1950-11-26 第9回国会 衆議院 本会議 第5号
また行政管理庁長官としての私の所信をお尋ねでありましたが、肥料の今まで発達いたして参りました歴史をつぶさに検討いたしまして、これを慎重に考究いたしたいと考えておる次第であります。 農民組合法につきましては、事全農民に関する重大問題でありまするので、目下愼重に検討中でございます。(拍手) 〔国務大臣池田勇人君登壇〕
また行政管理庁長官としての私の所信をお尋ねでありましたが、肥料の今まで発達いたして参りました歴史をつぶさに検討いたしまして、これを慎重に考究いたしたいと考えておる次第であります。 農民組合法につきましては、事全農民に関する重大問題でありまするので、目下愼重に検討中でございます。(拍手) 〔国務大臣池田勇人君登壇〕
それから南樺太と千島、台湾及び澎湖島というものは、英・米・ソ・華、この四大国において講和條約の調印後一年間にきめる、もしきまらなかつた場合には、国際連合においてこれをきめるというふうになつておるのでありますが、われわれ日本国民の立場から申しますと、琉球諸島あるいは小笠原諸島というものは、本来歴史的に日本の領土であつたのでありますから、できるならばこれはひとつ日本に帰属するようにしてもらいたい。
またお述べになりました千島なり琉球なり奄美大島なり、その他の歯舞島なりの帰属問題につきましては、その最終決定は連合国の決定にかかることになつてはおりますが、政府といたしましては、実は日本とこれらの諸島との歴史的な関係、あるいは地理的関係はもちろんのこと、民族的な関係等につきましても、必要な資料を整えまして、連合国側の了解を得まする手段を盡しつつあるのでありまして、この点に対してはさよう御了承をお願い
最後に東京水産大学のことにつきまして御質問がございましたが、東京水産大学は、御承知の通り、農林省において水産講習所として多年歴史を持つておつたのでございます。この水産講習所が、学制改革にあたりまして新制大学の設置せられるにあたり、大学に昇格いたしまして、本年から文部省の所管としての大学に移つて参つたのであります。
歴史は古いのだ。これに対して文部当局が、その内容の拡充という面については、あるいは予算的の処置であるとか人的の処置であるとかいうようなことにつきまして、どういうような努力をされて来たか、あるいは水産庁がこれを努力したのであるか。かような面について、予算猛得あるいは人的配置についてかよつなことであるというような努力のあとを、一応御説明を願いたい。
すなわち、日本の国が暴力で、あるいは貪欲によつて略取したものでない、歴史的、民族的に所属する版図は変更されないのが原則であります。この点から考えまして、千島、琉球、奄美大島、小笠原、硫黄島などが決定せられる場合には、その住民の自由意思に反せぬ処理を望むことは当然ではありませんか。
成立宗教のどれに帰依するかということではなくして、何らかの意味において、われわれが絶対者の支配とか、歴史に現れているところの真理性の勝利とか、そういうことに対する確信を強く持つているということは、これは生きて行く者にとつてすべて必要だと思います。
事前にこういう問題は委員会でも話題になつたわけでありましたが、現行法は非常に古い歴史を持つておる。要する骨董的な存在価値しかないというような存在になつておつた。にもかかわらず、水産庁関係ではこれをそのままに放置しておいたというようなところから、今日のこういう問題が、遠くさかのぼつて考究されなければいかぬというような意味を持つておると思うのであります。
困難な生活状況の間におきまして従事員は黙々としてその職責の重大さによつて企業体を守つておる現状でありますし、又その期間におきましても、あの歴史的に大変革されましたところの鉄道機構の問題におきまして、いろいろ労務対策の問題につきましても困難な事情を蒙つておる状態であります。
運輸省の機構は、一見厖大のような感じがないではないのでありますが、交通行政の合理化、一元化という必要性から、紆余曲折を経て今日に至つたもので、その歴史について深く考察せずして、無統制に拡大されたというのは当らないと思うのであります。
第一に、特定局長会廃止についてでありますが、特定局長会はその五十有余年にわたる活動の歴史から見まして、ボスの集団とまで見られる向きもあつたようでありますが、他面郵政事業運営上の補助機関としまして、その存在価値が大であつたことも忘れてはなりません。このたびの廃止措置は、地方現業組織に相当の困難を生じたものと思われるのであります。
まず特定局長会の廃止についてでありますが、右制度に関しては、特定局長側並びにその監理者側、双方の事実上の必要に基き、五十数年にわたる長い歴史の間に、現体制が漸次確立さるるに至つた経緯にかんがみ、いまや全事業の中心的不可欠の存在となつた右制度を廃止すること、及び右度制の廃止に伴う機構の空白を補充するために、郵政省の現にとらんとしている方策については、ともに幾多の疑点が存し、今後における事業運営の推移については
だからその点を尚研究して、何か教材等にもそういうものを盛り込むとか、或いは宗教の歴史を教えるとか工夫をいたしたいと思つております。
