2015-08-18 第189回国会 参議院 農林水産委員会 第15号
私は、ここであえて非農民的支配を政府による権力支配と言うのは、先ほど言った、今度の政策の策定過程がどうもボトムアップ方式じゃなくてトップダウン方式ということは、結局政府の協同組合あるいは農業団体に対する介入になってきている、少なくともそういう危険性があるんじゃないかと。
私は、ここであえて非農民的支配を政府による権力支配と言うのは、先ほど言った、今度の政策の策定過程がどうもボトムアップ方式じゃなくてトップダウン方式ということは、結局政府の協同組合あるいは農業団体に対する介入になってきている、少なくともそういう危険性があるんじゃないかと。
意見陳述の中で、非農民的勢力の支配は具体的には政府による権力支配と換言できますというふうに言われました。それからまた、ILO勧告の話もされたと思うんですね。政府による権限支配というのはどういうことなのか、なぜILO勧告の話をされたのかということについてお聞きをしたいと思います。
つまり、フランスは中央集権が強い国ですが、そういう中で国民の支持ということを逆に権力支配の根拠にするということで、それは直接民主制の言わば負の遺産ということで、今日でも注目されているところです。それらを踏まえまして、ですから、国民投票になる場合にプレビシットにならないようにするにはどうしたらよいかということも視野に入れておく必要があるかと思います。
教育基本法の第十条にも、いわゆる教育の権力支配というものについてはかたく禁止しているということであって、文部省も中央政府の中のある権力構造であるということには変わりないのであります。また、政党もある意味ではその権力構造の一角を占めるということもあり得るわけで、教育の中立性という以上、そうした問題もはっきりさせていかなければならぬということを私は申し上げておきたい、このように思います。
「 生徒指導の手引」の二十六ページに、「権力−支配−盲従の関係は、専ら外からの強制的な力に頼るもので、指導される者が指導者に対して恐怖心を感じ、その恐怖心を免れるために服従する。
○山原委員 人間を大事にするということが基本に据えられなければなりませんが、その意味で、文部省が発行しております「生徒指導の手引」で、「生徒指導の原理」として、「権力−支配−盲従の関係」を挙げ、強制的な力で子供を服従させる、「このような関係も効果的である」とこの「生徒指導の手引」には記されております。
○山原委員 最後に、これをちょっと読みますと、第一に「権力―支配―盲従の関係」と出てきまして、「絶えず権力を生徒の眼前に提示することを続けなければ、所期の成果を達成することができないというおそれがある。」こういうふうに書いているのです。これは、それならなくなっているのですね。
「援助・指導の基盤としての人間関係」の項に、「援助・指導の基盤としての人間関係には、様々な類型が考えられるが、主として、生徒指導上の重要なものとして、権力―支配―盲従の関係、権威―尊敬―心服の関係及び出会いの関係が挙げられる。」これらの人間関係から最も適切な関係をつくることが生徒指導上の原理となるべきであろうとしております。
過去八カ月の政権の中における権力支配の手法というものがさらにエスカレートして、ついに我が党も隠忍自重が、緒が切れたわけであります。そして、残念ながら我が党が政権からの離脱になった。 総理はこの経過というものをどういうようにお考えになってこれから連立政権をやろうとするのか、あるいはまた、国会運営も含めまして、あなたの政治手法をこの際聞いておきたいと思います。
これら憂慮すべき政治状況発生の要因は、私たち野党であった者にもその責任の一端はあるといたしましても、主たるものは自民党の永年にわたる一党支配、権力支配がもたらしたものであり、特に政官財の癒着の構造による金権腐敗の不祥事件の連続発生に原因があることについては、今日明白であります。
○富塚委員 消費者に奉仕するとかあるいは国民大衆に奉仕するという視点が、やはりこういう大企業系列化によって、あるいは新たな金融資本集団等ができると私は見るのですけれども、権力支配構造みたいなものがつくり上げられて大衆消費者を無視されていくような、もちろんこれは地域の事情なんかにもよると思いますけれども、そういう傾向が出てくることに、じゃ、どういうふうに行政の分野は歯どめがかけられるのかといったら、なかなかちょっと
すなわち、なぜそういう状態になってきたかというのは、やはり時の権力、支配者に都合がいいように、そういう零細性をむしろ誇示してきた方がよかったのだ、いわば軍国主義時代は、悪い言葉ですけれども、農村は物的、人的資源の供給源とさえ言われた時代もあったわけでありまして、そういう傾向は戦後も依然として続いてきた。 戦後いろいろ改革が行われました。
