1972-03-14 第68回国会 衆議院 法務委員会 第6号
○山本(悟)政府委員 ただいまの御質問でございますが、最高裁の裁判官から長官に任命されました際に国民審査を行ないませんでしたことは、四十一年の横田長官のときから同様でございます。したがいまして、中央選管といたしましては、四十一年に横田長官の事案が起きました際に、いろいろと政府部内におきましても協議をいたしたわけでございます。
○山本(悟)政府委員 ただいまの御質問でございますが、最高裁の裁判官から長官に任命されました際に国民審査を行ないませんでしたことは、四十一年の横田長官のときから同様でございます。したがいまして、中央選管といたしましては、四十一年に横田長官の事案が起きました際に、いろいろと政府部内におきましても協議をいたしたわけでございます。
四十年九月三十日の最高裁と日弁連が取りかわしましたあのメモ、これは鍛冶先生が非常にそのとき努力をされ、その結果ようやく――当時臨司問題を契機として最高裁と日弁連とが鋭い対立状態にあったさなか、当時の高橋日弁連会長が何とかして最高裁と臨司問題その他について十分話し合いをしたい、 〔小澤(太)委員長代理退席、委員長着席〕 対立状態をできるだけ解消したいということから、鍛冶先生にも協力を求められ、当時の横田長官
もっと独禁法政策全体の運用をどうやって日本経済の民主化、あるいは経済の成長を通して国民のしあわせにそれが貢献できるようにするかという、言ってみれば第一条の基本精神、ここからやはりこの問題は判断をすべき問題であって、それを具体的に言えば、それは市場シェアだって何も横田長官が二十八年に三〇%と言ったから、私は三十%でなければいけないと言っていない。
、おそらく皆さんが原稿をつくって、長官が多少は――横田長官のことですから、多少筆は入れるかもしれないが、皆さんの合議でこういうことはやっているのでしょう。ところが、あなた、最高裁の判例に従った決定でしょう。これは専門家が見れば、ちゃんと矛盾のない決定ですよ。
これは結論を先に申し上げますと、横田長官の仰せになりましたことは、あまり、ありていに申しますと、具体的ではございませんけれども、仰せになっておる、見当をつけていらっしゃるところの問題については、大体において賛成をして、そのつもりでこれを拝聴しておるのでございます。法曹人口は日本の場合はあまりにも少な過ぎる。
その中で、ただいまの横田長官も、かつて公正取引委員会の委員長であられたわけでございますが、同じく公正取引委員会の委員長であられた長沼さんが、これはある意味ではユーモアを含めてのお話ですけれども、次のような御発言があるわけです。職場の明朗化というようなことに関してですけれども、「これは横田さんに悪いけども、裁判所の建物見るだけでちょっと寒気がする。」
たとえば横田長官があちこちで発言なさるように、それは法律で定められていない中の問題として、法務省自体は、こういう問題に対する罰則はこうであるとかという、いま大臣が代表してお話しになったようなんですが、どうも筋を通そう通そうとして、何か筋が細くなったような感じを受けるわけですけれども、もう少し見解をどんどん発表していただいて、むしろ法務省のほうからこういう問題を、えりを正すような方向に向かっていただきたい
○岸最高裁判所長官代理者 横田長官が、大阪での記者会見で言われましたことは、朝日新聞その他の新聞にも出ております。しかし、新聞によってそれぞれニュアンスがございまして、長官の考えがどこにあるかということは、あの新聞記事だけでは正確にはつかめないと思います。中には、反則金制度に対しては、まっこうから反対であるというふうにとられるような新聞記事もございます。
この前、全国刑事裁判官の会同で、横田長官が、他事件に優先して百日以内に判決をぜひ下すようにという要望を出したけれども、そういうことを幾ら口で言ってもなかなか行なわれないと思います。刑事局長にはその概要を承りたい。
ある意味では裁判官の給源等の問題、憂うべき状態が現出しているという中で、去る十五日、最高裁の横田長官が、大阪高裁の記者会見において、特に反則金の問題について談話を発表されたことについて、私は端的に申しますと、反則金制度というものが実施されましたならば、ある程度裁判所の仕事の量が減るのではないかと思われるわけです。
横田長官のお話の中には、そういう点については、特にお触れになっておられませんし、総長のお話で、横田長官のお考えになっていることは、私が言っているようなことではないと思いますけれども、これはやはり人権擁護という立場から、裁判所のお仕事の量は非常に多いけれども、だからといって反則金ということでやっていった場合に、いま申し上げたような矛盾だけは解決しないじゃないか、この点について、ひとつ大臣の御答弁をいただきたいと