けれどもそれを考える場合に非常に重要なことは、世界国家というと、すべての国家が自分を解消してしまつて、そうして一つの国になるのだという、そういう考え方がありますが、私はそういうコスモポリタン的な考えではなくして、すべて国家がそれぞれの歴史と伝統とを持つて、それぞれに存立していて、而も国家連合というような形で以て連合をして、戰争というようなものを防止してしまうというような形の世界国家でなければ、本当の
最後に私は、肥料のいわゆる行政機構としては、当初農林省にあつて非常にかずかずの不便がもたらされたからこそ、その生産部門が商工省にかわつたということは、柿手さんもおられたが、肥料の歴史をお調べ願えばわかると思う。今日肥料が配給統制をはずされて、すでにこのような混乱である。
○横尾国務大臣 農林大臣の御答弁にも、この生産部門が通産省に移つたことに対して、歴史があるということをおつしやつたようにも私は覚えております。全面的に向うに持つて行くのだというようなお話のようには受取らず、よく討究してからというようなお答えのように私は受取つたのであります。それによつて再び私はよく討究してということをお話したように思つております。
その官設消防がたまたまそこの町にあつたためにその町がそれを引受けたというような歴史的な経過になつておるのですが、そういうものがなくして、新らしく消防組織法によつて消防を置くというならば、自分の町なり自分の村には置かなかつたのだというような意向もあつたようです。いわゆる小さいところの町にも現存相当置いてある、こういう現状のようなんであります。
それから又中共の意図というようなものにつきましても、これは結局時間的要素の問題でないかと考えるのでありまして、長い目で見れば中国の今までの歴史であるとか、或いは中国の国民性というものが大きく影響いたすと思いますが、その近い当面の問題としては必ずしもそうは行かないというふうに考えられる情報もあるのであります。
恐らく過去の歴史を調べましても、池田君が仮に洲崎、亀戸、玉の井、新田、過去の経歴を眺めますと、四ヶ所も五ヶ所も転転といたして参つた。果してこのときに一つの中に生業が入つていたでありましようか。私は今日率直に申上げます。
ただ取締当局といたしましては、いろいろの公娼制度廃止の過去の歴史から考えまして、この公娼制度を復活するということは、国際的の関係その他を勘案いたしまして不適当じやないかと私は考えております。
そういう歴史的な経緯から言つても、單に一般官吏そのものと同然であるという考え方を以て従来やつて来たものではなかつたと考えられる。而も御承知でありましようが、二千九百円ベースの改訂の場合には、閣議決定を以て教職員は現業であるとして、十七割という線で給與を支給するという決定になつて、いわゆる非現業十六割、現業十七割、こういうことで給與がなされて今日に来ておる。
行政管理庁におきましては、肥料行政の今までの発達過程を考えまして、一つの案をつくつておるのでありますが、前からの歴史を考察いたしますると、これが農林省にある方がよいように思われるのでありまして、成案を得ましてから、通産省をよく相談を申し上げたいと考えております。
○説明員(越田得男君) 住宅問題の過去の歴史につきましては、只今建設省のお話がございましたようなわけでありまして、その後は今日の厚生住宅の問題が起きますまでは、別にそういう正式のお話を申上げたことはないと私記憶いたしております。
先ほど私の方から報告に述べましたように、本施設創設以来の歴史としては十余年を過ぎておりますが、特に急激なる増加をみるに至つたのは、昭和二十四年以降であると申しております。本年八月現在は施設の数二百五十、その聽取者数一万三千に達しておりまするが、これが目下工事中のもの及び計画中のものを合算いたしますと、間もなく施設の数三百、聽取者数二万を突破するものと予想されるのでございます。
これは治水というものを歴史的に見ますれば、文化の進展と共にその推移がはつきり分つて来るのであります。昔まだ河川技術が余り発達しておらないときには洪水を直すには水の神様を祀る、即ちそれより外にはなかつたのであります。
○專門員(武井篤君) ダム・サイトがアメリカのような割合に勾配のゆるい而もポケツトが大きくなるというような地点が得られるとよいですが、現在この水路式の発電が日本に発達して来たということは、その地形に応じてできた歴史的な意味があるのじやないか、こういうようなふうに思うのですが。
私は歴史学を專攻しており、今日もその学問に没頭しておるわけでありますが、そういう立場から見ますと、従来国宝、重美、あるいは名所旧跡に説明されておる立札というものが、幾世代も前の人たちが伝説の中から——ある部分は伝説的なものが非常におもになつてその説明の内容になつておるわけであります。
私もいささか美術の歴史を專門とする者として、ことに奈良の辺、京都という、日本文化の中心地をしきりに歩いておりまして、あの辺の立札というものが、ほんとうはそこの寺あるいは神社あるいはその宝物を、国民文化の貴重なる遺品として十分説明すべきものであるにもかかわらず、非常にまちまちなものであることを、私自身痛感しておりまして、またその実情もよく知つておるのであります。
○若林委員 目下文部省におきまして、博物館法制定のためにいろいろ準備を進められておると聞くのでありますが、わが国は古い歴史を持つておりますから、国土全体が私はリビング・ミユージアムであるという気持があるわけであります。