1973-06-20 第71回国会 衆議院 文教委員会 第23号
研究部門と教育部門の欠陥、教育部門の欠陥を補なうためには教育の責任の地位にある人をぜひ派遣して、それを中心によい、直接の先輩、後輩の指導をするという道を開くこと。 また、東京教育大学が消えるわけでございますが、東京教育大学は従来の日本の教育をつかさどった、りっぱな先生方が輩出されたところである。また、身体障害者などの特別の不幸な人々に対して、機会均等の教育を与えてきた歴史を持った大学である。
研究部門と教育部門の欠陥、教育部門の欠陥を補なうためには教育の責任の地位にある人をぜひ派遣して、それを中心によい、直接の先輩、後輩の指導をするという道を開くこと。 また、東京教育大学が消えるわけでございますが、東京教育大学は従来の日本の教育をつかさどった、りっぱな先生方が輩出されたところである。また、身体障害者などの特別の不幸な人々に対して、機会均等の教育を与えてきた歴史を持った大学である。
しかし、よく考えてみますと、最近の親子の断絶、あるいは新しい相続制度、あるいは国民全般の権利の主張、特に妻の権利の主張等を考えてみたり、老人問題を考えてみたり、また少年事犯に関連いたしましては欠陥教育、性のはんらん等を考えてみました場合に、家庭裁判所が扱う事件の質、量あるいはそれが社会、個々の家庭、大きくは国家に与える影響というのは、私はきわめて重要ではないかという感じがいたしまして、そういう角度から
この九名の乗っ取り犯の主犯と目されております田宮高麿というのは、実は私の高等学校の後輩でございまして、そういう人情論から入るわけではさらさらございませんが、彼らの年齢、背景を考えました場合、私は、こういう学生、いわゆる欠陥学生と申していいと思いますけれども、こういう欠陥学生が生まれたのは、欠陥教育があったからであるし、欠陥教師がおったからだという見方も率直にできると思います。
ハイジャックでございますけれども、この種の事件の一番大きな原因は、やはり欠陥学生と名づけていいと私は思うのですが、ああいう欠陥学生が生まれた背景には欠陥教育があり、欠陥教師がおったからで、また戦後の教育全体の、あるいは選択の価値観全体の総決算と申しますか、あるいは彼らも犠牲者だという見方もできるわけでございます。
欠陥学生は、戦後における欠陥教育の所産でもあると思います。(拍手) 昨年の通常国会で強行採決をされました大学臨時措置法は、当時わが党が批判をいたしましたように、もっぱら紛争大学の封鎖解除をねらいとした治安対策的な色彩の濃いものでございました。
○岡沢委員 ここで私は、大学紛争の本質に触れた質問をしたいと思うのでありますけれども、先ほどの暴力学生というのは欠陥学生と見ていいと思うのですが、欠陥学生が生まれた背景ということを考えました場合、彼らの年齢を考え、家庭を考えますと、その彼らが大学の前に学んだ小学校、中学校、高等学校、十二年間の教育、そこにおける欠陥教授、欠陥教育ということをやはり考えざるを得ないと思う。