1966-05-27 第51回国会 衆議院 内閣委員会 第39号
昭和三十一年から三十四年にわたって、青森県のこの機械開墾地域には三百四十九名の人々が入植いたして、それぞれ営農を始めたわけでありますが、昭和三十八年に至りまして六十八戸が脱落いたしました。そうしてさらに、その後、自発的にわれわれはここから出たいという人が当時三十八戸ありまして、現在百戸余がこの開墾パイロット地域から脱落しております。
昭和三十一年から三十四年にわたって、青森県のこの機械開墾地域には三百四十九名の人々が入植いたして、それぞれ営農を始めたわけでありますが、昭和三十八年に至りまして六十八戸が脱落いたしました。そうしてさらに、その後、自発的にわれわれはここから出たいという人が当時三十八戸ありまして、現在百戸余がこの開墾パイロット地域から脱落しております。
上北におきましては、例の機械開墾地域においては、アメリカ等の指導も一時ありまして、機械開墾に乳牛を入れた大規模な多角的経営、新類型による経営というものをパイロットとしてやることも考えられておりますが、あの計画を取り出す当初から、すでに水を使って畑灌、または田畑転換を考えるとか、あるいは経営面積の一部は水田にして飲料水と水田経営の安定したものを加えて開拓することとかいうことの問題がありまして、本年度からはそれを
それに即しまして、機械開墾地域のパイロット地域を御指摘になりましたが、農業開発機械公団の地域は、根釧、上北を今中心にしまして、三年以上続けてパイロット的にやりたいと思っておりますが、その成果を見ては、将来これを参考にして、営農類型上に反映せしめることが必要と思いますが、何と申しましても、営農類型を改訂いたしまして、当初からの計画及び国の補助、国の援助的な政府資金の供給等、開拓者をりっぱに早く成功せしめるには
その後種々検討を加えました結果、集約酪農地域の経済性と申しますか、ある一定の密度の牛ができないとその地区の酪農の振興ははかれませんので、できるだけ早く牛を入れた方がいい、そういう結論に到達いたしまして、法律を出したときには、その年、その年に直接入れたものを直接農家に渡す、こういう考え方を変えて、できるだけ早く入れて、一方においては付近の集約酪農地域の乳牛の集約度を高めて、それと同時にその子を機械開墾地域
づけしていくかということにつきましては、何回かそういう折衝の過程におきまして実は動いておりますので、正確にはその動いたときどきを追いまして見ませんと、当初と同じでございますと簡単に申し上げるのもかえっていかがかと存じますが、大体五十八億の三十一年度に硬いますもののうち、ズレが十三億でございまして、三十一年度プロパーの資金といたしましては、農地関係がここにございますように四十五億何がし、これに次の欄にございます機械開墾地域
なお岩手山ろくの集約酪農地域においては本委員会の千田正委員が、青森県上北の機械開墾地域においては飯島連次郎委員が現地において同行調査せられました詳細な報告を申し上げることにいたしたいのでありますが、詳細は詳しく書いてありますので、それは一つ別途御報告を申し上げることにいたしたいと思いますので、御了承をお願いを申し上げまして、委員長は一つその報告を速記録におとどめを願いたいのであります。