2009-03-12 第171回国会 参議院 予算委員会 第12号
オペラ、「テンペスト」のオペラハウス、何か歴史物語でやっていただけるようになると本当にいいなと期待をしております。 現在は、今お地元で一生懸命復旧に取り組んで、復旧ですかね、発掘調査を今やられているということで、跡地の史跡ですとか文化財の位置付けというのを明確にしようということで調査されておられると伺っておりますので、沖縄県、那覇市、関係機関共々に協議してまいりたいと。
オペラ、「テンペスト」のオペラハウス、何か歴史物語でやっていただけるようになると本当にいいなと期待をしております。 現在は、今お地元で一生懸命復旧に取り組んで、復旧ですかね、発掘調査を今やられているということで、跡地の史跡ですとか文化財の位置付けというのを明確にしようということで調査されておられると伺っておりますので、沖縄県、那覇市、関係機関共々に協議してまいりたいと。
先ほども申し上げた、この点もそうでありますけれども、歴史認識というのは国それぞれ違うし、アジアの中の国においては、歴史認識どころか歴史物語を語っている国もあるように私は感じています。
ですから、私は今、どちらの歴史認識が正しいとか、あるいは、国によっては、自国の歴史認識を通り越して歴史物語を語っている国もありますから、それは私たち日本の国から見ても容易に受け入れることはできないという点も多々あると思います。
これは、単なる歴史物語として理解されるのではなく、県民の側から申しますならば、一つの民族問題としてまことにつらい心情を巻き起こすものであると私は感ぜざるを得ないのであります。したがいまして、沖縄県民に対しては当時の海軍の総司令官が終戦の直前、ぜひとも沖縄県民の真心こもる愛国的行動に対して後の日本政府高官は特段の配慮をされたいという旨を述べて亡くなられたという史実があるわけであります。
いわゆる自由民主党への批判というものが厳しい、そこに党再生の政治改革は必要だということを私なりに考えまして、本当は保守合同以来三十有余年にわたりとも書いてみましたが、保守合同も既に古くなりまして、私は保守合同になって後に初めての選挙に出たわけでございますけれども、青年諸君が見たときに、保守合同ということも、左右両派の社会党の統一ということも何か歴史物語のような感じで若い人は見ておるのじゃないかと思ったものですから
たとえば一例をあげると、しからば田中総理大臣は、あの徳川幕府の末期、これはもう歴史も近いですから、おおよそ歴史物語ではなくてわかるのです。ああいう状態が起きるということは、政治がよかったか悪かったか。政治がかなり乱れておったと私は思うのですね。徳川幕府の末期になってくると、幕政というものが乱れて、ものすごい、いまの東京、江戸の町もいろいろな問題が起きておった。
この日は、ドゴール政権にとっての歴史物語上の記念日であるかもしれませんが、法律的には何ら意味を持たない目であります。パリに入城したというものの、フランス全土に支配権が及んだわけでもなく、連合国がドゴール政権を承認した日でもありません。連合国の承認したのはその年の十月二十三日であります。現実に政権ができて、外国からも認められた時期といえば、むしろ十月二十三日説の方が根拠が強いわけであります。