2016-04-20 第190回国会 参議院 決算委員会 第7号
福井は熊本と特別の関係がございまして、幕末に熊本藩主細川家から福井藩主松平春嶽公の正室がお腰入りされたこと、また、熊本藩士で維新の十傑にも数えられます横井小楠が招聘されて藩政改革を福井藩の方でなされた際に、後に五箇条の御誓文を起草することになります由利公正などを指導した、こんな御縁がございまして、福井市は熊本市と姉妹都市でございます。
福井は熊本と特別の関係がございまして、幕末に熊本藩主細川家から福井藩主松平春嶽公の正室がお腰入りされたこと、また、熊本藩士で維新の十傑にも数えられます横井小楠が招聘されて藩政改革を福井藩の方でなされた際に、後に五箇条の御誓文を起草することになります由利公正などを指導した、こんな御縁がございまして、福井市は熊本市と姉妹都市でございます。
篤姫は薩摩の幕末の名君、島津斉彬の養女から十三代将軍家定の正室になりました。徳川家と討幕派、薩摩藩の板挟みとなりながら、いったん嫁いだからにはと、最後まで徳川家を守った薩摩の女性が一年にわたってテレビで描かれます。 幕末の薩摩といえば、西郷や大久保など多くの偉人を輩出しましたが、彼らの共通点は、母親が偉かったことだと言われています。
平安時代にさかのぼりますと、嵯峨天皇には、正室、側室が何と二十九人おりまして、皇子女は五十人を数えております。京の都平安京を開いた桓武天皇は、同じく二十六人、それから、お子様は三十六人を数えております。 したがって、こういう皇位が男子でずっと続いてきたということは、側室の力が非常に大きかったというふうに考えてよろしいかと思います。
まず第一に、大阪地方検察庁におきましては、正室におきまして井嶋検事正、それから次席検事、卜部特別捜査部長の三名の方の一緒なところでその捜査の進展についてお伺いしたわけでありますが、その要点は、卜部特捜部長からの説明によりますと、一億二千万余の横領の問題について、六千二百万については被告発人である丹波秀伯氏は一応の弁解はしておるが、五千八百万については、いままでわれわれが聞いておりました以外のことが言
檢事正室へ呼ばれまして、次席檢事もおられましたし、私と橋本檢事と四人同座していたと思います。檢事正、次席から実は今度——たしかどこかの新聞社と言つたと思いますが、ある筋から当檢察廳内の木船という事務官に関して汚職行為があるという情報が入つた、これを調べなければならないが、さてたれにやつてもらおうかという話がございました。
そうして二月十三日ごろだつたと思いますが、檢事正、林次席檢事、私、それから本間事務官の四人が、檢事正室で木船事件の木船手記に基く拡大会議をやりました。
それで二月十日ごろ相当具体的な事実が出て來たので、私は橋本檢事の命令を受けて、その日約八時間ほどの間、木船君と二人でいろいろその木船君がしたためておつた手記によつて、その事実の眞否を確かめて見ましたが、相当深刻な事実が伏在しておることが察知されて來たので、このことを橋本檢事に報告して、二月の十二日に檢事正室で、市島檢事正と林次席、橋本檢事正と私の四人が派生した事件についての打合せをすることになつたのであります
○清水證人 あれは北島氏とは、私が二十一年の三月にあそこへ赴任したと思いますから、それから半年ばかり経つたときに、檢事正室と檢事室とは別々になつておりますが、その檢事室に参りましたときに見知らん人が來ておつて、檢事からこの人が北島源一だ、こういうことを聴いたので、それから知つたのです。それで二十一年の十月か九月ではなかつたかと思います。
檢事正室にはございません。