1987-08-19 第109回国会 衆議院 農林水産委員会 第4号
そこで、外務省に伺いたいわけでありますが、昭和五十七年三月十八日の参議院予算委員会で当時の櫻内外務大臣は、韓国に不法占拠されている竹島の問題について、昭和二十七年から同五十七年一月まで韓国に対して計五十六回の抗議申し入れをした、こういうふうに公表しているわけであります。
そこで、外務省に伺いたいわけでありますが、昭和五十七年三月十八日の参議院予算委員会で当時の櫻内外務大臣は、韓国に不法占拠されている竹島の問題について、昭和二十七年から同五十七年一月まで韓国に対して計五十六回の抗議申し入れをした、こういうふうに公表しているわけであります。
例えば一九八〇年、昭和五十五年には伊東外務大臣が、八一年には園田外務大臣が、八二年には櫻内外務大臣が、八三年、四年、五年は安倍外務大臣がその演説をなさっております。また、一九七〇年、昭和四十五年、第二十五回の記念総会においては佐藤栄作、時の総理大臣が北方領土返還についての演説をなさっております。一九八二年、昭和五十七年の軍縮特別総会におきましては、時の鈴木善幸総理大臣が演説をなさっております。
そこで、この中身について具体的な一つの提案として、私は国連において日本が提案国となることを要望して、その当時外務大臣は櫻内外務大臣だったのですが、外務大臣は、発言の趣旨は全く同感である、したがってどのような具体的な貢献を日本としてなし得るか、積極的に検討すると答弁をされているのです。また、積極的検討という御答弁だったわけです。
櫻内外務大臣のあのときの予算委員会の議事録では核先制使用についての合意としてこれを明白に述べている。日米間の取り決めであるんですよ。だからこそ中曽根首相は岡崎さんの質問に対して、向こうが通常兵器であっても他に手段がない場合は核兵器使うことを排除できないと答弁するんですよ。これは私は唯一の被爆国として本当に許せないことだと思うんですね。
これは外務省にお伺いしますが、これは私、去年も予算委員会で聞いたし、それからおととし私も聞いたんですけれども、五十七年の二月十九日の衆議院予算委員会で当時の櫻内外務大臣は、通常兵器による攻撃であっても、その場合アメリカが日本を守るために核兵器使うということについては昭和五十年八月六日の三木・フォード日米共同新聞発表、こういう日米合意があるんだと、そういう答弁をしているのですね。
それにこたえまして国連演説で、外務大臣、当時櫻内外務大臣でありましたか、この平和維持機能の強化につきまして演説をいたしました。私も引き続いて演説を繰り返しております。同時に、日本としましても、デクエヤル事務総長の提案を踏まえて、日本の学識経験者等の提言、国連のいわゆる平和維持機能の強化についての提言を行っておるところであります。
ところで外務省、お尋ねをしますが、昭和五十七年四月、その大蔵委員会のすぐ直後、十四日、衆議院外務委員会での我が党の野間議員の質問に対して、当時の櫻内外務大臣、まず、国内資料を探すため努力する、それは可能なことだと、こういう答弁があるわけですけれども、しからばこの二年間、外務省がどういう調査をして、どういうまとまりができてきておるんですか。
地政学的に西側と言うのじゃなくて、西側という言葉自体も定義をはっきりさせなければいかぬということを櫻内外務大臣の当時から私は申してございましたが、アメリカの世界戦略の中に組み込まれた国々を西側と言っておるのではないだろうか、こういう気がいたしてならないのでありますが、あなたはこの西側という言葉はどういうようにおとりになっておるのか、外務大臣の御見解を承りたい。
その事情は、その都度私は外務委員会で、一九七八年、昭和五十三年五月園田外務大臣当時にもお尋ねをし、一九八○年、昭和五十五年当時には大来外務大臣にお尋ねをし、次いで一九八二年、昭和五十七年当時には櫻内外務大臣に数だびお尋ねをしてきたわけなんです。
関税負担率の比較ということはよく行われるわけでございまして、昨年ガットの閣僚会議がございましたが、そのときに日本政府代表として櫻内外務大臣が演説をされましたが、その演説の中で、日本の関税負担率はいまや世界で一番低い、つまり、世界で最も開放された市場であるという演説をされたわけでございまして、数字的にあらわれる関税以外のものは非常に比較がむずかしいわけでございますけれども、私どもも、日本の市場が言われるほど
これは昨年の五月にブロック米通商代表がパリで櫻内外務大臣に対して手渡したブロック書簡、この書簡の添付文書に「日本の総理大臣の日本市場開放宣言案」なるものが添付されていた。ところが、これは実は外務省が何も知らないつんぼ桟敷の中でこういうものが逆に向こうから手渡された。
