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75件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2013-06-24 第183回国会 衆議院 本会議 第35号

かつて、七〇年代後半から八〇年代にかけてのサミットでは、西ドイツ日本を念頭に置いた機関車論がしばしば主張されました。  ドイツについては、近年においても、法人税率の引き下げ、社会保障給付の削減、雇用ルールの変更などの、痛みを伴う構造改革を断行して競争力を強化し、債務危機欧州経済を支えてきたという実績があります。  

松田学

2011-08-10 第177回国会 衆議院 財務金融委員会 第35号

やはり世界全体がオイルショックでのたうち回る、そのときに日独機関車論で、西側世界ソ連圏に負けないようにするには、何としても西側諸国の中で機関車論景気をよくしなきゃいけない、そこであえて赤字国債を発行して景気刺激策をやったわけですね。  これを何とか早く健全化しなきゃならぬというので、発行したときの大蔵大臣大平さんですね。

野田毅

2010-02-10 第174回国会 衆議院 予算委員会 第9号

そして、さらにその後に引き続き第二次オイルショックが起きまして、そのオイルショック景気対策というために、当時サミットで、福田総理でございましたけれども、国際公約をいたしまして、三国機関車論ということで、日本アメリカドイツ、この三国が機関車となって世界経済を引っ張れ、こういうことになって財政拡大が行われ、日本がさらにまた国債を発行して景気の底入れを図った。

豊田潤多郎

2008-11-12 第170回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

福田康夫総理のお父様の福田赳夫総理は、ロンドン・サミット日本機関車論というのを打ち出して景気をぐんぐん引っ張る役割をやった。  しかし、それで財政赤字がふえた。次の大平さんは、財政再建一般消費税を打ち出した。しかし、それが五十四年の十月七日の選挙、麻生総理が初当選したときですけれども、負けた。その次の鈴木善幸内閣は、増税なき財政再建。そして、日米関係がちょっとこじれた。

遠藤宣彦

2008-10-24 第170回国会 衆議院 財務金融委員会 第1号

我が国はやはり輸出産業日本全体を引っ張っていく、機関車論とまでは言いませんけれども、そういう国であります。本当は内需を拡大していかなければという、ここはまた別の議論でありますけれども、そういう中で円高というものがこの国にとって当面マイナスの大きな作用になってしまう、これはもう白川総裁に私が改めて申し上げるまでもないことであります。

亀井善太郎

2006-10-27 第165回国会 衆議院 財務金融委員会 第2号

かつて日米機関車論という議論が交わされたことがありました。二十年前後の昔だと思いますけれども、このときは、アメリカGDPが二五%ぐらい、約四分の一、日本が一五%ぐらい、足して四割のGDPを生産しておりました。ですから、日米が力を合わせればしっかりと世界経済を支えることができる、こういう意味合いもあったと思います。  

竹本直一

2006-10-27 第165回国会 衆議院 財務金融委員会 第2号

しかし、世界主要先進国一つとして、日米機関車論ではないけれども、しっかりとした世界経済の支えになるためには、もっと日本の銀行の存在感が高まってもいいのではないかというふうに思うわけであります。  これについて、金融担当大臣現状認識は同じ、思いも同じだと思いますけれども、考えられる対策としてどんなものがあるか、ちょっと御意見をお伺いしたいと思います。

竹本直一

1998-05-18 第142回国会 衆議院 緊急経済対策に関する特別委員会 第4号

その後、いわゆる世界経済における機関車論といったものの中で大量の公債発行を余儀なくされた。そして、いわゆるゼロシーリングという考え方が昭和五十七年から、昭和五十八年度になると予算編成においてマイナスシーリングというものが出てきた。そういう意味では、私は、随分いろいろな工夫がされてきたなと。  

橋本龍太郎

1997-10-29 第141回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第1号

五十一年から五十四年、御承知のようないわゆる機関車論に基づきまして、積極財政のもとで二〇から三〇%といった極めて高い伸びになっております。それから、五十五年以降平成二年度までの約十年間、これは第二次オイルショック後の総需要抑制、さらに財政再建期間ということがありまして、ほぼ横ばいないし微減の動きとなっております。それから、三年から八年まででございますが、四、五%の伸びできております。  

細川興一

1996-02-23 第136回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号

これは、一九七〇年代後半のいわゆる機関車論が百八十度間違っていたことを示唆しております。この観点から、冷戦後世界での国際協調は、財政健全化を前提としたものでなければなりません。既に、EU、ヨーロッパ連合諸国及び米国では、財政健全化が進められております。  平成八年度の予算は、これらの観点から検討されねばならないと思います。  国債発行額は、八年度予算で二十一兆円に拡大いたしました。

