2016-04-06 第190回国会 参議院 地方・消費者問題に関する特別委員会 第6号
私、韓国で、実際出張して彼らと話をしてきますと、もう本当にその町の人たちと混ざって汗をかいて、彼らもプロですから、その三年なりでしっかりと成果を出さないと、次自分はもうないという危機感の下でやっているものですから、そういう意味で、全くちょっと様相が違うなというふうに見えるわけなんですね。
私、韓国で、実際出張して彼らと話をしてきますと、もう本当にその町の人たちと混ざって汗をかいて、彼らもプロですから、その三年なりでしっかりと成果を出さないと、次自分はもうないという危機感の下でやっているものですから、そういう意味で、全くちょっと様相が違うなというふうに見えるわけなんですね。
しかし、この場合は、困っておる人がおるというときに、それはもし次、自分の番になったときには、もうとてもじゃないけどほっておかれたらたまらぬぞということで相身互いなんだという、まさに自然発生的な、あっちやこっちやで社会契約みたいなものができて、それがボランティアという形を取っていくというのが私はボランティアなんじゃないかなというふうに先ほど来のお話で感じた次第でございます。
これはすごい記憶力だなと初めは感心していたんですが、結局のところ、今回も問題になっておりますけれども、幹部のいわゆる固定化といわゆる横並び昇進という、そこのところがあるものですから、そういうのを覚えておくと、次、自分がどういうポジションになるのかとか、そういうところにきっと気になって関心があったからそういうことを覚えたんだろうと思いますが、我々にとっては、ほとんどそんなこと関係なくやってきた人間からすると
断ったら、次、自分のところへ仕事が回ってくるかわからない。無理を承知で家族でやっているもので、運転はできないけれども、自分の息子を添乗員がわりに積んでいった。結局、その人が亡くなった。
なかなか、今役所にいますと、仕事が非常に忙しい割には、次、自分がどうなるのかというのが非常に見えにくいというところと、仕事の中身が、自分がやっている分野に加えて、行政改革とか組織改革とかあるいは様々な雑務も含めて、なかなか自分の思ったような仕事ができないという、社会保障をやりたいと思って入ってきても、なかなか社会保障だけでき切れないというところもありまして、そういったところもあって辞める人が増えているのかなという
ですから、自分が住んでいて自分がメンテナンスを非常によくするということが、次、自分がもうちょっと別の家に住む、替わるときに高く売れるということで、一生懸命自分の家のメンテナンスをしていくというところですね。 諸外国と違うのは、日本は住宅の価値というのが、評価がすごく低くて、一戸建ての場合はもうほとんど土地ですね。マンションでももう非常に低くなっていくと。
私も、食べること、食生活というものは、やはり人間の基本、人生の基本であり、子供たちが、次、自分が子供を育てる代になって、やはりその習慣また姿勢というものが伝わっていくのではないかと思っております。 その点で、このたび創設になります栄養教諭、社会的背景まで含んだ幅広い理解と個別の対応が求められていると思います。
この次自分が行くときには握り飯を持って宇宙飛行の旅に出るんだ、こう言って意気軒高としておりました。
どうもああいうような機能で一切民間任せでやりますと、仮にちょっと悪いといいましても、それは同業者の中ですからね、これはおまえのところのタイヤだめだと言うと、この次自分のところへくるとどういうこと言われるだろうと、これは人間の人情のしからしむるところで、お互いに余り言いたくない、しっかりした機能が発揮できないという感じがあるんではなかろうか。
したがって、もうがまんできない、これはどれだけ迫害されてもいま声を大にしてやらなかったならば、この次自分の谷へ集中豪雨がきたときには、下流何百戸かあるいは何千戸か知りませんけれども、流れてしまうのじゃないか。ここに七、八年前工事をしておったこの問題が大きく浮き上がってきた。
そしてそれは同時に上級職員の、今の幹部諸君にとっては、同時に自分のあすの問題だから、あしたこの次自分が退職したときやはりその公邸を自分に入れて、ここにも私のところに投書があります。あとで読もうと思っているのです。こういう格好で行われているのだから、従ってこの前のような日銀の答弁は、私は非常に不当だと思う。