2010-10-22 第176回国会 衆議院 法務委員会 第2号
四年の六月の上旬に村木さんが上村さんに指示をしたという起訴状になっているんだけれども、捜査報告書によれば、五月三十一日の深夜、六月一日の未明にこのにせの証明書の作成がなされたという捜査報告書が出ているということで、これは公判請求を維持するかどうかということの根底を覆す極めてゆゆしき事実だというふうに思いますけれども、この第一回公判での訴訟の状況を受けて、特捜部長、当時の特捜副部長、または大阪地検次席、検事正
四年の六月の上旬に村木さんが上村さんに指示をしたという起訴状になっているんだけれども、捜査報告書によれば、五月三十一日の深夜、六月一日の未明にこのにせの証明書の作成がなされたという捜査報告書が出ているということで、これは公判請求を維持するかどうかということの根底を覆す極めてゆゆしき事実だというふうに思いますけれども、この第一回公判での訴訟の状況を受けて、特捜部長、当時の特捜副部長、または大阪地検次席、検事正
特捜部で申し上げますと、特捜部の中に副部長、部長がおり、さらにその上に大阪地検次席、検事正がおります。それから、内容によりましては、さらに高検、最高検まで協議をした上で、事案の重さ、それから重要性にかんがみて、それぞれの段階まで決裁、了解を受ける、こういうシステムとなっております。
検察庁のほうについて申し上げましても、大体検事正、次席検事正、それから検事局の監督書記、控訴院の検察局の事務局長そういうのが大体持つておつた、非常に官舎としては少なかつたのでございます。
○証人(渡辺留吉君) 勿論私一人が決定すべきものではなく、而も私はこの事件では主任検事ではなくして、岡崎主任検事の補助として捜査に当つておつたというような関係にありましたので、常に部長或いは次席検事正の指揮を受けつつやつておつたわけであります。