富田俊基

1993-04-22 第126回国会 参議院 商工委員会 第7号

古川太三郎君 機関車論とかいうのが昔はありました。アメリカ機関車になって引っ張らなきゃだめだと。日本もまた黒字がなければこういう還流もできないよというような、その傲慢な部分はやはりよくないだろう、こう思っております。  とにかく、先ほども申しましたが、お金というのは利益を追求するために回り回るんですが、それが経済活動なんで、私はほっておいてもある意味ではいくだろう。

古川太三郎

1989-06-14 第114回国会 衆議院 大蔵委員会 第11号

篠沢政府委員 主要先進国におきましては、御承知のとおり一九七〇年代の石油ショックに端を発します世界的な景気落ち込みの中で一様に税収の落ち込みがございまして、その一方で日本は、特に機関車論がございましたが、諸外国もそれなりに財政に積極的な役割が期待されたということで、やはり同様に財政赤字大幅拡大を見た時期がございます。

篠沢恭助

1989-05-18 第114回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

二回目が福田総理の七%の機関車論三番目が鈴木総理の末期から中曽根総理にかけて。竹下総理のこれが遂に第四回目のところで、そういう最後のところまで来たかというような感じを持っております。いろいろ絡んでおる。  とどのつまり、アメリカ赤字を減らしたいということだろうと思うんですが、それは、日本がいかにいろんなことをやっても、向こう側もいろんなことをやる必要がある。

加藤隆司

1987-06-10 第108回国会 参議院 国民生活に関する調査会 閉会後第1号

この規模がいかに大きいかということにつきましては三ページをごらんいただきたいと思いますが、いわゆる一般公共でございますけれども、過去いろいろピーク時は、五十三年、五十四年の時点でいわゆる機関車論におきまして公共事業が大幅に追加されたことがございまして、六兆三千六百億円あるいは六兆三千七百億円、これが五十八年までのいわば国費ベースでの一般公共の経費でございました。

角谷正彦

1987-05-26 第108回国会 参議院 大蔵委員会 第8号

これはいろいろな時期によってもちろん残高が違うわけでございますが、今の五十三年、例の機関車論、ボンサミットのときの残高が四十二兆円でございますから、大変に大きく伸びてきておる。それのGNP対比で見ますと、今年度は四三・五でございますので、当時五十三年度は二〇・四でございますから、これも倍以上の悪化といいますか、なってきておると思います。

足立和基

1987-05-26 第108回国会 参議院 大蔵委員会 第8号

○国務大臣(宮澤喜一君) それは申し上げるまでもないことでございますけれども、経済政策財政政策はその局面その局面でやはりどういうふうに展開していくべきかという、そういう面を持っておりまして、竹下大蔵大臣がやられましたことは、これはもとをたどりますと大変長いことになるわけでございますが、結局ボンサミットの時代でございますから昭和五十三年でございましょうか、そのころに日本機関車論というものがありまして

宮澤喜一

1987-05-26 第108回国会 参議院 大蔵委員会 第8号

先ほどもたびたび話が出ましたが、ボンサミットがありまして、その後いわゆる機関車論等があって、いろいろあった状況が、今度の追加措置が五十三年の模様に非常に似ていると同時に違う局面もある。類似性と違う局面もあるんですが、どうでしょう、五十三年の状況及びとった措置とその効果、そしてそれらと今度の措置のねらいなり目標なり効果予測というふうなものを対比させて御説明いただくとありがたいですが。

志苫裕

1987-05-14 第108回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

一般会計財政基盤を無視した財政政策は、五十四年のボンサミットにおける機関車論失敗によって明らかでありまして、ひとり積極財政で独走したレーガノミックスがアメリカ経済に長期的には問題を残すことになっていることを考えましても、避けるべきではないかと思います。  また、財政再建の努力が行政改革の進展に大きく寄与していることも大いに注目すべきであります。  

肥後和夫

1987-03-19 第108回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号

当時機関車論というものがあった。日本はそのときに世界経済の要請にこたえなければならぬということで思い切って福祉水準も引き上げた。そして国債も発行した。そして行政サービスレベルをアップした。その状態が今日まで続いてきているんじゃないですか。そのおかげで今日なおかつ世界の中で一番公債依存度の高い状態が続いてきておる。

野田毅

1986-12-18 第107回国会 参議院 商工委員会 第5号

先ほど国債の問題が出たわけでございますが、一つだけ事実を申し上げておきたいのは、歳入に占めます公債依存度は、昭和五十四年第二次オイルショックのときにやはり機関車論ということで思い切って出すという話から、あのときは三四%、つまり三分の一ぐらいは公債で賄って経済運営をしたわけでございます。

冨金原俊二