これはそういう行政研修によって教員の身分が左右をされるというこれはもう重大問題、まさに教育に対する不当な権力支配という問題になってくるわけで、これはいよいよもって教育基本法違反だ、こんなもの断じて通過させるわけにはいかぬということを最後に申し上げまして、資料提出いいですね。
だから、「権力支配の構造」という本等によりますと、「大蔵省の主税局に対してウサギのように従順な政府税調」という表現もしておりました。会長の見解も少し聞きたいと思っておりましたが、お帰りいただいたものですから聞けませんけれども、そういう形で出してきた。 そしてしかも、売上税についてはベストだと中曽根首相は言われたのです。ベストだ。
飽くなき権力支配方式であります。このような政府案は、憲法にある団結権否認の不当労働行為であり、違憲の疑いありと思いますが、総理の見解をお伺いいたします。 また、会社更生法第百九十五条は、更生計画案については、労働組合または会社の使用人の過半数を超える代表の意見を聞かなければならないとありますが、これをも無視する交渉権限の一切を奪った立法であり、欠陥を指摘せざるを得ません。
しかし、戦前と戦後の教育行政の決定的な違いは、権力支配の問題であると私は思っています。戦前は、教育を国家権力が直接支配してきたところに戦争という悲劇を起こし、そして誤った軍国主義教育の中に児童あるいは生徒、学生等を引きずり込んで悲惨な状態に落とじ込んだことは、だれもが深く反省をしてみなければいけない問題だと私は思います。
中立性が侵されるというだけじゃなくて、実際、我々は歴史的に見ると、その権力の地位にある者がその地位を利用して価値の選択をし、押しつけることによって教育の中立性が侵され、むしろ教育の権力支配がなされてきたという苦い過去の歴史的な教訓があるでしょう。戦前の教育がそうではなかったですか。
○佐藤(誼)委員 私は、この規定が即教育の中立性を侵し、そしてそれが即教育の権力支配につながっていくということを言っているわけじゃないのです。それは今いみじくも文部大臣が言ったように、そういうことにはなっているけれども、広く教育の意見を聞き、恣意にわたるような人選をしないで広く意見を聞いてそして中立性を保つような、言うなれば教育施策を改革としてやっていくのだ、こういうことを言われていると思う。
しかし、中曽根内閣が進めようとしている教育改革は、この国民の教育改革の要求を逆手にとって国民の期待を裏切り、教育の権力支配と戦前回帰の教育をねらっているのではないかということであります。あなたは、新聞報道になったある集会で、「まず行政改革、次は教育改革、これが進まなければ防衛問題もだめ、憲法改正もだめになる」と述べているのであります。
まず、教育改革のねらいは何であるかということでございますが、これは前から申し上げますように、二十一世紀を目指す世界的日本人をつくる、これが我々の教育改革であり、教育の権力支配や戦前回帰を意図するものではありません。
権力支配になるのではないかという心配をそこに一つ持つのであります。余り長くなくていいですが、感想がありましたら……。なければないでいいです。
こういうところに私は権力支配の心配をするのです。 今幾つか挙げただけでありますが、その点、総合的に心配ないとおっしゃいますか。
御案内のように、戦前の教育と戦後の教育の一つの特色は、教育を権力支配させない、例えば教育委員会には文部省の指揮命令権はない、あるいは教科書を国定から検定に持っていったというように権力支配を排除したわけであります。 そこで私は、ただし直属機関だからそのおそれがあるなどと言っておるのではありません。けれども、正直に言いまして、中曽根さんだからということが一つあります。
最後まで裁判で決着をつけるという気負いがそのまま日本の政治に対する支配権力、支配意欲となりまして、目白のやみ将軍と呼ばれるように、権力志向で日本の政治を汚染しているのじゃないでしょうか。 私は、田中元総理がどうしても最後まで裁判で決着をつけたい、クロシロをつけたいというならば、一般の民間人と同じように一審、二審と争うことはできると思います。
しかし、事実は文部省がそうした指導をやって、ここにたくさん私も資料を持っておりますが、その多くの教科書記述の書きかえが行われた、こういう事実に立ったときに、いまの検定審議会にかける、あるいはまた教科書の検定を一年早める、あるいはまた広報でもってその間の教育の問題について現場に周知徹底させる、こうした異例の方法を一方で現在の教科書検定の制度というものをゆがめ、教育の国家支配、権力支配というふうなことにつながるような
今日、政府、文部省が、憲法、教育基本法の理念である民主教育の確立に背を向け、教育の権力支配と教育内容の国家統制に狂奔し、教育行政本来の責務である教育基本法第十条に言う教育条件の整備を怠っているところに、社会問題となっている、言われているところの教育の荒廃の大きな原因があると私は考えております。教育は国家百年の計であります。