1971-10-16 第67回国会 衆議院 本会議 第1号
○川崎寛治君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員上林山榮吉先生は、去る八月十日逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。 ここに、私は、諸君の御同意を得まして、議員一同を代表し、つつしんで哀悼のことばを申し述べたいと存じます。
○川崎寛治君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員上林山榮吉先生は、去る八月十日逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。 ここに、私は、諸君の御同意を得まして、議員一同を代表し、つつしんで哀悼のことばを申し述べたいと存じます。
そういうような立場から見てまいりました場合には、やはりそこには国務大臣上林山榮吉先生を迎えに行くんだ、こういう形で町当局のほうから町長が、言うことをきかない学校には直接出向いてまいりまして圧力をかけております。そうして校長が、命令をきかない者については業務命令を出して、教職員が児童生徒を引き連れまして行っているのです。こういうようなのが許される教育的行為であるとお考えになっているのかどうか。
「上林山国務大臣帰省日程のお知らせ」というので「国務大臣防衛庁長官上林山榮吉先生が就任後別紙の日程により帰省ごあいさつ申し上げたいと存じますので万事よろしくお願い申し上げます。まずは取り急ぎ御連絡まで」こういうことです。帰省ごあいさつということで、これは各官庁からもいろいろなところに流れている。日程まで全部ついている。
だからあなたが歩いてこられる途中で——たとえばここに写真が載っておりますけれども、自衛隊の方々のうしろにいるパレードを見ても、「上林山榮吉先生後援会」というまさに大きな旗を立ててオープンカーに乗っておられて、あなたが帽子を振っておられる、こういうわけです。
しかし上林山榮吉先生が大臣になりましてから、最初に八月の六日に練馬の部隊、それから八日には横須賀の基地、十三日には入間の基地を、これは統幕議長、三幕僚長を連れて視察をしております。したがって、鹿児島にもこれは当然連れていくべきものじゃないかというふうに考えたわけでございます。
まず、先頭には広報車が出て、ジャンジャン、マイクを通じて上林山榮吉先生がお帰りになりましたというようなことを連呼して歩いた。選挙のときに使うように、祝国務大臣防衛庁長官上林山榮吉先生という幕を張りめぐらしたのをはじめ、そういう自衛隊のパレードがいままであったかどうか、これは、このこと一つ取り上げても、これは上林山長官そのものの名を風雲急なときに、しかも選挙区で宣伝する。