2014-10-15 第187回国会 衆議院 内閣委員会 第2号
当時、松島大臣は、政治部から経済部に移られたか、経済部から政治部に移られたかの時期だったかと思いますが、自民党が政権に復帰したばかりの、当時の自民党の中心人物、キーマンであられた橋本龍太郎大臣の番記者として、大臣への食い込みもすさまじく、大変有名であられました。大活躍をされておりました。当時、日経の名もない新米記者の私のことは多分御記憶もなかったと思います。
当時、松島大臣は、政治部から経済部に移られたか、経済部から政治部に移られたかの時期だったかと思いますが、自民党が政権に復帰したばかりの、当時の自民党の中心人物、キーマンであられた橋本龍太郎大臣の番記者として、大臣への食い込みもすさまじく、大変有名であられました。大活躍をされておりました。当時、日経の名もない新米記者の私のことは多分御記憶もなかったと思います。
これは九六年の、たしか亡くなられた総理大臣、ちょっと名前をど忘れいたしましたけれども、橋本龍太郎さんですね、橋本龍太郎大臣の下でフリー、フェア、グローバルと、こういう掛け声といいますか、三つの大きなキャッチフレーズというものに基づいて進められてきたわけであります。
このことに関しまして、昭和五十四年、当時の厚生大臣でございました橋本龍太郎大臣とスモンの被害者との間で、「厚生省は、治療方法の科学的研究、スモン患者らの福祉の向上に必要ないわゆる恒久対策の措置を講ずることについて、今後スモンの会全国連絡協議会と協議する。」と、いわゆる恒久対策を橋本龍太郎厚生大臣がお約束されました。
○石原国務大臣 ただいま山花委員が御指摘の大枠が発表されましたときは私は担当大臣ではございませんで、前任の橋本龍太郎大臣が所管されておりましたので、その当時のいきさつについては存じませんけれども、公務員制度改革に関連して、職員団体の方々との交渉ということは、やはり今回の公務員制度改革に当たっては、国民的視点を踏まえ検討を進めていく必要がございますし、また関係者の、もちろんその中には職域団体の方は当事者
ということで、本当はさらに文化省の創設に対する大臣の御所見も伺いたかったんですけれども、ちなみに今度自民党の総裁になられました橋本龍太郎大臣も、文化省構想というのを今回の「自信回復宣言」の中にも著かれていらっしゃいますので、そういう意味では党派を超えて日本の文化政策のより一層の拡充に努めていただければと思います。 本日はどうもありがとうございました。終わります。
私は、昭和五十四年に橋本龍太郎大臣あるいは去年の七月二十八日に斎藤十朗厚生大臣に、それぞれ当委員会において被爆地域拡大についてただしてきました。残念ながら行政当局の態度は、被爆後四十三年、後遺症に悩み、高齢化と相まって健康の不安におののきながら日々を送っておるのでありますが、現行の医療法、特別措置法の対象とならない多くの被爆者の声に耳をかさずに、大変冷たい態度で答弁をしております。
○園田国務大臣 いまの御指摘の差別の問題では、橋本龍太郎大臣のときに差別はないということを委員会で発言したと記憶いたしております。私もその方針で進みます。 なお三社には、裁判所の和解ができなければ行政和解に移る、行政和解の場合にはもっと厳しいぞ、裁判所よりも厳しくやる、こういうように強く要請しております。