1967-05-17 第55回国会 参議院 決算委員会 第8号
それでだいぶ昔のことだからということでありますが、三十四年ごろからこの交渉が持たれ、伝えられるところによると、当時は、武藤勝彦院長は最初このような米軍の申し出に対して不賛成であったらしい。ところが結局、これは承諾してしまった。どうしてこれは承諾したか、この間の事情について、大臣これはどういうふうにおつかみになっていらっしゃいますか。
それでだいぶ昔のことだからということでありますが、三十四年ごろからこの交渉が持たれ、伝えられるところによると、当時は、武藤勝彦院長は最初このような米軍の申し出に対して不賛成であったらしい。ところが結局、これは承諾してしまった。どうしてこれは承諾したか、この間の事情について、大臣これはどういうふうにおつかみになっていらっしゃいますか。
○説明員(安藝元清君) 当初は、一九六〇年五月二日に、地理調査所長武藤勝彦と、極東米陸軍地図局長代理との間で覚え書きが確認されておるわけでございます。その後、毎年、五回にわたりまして覚え書きの交換がなされておるわけでございます。
(港湾局長) 中道 峰夫君 委員外の出席者 総理府事務官 (経済企画庁総 合開発局参事 官) 竹田 達夫君 総理府技官 (科学技術庁資 源局長) 黒沢 俊一君 建 設 技 官 (営繕局地理調 査所長) 武藤 勝彦
外務事務官 (アメリカ局 長) 森 治樹君 外務事務官 (条約局長) 高橋 通敏君 郵政事務官 (大臣官房長) 荒巻伊勢雄君 建設事務官 (大臣官房長) 鬼丸 勝之君 委員外の出席者 建設省地理調査 所長 武藤 勝彦
総理府技官 (科学技術庁原 子力局次長) 法貴 四郎君 通商産業技官 (地質調査所 長) 兼子 勝君 運 輸 技 官 (港湾局建設課 長) 佐藤 肇君 建 設 技 官 (地理調査所 長) 武藤 勝彦
○説明員(武藤勝彦君) さようでございます。五月ごろから移転を開始したいと思っております。
○説明員(武藤勝彦君) さようでございます。
○説明員(武藤勝彦君) さようでございます。
奧野 誠亮君 総理府事務官 (経済企画庁開 発部長) 植田 俊雄君 林野庁長官 石谷 憲男君 委員外の出席者 農林事務官 (振興局振興課 長) 庵原 文二君 建 設 技 官 (地理調査所 長) 武藤 勝彦
委員外議員 秋山俊一郎君 国務大臣 建 設 大 臣 野田 卯一君 政府委員 特別調達庁長官 根道 廣吉君 特別調達庁管理 部長 長岡 伊八君 事務局側 常任委員会專門 員 武井 篤君 常任委員会專門 員 菊池 璋三君 説明員 建設省地理調査 所長 武藤 勝彦
○説明員(武藤勝彦君) 速記をちよつと……。
○説明員(武藤勝彦君) いやこれは、無論私どもの想像といたしましても、これは当然名前が変つて来ると思います。従つてその名前が変つて参りましたならば、当然これは変えて行かなければならんものと私考えております。併し今のところどうなるのかわかりませんので、そのままにいたしておる次第でございます。
○説明員(武藤勝彦君) こたから先米軍で写真を撮るか、撮らないか、これは私まだ関係方面からも聞いておりません。これについては今のところ何も私にわかつておりません。
○説明員(武藤勝彦君) 私の知つている限りではあるとは考えておりません。私存じません。その点については……。
○説明員(武藤勝彦君) 米国から貸与されておる空中写真の利用状況につきまして、御説明申上げます。 そのあらましはお配りいたしました刷物にある通りでありますが、先ず地理調査所におきまして今までに複製いたしました原板は、縮尺約四万分の一のものおよそ五万六千枚、縮尺約一万分の一のものおよそ五万枚でありまして、約四万分の一の縮尺のものは殆んど全国を蔽つております。
