1976-10-28 第78回国会 参議院 逓信委員会 第7号
それで、私の聞くところによりますと、いわゆる高千穂通信機器製作所ですね、高千穂通信機器製作所はやはり電電公社に自営用品の申請をいたしまして、こういう市外通話の料金をはかる機械、これを公社は認定をしておるわけでありますが、この機械はどういうシステムになっているのかわかりますか。
それで、私の聞くところによりますと、いわゆる高千穂通信機器製作所ですね、高千穂通信機器製作所はやはり電電公社に自営用品の申請をいたしまして、こういう市外通話の料金をはかる機械、これを公社は認定をしておるわけでありますが、この機械はどういうシステムになっているのかわかりますか。
復員後、再び三菱重工業名古屋機器製作所に復職されました。敗戦後の荒廃の中に、大財閥は解体され、工場は軍需産業から平和産業への転換期で、このこんとんたる事態に直面された君は、深く社会の現実を見詰めつつ、将来日本の進むべき道は、働く者の幸福と平和国家の建設にありと判断され、労働運動に進むべく決意されたのであります。
それを機器製作所という工場から、同じ神戸市内にございます本山という工場に転任してもらうことになりました。これは当人に予告いたしませんでやりました。それにつきまして組合の方から、予告なしにやつたということで不当労働行為の申請がございまして、これが地労委、中労委と行きまして現在東京地方裁判所に問題が行つておりますが、ただいま審理中で、まだ判決が出ていないような状態であります。
○岡原政府委員 お尋ねの中央機器製作所の那須栄氏に対する間違いの起きました事情は、私どもといたしましても事重大と思いましてさつそくいろいろな記録を取寄せて、かつ関係の人たちにも当りまして調査いたしました結果、大体次のような事実であることが判明いたしました。
それは東京都中央区銀座西二丁目一番地に事務所がありまする株式会社中央機器製作所の専務取締役をやつておりまする那須栄という者が、警視庁管内池上警察署によりまして人権蹂躙をせられた事実についてであります。
この日本教具製造株式会社は合併いたしまして、ただいまでは相当大きな一つの中央機器製作所というものになつている。この堂々たる、電話なども何本も持つております大きな工場の専務取締役で、しかも年が三十四の方、つかまつているのは、新聞で見ますと、二十歳前後なんです。年かつこうを見てもすぐわかるはずです。しかも本人はちやんと会社におるにかかわらず、家宅捜索をし、新聞にどんどんこういう記事を発表する。