1984-04-05 第101回国会 衆議院 内閣委員会 第6号
オープンカーに乗ってさっと手を振って、大変華やかな歓迎陣がしかれた。ところが我が国の天皇は、防弾ガラスのついた四角い、何もスマートでないごっつい車に乗られてお通りになる。むしろ外国から来られた王室の方がそうであるなら別ですけれども、警護の関係もあるいはあるでしょうけれども、行き過ぎた警護というのはどんなものでしょう。
オープンカーに乗ってさっと手を振って、大変華やかな歓迎陣がしかれた。ところが我が国の天皇は、防弾ガラスのついた四角い、何もスマートでないごっつい車に乗られてお通りになる。むしろ外国から来られた王室の方がそうであるなら別ですけれども、警護の関係もあるいはあるでしょうけれども、行き過ぎた警護というのはどんなものでしょう。
非常に丁重な歓迎陣でございまして、まあ、あちらさんの係の人の申しまするには、公式に御訪問になっていたしますいろいろな行事を一時間四十分に詰めて全部いたしますというような、たいへんな歓待ぶりでございました。
それで九月二日に鹿児島空港に午後四時ごろ着かれて、空港自体でも、いまだかつて空港創設以来の多くの歓迎陣を集めておるということから始まって、いまのパレードになるわけです。そうして、九月三日の午前に鹿屋基地と国分駐とん部隊、これは陸上です。海上、陸上の基地を視察しておる。これは九月三日の午前だけです。そうでしょう。そうして、午後はもう祝賀式とかそういうものに参加しておる。
最初わが党だけ迎えるということに話がきまつておつて、あとから各党一緒ということになつて各党でいらつしやつたのでありますが、李徳全女史がお見えになるから君ひとつ先に帰つて日本で少し歓迎陣その他について遺漏のないように手伝つてくれと言われて帰つて来たのであります。これは特に、松本治郎氏がわが党の参議院議員で日本中国友好協会会長をしておりますから、その代理というので帰つたのであります。
その際に、羽田税関といたしましては、先ず羽田税関支署の次長がベヴアン氏の案内役となりまして、一応挨拶を交して、歓迎陣の歓迎の一段落するのを待ちまして、例の通り入国待合室のほうへお連れしたわけであります。その間におきましても、新聞班が盛んにフラッシュをたきまして、一行の方々は大分迷惑そうな顔だつたそうであります。