深水 六郎君 小笠原二三男君 三輪 貞治君 国務大臣 建 設 大 臣 野田 卯一君 事務局側 常任委員会専門 員 武井 篤君 常任委員会専門 員 菊池 璋三君 説明員 建設省河川局治 水課長 伊藤 剛君 建設省地理調査 所長 武藤 勝彦
岡野 清豪君 出席政府委員 総理府技官 (特別調達庁次 長) 堀井 啓治君 建設政務次官 塚原 俊郎君 委員外の出席者 建設事務官 (大臣官房文書 課長) 小林與三次君 建 設 技 官 (地理調査所 長) 武藤 勝彦
(特別調達庁長 官官房長) 辻村 義知君 総理府事務官 (特別調達庁管 理部長) 長岡 伊八君 委員外の出席者 人事院事務官 (給与局職階部 長) 尾之内由紀夫君 建 設 技 官 (地理調査所 長) 武藤 勝彦
〔書記朗読〕 陸地測量師に対する恩給復活に関する請願(第一五六〇号) 請願者 東京都世田谷区世田谷四丁目六百六十五番地武藤勝彦外九百九十七名 紹介議員 高木 章君 坪川 信三君 本請願の要旨は、陸地測量部に永年奉職して来た高等文官技術者は、今次大戰のため恩給を支給されていないが、これらの技術者は、戰時、軍部に奉職して来たとはいえ、その職務は、平和産業への教育、交通並びに地上施設の設計資料
○証人(武藤勝彦君) 私のこれからお話申上げようと思います南海地方の地盤の変動は、主としまして水銀測量によつて得ました結果についてでございます。
○証人(武藤勝彦君) 瀬戸内海の島の高さの調査は、地質調査所でおりましたのは三ヶ所とつておりますが、そのときの調査が僅かに現在あるだけでございます。一番西の方は、つまり三原付近から四国の北の出つ端の附近に通したその間の島では、広島の低下を約一デシと考えまして、場所によりましては二デシ四、五センチ或いは三デシ五、六センチそういつたような程度の島の低下になつております。
赤木 正雄君 委員 石坂 豊一君 大隅 憲二君 安部 定君 久松 定武君 佐々木鹿藏君 証人 東京大学教授地 震研究所員 河角 廣君 厚生省公衆衛生 局水道課 田辺 弘君 建設省地理調査 所長 武藤 勝彦
南海地震の影響による地盤沈下その他に関して、東大の地震研究所の河角宏君、厚生省水道課の田辺弘君、地理調査所長武藤勝彦君、このお三人を承認として招致して、河角君と武藤君に南海地震の影響について、田辺君から渇水期における衛生その他に対する影響いついて、この人は大連の方でこれらの経験があつたことと思いますので、これらを中心として証言を求めたいというので、大体この次の金曜の本委員会で証人としてお話を聞こうと
定助君 今村 忠助君 宇田 恒君 大西 弘君 瀬戸山三男君 宮原幸三郎君 上林與市郎君 増田 連也君 出席政府委員 建設政務次官 内海 安吉君 建設事務官 (官房長) 澁江 操一君 建 設 技 官 (地理調査所 長) 武藤 勝彦
笹森 順造君 出席政府委員 運 輸 技 官 (海上保安廳水 路局長) 須田 睆次君 建設政務次官 内海 安吉君 建設事務官 (建設大臣官房 長) 澁江 操一君 建 設 技 官 (建設省地理調 査所長) 武藤 勝彦
(建設大臣官房 長) 澁江 操一君 建設事務官 (総務局長) 中田 政美君 建設事務官 (都市局長) 財津 吉文君 建 設 技 官 (河川局長) 目黒 清雄君 建 設 技 官 (建設省地理調 査所長) 武藤 勝彦
委員 岩崎正三郎君 遠山 丙市君 堀 末治君 安部 定君 久松 定武君 北條 秀一君 政府委員 建設政務次官 赤木 正雄君 建 設 技 官 (河川局長) 目黒 清雄君 建 設 技 官 (地理調査所 長) 武藤 勝彦
○政府委員(武藤勝彦君) 農地改革を、將來考えられます、全國を統一してやるというような大きな測量でありましたならば、この法律の適用を受けることが当然でありまして、こういう場合でありましたならばこれは出て來ると思います。
○政府委員(武藤勝彦君) さようでございます。
○政府委員(武藤勝彦君) さようでございます。