○岸最高裁判所長官代理者 反則金通告制度についてでございますが、横田長官の新聞発表というのは、非常に簡単な記事でございまして、真意は尽くされていないように思います。
○最高裁判所長官代理者(岸盛一君) 山田裁判官、それから横田長官、五鬼上裁判官、この三名でございます。
○関根最高裁判所長官代理者 ただいま大出委員の御指摘の点でございますが、昨年横田長官が九州へ出張いたしましたときに記者会見の際述べましたことが新聞記事になりました。そのときの新聞記事のタイトルは「違憲判決慎重に」というタイトルが出ました。
○大出委員 ここで一点確かめておきたいことがあるのですが、昨年の五月九日に最高裁の横田長官が九州において、これは新聞に発表されておりますけれども、下級審が違憲判決を出す、これについて三権分立のたてまえからどうもよろしくない、だから慎重にやれ、こういう発言をされて、新聞に載っておるのでありますが、この点について、法務省のほうとしてはどうお考えになりますか。法務大臣、どうお考えになりますか。
その点からいたしまして、この横田長官の発言はまことに不謹慎である。ことにこのごろは第一審の地方裁判所の判事は、非常な勇気を持って憲法遜反の判決なんかをやる。もちろん、追従するようなばかな判事もありますけれども、しかしながら、上告にいって敗れるというのは、これはやはり保守的な裁判官が多いからです。
○関根最高裁判所長官代理者 ただいま坂本委員のお話しの点、実は読売新聞にそういった記事が出ましたので、横田長官がそのとおりおっしゃったのかどうか問い合わせる前に、同行してまいりました秘書課長から電話がございまして、実は自分のほうでも新聞発表を見たけれども、あのときの談話についてお話しすると、新聞記者との会見におきまして、新聞記者のほうが質問をして、それに対するお答えをしたまでであった。
○坂本委員 最高裁判所の横田長官が九州地方の裁判所巡視中に、去る八日佐賀地方裁判所、家庭裁判所を視察したあと発言されたことが九日の読売新聞に出ております。それは「違憲判決慎重に横田長官下級審審理に望む」という見出しで出ておるわけですが、大体四項目にわたって出ているわけです。そのうちの一つの発言について非常に妥当を欠くと思うわけです。
第一に、最高裁は、横田長官はじめ、裁判官会議などで訴訟の遅延をしょっちゅう問題にしているわけですが、その原因の中に人員不足もあげていますが、そのほかに、裁判所側にだけあるのではなく、むしろ訴訟当事者、あるいは代理人、関係人等の側にもそういうものがあるんだということを盛んに言っているんですが、これはどういうことなんでしょうか。
○岩間正男君 横田長官のことについては答弁をなされないんですが、いまの松川の問題ですが、これはまあ諏訪メモとか赤間自白の問題をあげてみても、いわゆる不当な暗黒裁判といわれている姿がはっきりしたと思うんです。無罪になれば、当然公正な裁判を妨害した警察や検察当局が対比的に犯罪的な要件も備えてくるわけです。
それから学識経験者というのは、やはり法律を学問的に検討される力のある、たとえば現横田長官のようなああいう経歴の方、あるいはまた立法作業並びに諸制度等に対しての、そういう法制上の非常に豊かな経験のある者、それからたとえば検事のような、そういう検察行政等につきましても経験のある者、そういうものを学識経験者と言うのでありますが、学識経験者の中に、たとえば学者を何名とるとか、あるいは法制局長官並びに法制上の
しかし、時期であるとか談話の形式であるとかいうものは慎重に考えなくちゃいかぬ、こういうようなふうに言われているのですが、何となくどうも裁判所が外のざわざわした動きにつられまして、戦闘的というか、あるいは攻勢的というか、ば九に力みかえって発言をされているよらな様子が見えるのですけれども、これはあれですか、横田長官の個人的な意見なのか、あるいは裁判所の意見なのか、その辺のところ、だれかおわかりの方はありますか
それで、横田長官が飯守裁判官に注意いたしましたとき、私も立ち会っておりましたけれども、その時と場所に対するああいう場合にああいったことを言ったという点につきましては、飯守判事も慣しみを欠いておったということは十分に認めておるわけでございます。発言の内客、それについては触れておりませんが、これは何ともお答えする限りではございません。
○志賀(義)委員 ところがその横田長官は、この二月六日の全国高裁長官、地裁、家裁所長会同でこう言っております。「事態に応じて果断な処置をとることが何よりも大切である。一時の困難が免ずるかもしれないが、」こういうことを言っております。
先般も最高裁の横田長官が嘆いていわくです、裁判官の増員というものは明治二十六年から今日まで千三百人しかふえていない、前代未聞のことだといって嘆いておられました。