1949-05-22 第5回国会 参議院 本会議 第31号
これについては、初めは歩兵曹長であるとか、或いは歩兵伍長であるとかいろいろなことを言つて隠して來ました。最後にこれは、ばれてしまつておる。そうしてピストルを前に置かれて、これはどうだ、本当のことを白状しろというところまで追い詰められております。この不安というものは彼をしてどういうことをさせたかというと、一言にして申しますると、警察的、憲兵的のスパイ制度であります。これは極めて巧みなものであります。
これについては、初めは歩兵曹長であるとか、或いは歩兵伍長であるとかいろいろなことを言つて隠して來ました。最後にこれは、ばれてしまつておる。そうしてピストルを前に置かれて、これはどうだ、本当のことを白状しろというところまで追い詰められております。この不安というものは彼をしてどういうことをさせたかというと、一言にして申しますると、警察的、憲兵的のスパイ制度であります。これは極めて巧みなものであります。
翌る日今度は歩兵曹長に変えました。電氣を通じて取調べてを受けました。それから二回に亘つてやはり曹長で通していた、こういうふうに述べております。十二日の速記録十六ページ、それが蒙古でばれ、憲兵隊の者であるということがばれたことについて池田氏はこういうように証言をしております。二十一年八月の三日だつたと思います。
そうして私がやはり前に言つたように、歩兵曹長吉村重善と書いて、そのときはフサヨシと読んでおりました。そうするとそれは違う、君はとにかく隠しておることがあるからと言つて、そこで拳銃を出されて本心を言わなければこれで殺すからと言われました。その場で私は全部裸体になりまして、どうせ連れて來ておられるのですから私は絶対嘘を言つていることはありません。
ところがそのときは紙にも何にも筆記されておりませんが、そのまま通りまして、明る日お出でになりまして、又取調を受けたときは今度は歩兵曹長に変えました。そうして歩兵曹長になつて取調を受けまして、今の型通りの取調を受けましたが、今度は第二回に聞かれたことは、やはり終戰当時は酒が少し渡りましたから、それを飲んでおりました。
○淺岡信夫君 あなたは歩兵曹長として取調べに際して、そのまま押し切つたということでありますが、その当時少佐であるという疑を受けたことがありますか。