かつて櫻内外務大臣が領土問題で二国間の話し合いをと言って訪日を要請したわけでありますが、それについては何の答えもなかった、そういう経過もあります。どういう内容についてお話しになられるのか。また、アフガン侵攻後正式な形で訪日をしたということはない。
それから、昨日櫻内外務大臣の談話が出ておりますが、それはもうすでに報道されておりますので内容は省略いたしますけれども、その中で申し上げておりますことは、もちろん今回の痛ましい事件に対する遺憾の意がございますが、「イスラエル軍の支配する地域でパレスチナ難民虐殺事件が発生し、多数の無事の難民が犠牲になったことは、まれにみる暴挙であり、わが国としては、かかる残虐な行為に対し激しい憤りを表明する。」
カイロ宣言のこの項に対して櫻内外務大臣はどういう御認識ですか。これは違うという認識ですか、このとおりだという認識ですか、大臣の認識を聞きたい。
そこで、この間櫻内外務大臣も靖国神社へお参りをしたわけです。これは午前中わが党の先生からもお話があったわけですけれども、あのときに、そのときの心境を話をされたが、なるほど日本の戦死者、あなたのそばにおった人もたくさん死んだ。そしてそれにお参りをした。
○河上委員 そういう点から見ますると、いま櫻内外務大臣中心に鈴木内閣としてこの教科書問題の解決に当たっておられると思うのでありますが、また、そのことをわれわれは期待をしているわけでありますけれども、そういう際に松野国土庁長官があのような発言をされたということは、閣僚の発言として大変まずいことだというふうに外務当局、担当者の外務大臣として思っておられるのじゃないかと思います。
○河上委員 櫻内外務大臣はいま政府の衝にある者として差し控えさせてほしい、こういうことでございましたが、どうも外務大臣、都合のいいときはそういうことで、また別なときには別な立場を表明されるような気がしてならないのです。 A級戦犯が靖国神社に合祀された、一九七八年十月でございますけれども、そのことはもう十分御承知だと思うのでありますが、櫻内外務大臣は先般靖国神社に参拝されましたお一人でございます。
これは櫻内外務大臣にひとつ所信というか、お考えを聞いておきたいと思います。
なお、引き続いて昨日は、衆議院の外務委員会におきまして櫻内外務大臣がこの教科書問題について、いわゆる日中戦争についてはこれは侵略と認める、さらに朝鮮における三・一独立運動については、これは暴動ではない、独立運動である、こういった説明をなさっているわけであります。
昨日の外務委員会においては櫻内外務大臣は中国、韓国の侵略戦争の批判は正当という見解を明らかにされているわけであります。ここでまず宮澤官房長官は、わが国が戦前戦中、中国、韓国に対してとってきた行為についてどのように認識していらっしゃるのか伺っておきたいと思います。
ですから、櫻内外務大臣は、日本の有力な政府を支える大臣として、また政治家として、侵略戦争ということは、これはその言葉がなじまない、そうお考えなら、外務大臣は堂々とそうおっしゃればいい。侵略戦争という言葉は合わないとお考えなら、それは政治家として堂々とやはりそう大臣の御見解を発表すべきですね。外務大臣にそれぞれの政党がそれぞれの立場できょうは長い時間かけて伺ってきました。
○玉城委員 この問題は、まさに櫻内外務大臣が本当に泥をかぶるという言い方はおかしいですけれども、いま総理の訪中自体が赤信号がついているという大変な状況にあるわけですね。まさに周囲がこの問題で大変な状況にあるわけです。
きょうのこの日本の外務委員会における櫻内外務大臣のこれまでの答弁を伺っておりますと、内容においてはかっての日中戦争に関しては反省をしなければならない、侵略戦争というその内容においては認めるけれども、外務大臣は侵略戦争とはなかなか認められない、こう言わざるを得ません。
この二週間に、初め一これは通産大臣の責任でやったと言われている骨子、十一日の櫻内外務大臣などに対する付記の内容を見ると、その文言の中には、これは否定されておるわけでありますけれども、国内においては衝撃的な措置云々、こういう措置をとるのだ、まさに衝撃的な措置という問題がわが国にも大変衝撃的な事態を与えたわけなんです。だからこそ正式の発表までの間には十数日間、二週間以上もたっている。
新聞によりますといろいろな憶測が出ておるんですが、文部大臣は教科書問題について櫻内外務大臣と会談し、具体的ということはあるかないかよくわかりませんけれども、協議をなされたことがございますか。
そこで、これは内々の手紙だと言うけれども、五月十八日の新聞を見ると、今度は櫻内外務大臣は、この書簡に答えるということで向こうに書簡を出したということが報道されているわけだ。内々の話かもしらぬけれども、また、こっちも内々の話かもしらぬけれども、書簡を出して事実上の交渉をやっているのと違いますか。