反感に対するに反感をもってしないで、本当の友情を持って、チベットのあり方はよくないとか、ダライ・ラマはもっと相互尊敬すべきじゃないかとか、そういうような新たなる友情を持って中国に直言すると。
我々としては、はつきりした宗教の客観的知識として、宗教を取扱つて、社会現象なり歴史現象として、客観的知識を入れるということには極めて、ちつとも無理はないと信じております。こういう点について、国家の、何か国家の機関が、つまり教法に関する客観的知識を與える程度で私はいいと思う。それ以上出てはいかんと思う。それにつきましては十分な施策をやつて頂きたい。