2019-05-20 第198回国会 衆議院 情報監視審査会 第4号
「佐藤榮作日記」というのが、七巻ですかね、出ていますけれども、「佐藤榮作日記」は鉄道員の報告書じゃないかと。何時何分発とか、そういう非常に形式的事実の列記がほとんどで、自分の思想とか考えなんかはめったに出てこない。でも、調べていくと、ああ、この日にこの人がやってきたのかというので、非常に、相手側の状況なんか入れると大きな歴史的意味を持ってくることがあるんですね。
「佐藤榮作日記」というのが、七巻ですかね、出ていますけれども、「佐藤榮作日記」は鉄道員の報告書じゃないかと。何時何分発とか、そういう非常に形式的事実の列記がほとんどで、自分の思想とか考えなんかはめったに出てこない。でも、調べていくと、ああ、この日にこの人がやってきたのかというので、非常に、相手側の状況なんか入れると大きな歴史的意味を持ってくることがあるんですね。
「佐藤榮作日記」にも同じことがたびたび出てくるんですよ。だから、私はやはり、これから総理、あるいは総理の後の総理、そのまた後の総理と、皇室との間にもう少し濃密なお話し合いがあって、できれば愛子様や秋篠宮様の女宮様に男系の男子の方が御一緒になられるような雰囲気をつくっていくということが、政府としては非常に大切なことじゃないかと。
私は引き続いてその秘書官をやったのでありますが、当時大蔵大臣は佐藤榮作先生であります。財政局長が奥野先生、そして次官が読売の今会長をやっておられます小林與三次さんでございます。この交付税の繰入率の問題等非常に緊迫した場面があって、大蔵省出身の愛知揆一さんは大変に苦しまれたのです。
○上田(哲)委員 総理、私は、核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませずと佐藤榮作総理がこの場で議論をしながら、その言葉がいわゆる非核三原則として定着していった経過を経験していますね。これはとにかく大事なことですよ。
私は当時参議院ですが、参議院の本会議で佐藤榮作総理といろいろの論戦をやらしていただきましたが、自治が尊重をされるという意味でそこに整合性を持っていくということについて、私は反対じゃないんですから、そういう意味で自治大臣、この一兆円減税というのは、もうじかに地方財政法五条にひっかかってくるわけですね。これを改正するというふうに受けとめてよろしいですか。
そうしたら、海部総理あなたの大先輩である佐藤榮作当時の総理大臣は、こういう答弁をされておる。「大体、自衛隊が出かける領域ではない、」北ベトナム周辺の海域ですよ、「かように思います。いままで海外に派兵しないというそのたてまえから申しまして、いまの掃海に協力するようなことは自衛隊としてはない。」
その他は全部電気通信省で、佐藤榮作先生を第一代にして、いわばくくって仕事をされた。これが電電公社に変わったときに郵政省に監理官室というものができた。監理官室が今度は――NTTが大きくなったからかどうか知りませんけれども、電電公社時代に電気通信政策局ができて、NTT化寸前に今度は電気通信局と今の通信政策局というものに発展をしてきているわけですよ。
○議長(土屋義彦君) 日程第一 国家公務員等の任命に関する件 内閣から、 人事官に石坂誠一君及び弥富啓之助君を、 臨時脳死及び臓器移植調査会委員に井形昭弘君、宇野收君、梅原猛君、金平輝子君、木村榮作君、齋藤明君、永井道雄君、萩原太郎君、早石修君、原秀男君、平野龍一君、三浦知壽子君、森亘君、山岸章君及び山下眞臣君を、 また、日本銀行政策委員会委員に両角良彦君を任命することについて、それぞれ本院
井形昭弘、宇野收、梅原猛、金平輝子、木村榮作、齋藤明、永井道雄、萩原太郎、早石修、原秀男、平野龍一、三浦知壽子、森亘、山岸章及び山下眞臣君の十五名を臨時脳死及び臓器移植調査会委員に任命いたしたいので、臨時脳死及び臓器移植調査会設置法第五条第一項の規定により、両議院の同意を求めるため本件を提出いたしました。 何とぞ、御審議の上、速やかに同意されますようお願いいたします。
内閣から、 人事官に石坂誠一君及び弥富啓之助君を、 臨時脳死及び臓器移植調査会委員に井形昭弘君、宇野收君、梅原猛君、金平輝子君、木村榮作君、齋藤明君、永井道雄君、萩原太郎君、早石修君、原秀男君、平野龍一君、三浦知壽子君、森亘君、山岸章君及び山下員眞臣君を、 日本銀行政策委員会委員に両角良彦君を 任命したいので、それぞれ本院の同意を得たいとの申し出があります。
───────────── 一、国家公務員等任命につき同意を求めるの件 人事官 石坂 誠一君 三、二三任期満了につき再任 弥富啓之助君 内海倫君辞任予定につきその後任 臨時脳死及び臓器移植調査会委員 井形 昭弘君 宇野 收君 梅原 猛君 金平 輝子君 木村 榮作君 齋藤 明君 永井 道雄君 萩原 太郎君 早石 修君
さらには、第六十一回の昭和四十四年の国会でございますが、この国会におきまして佐藤榮作元総理は、決算の不承認が万一発生した場合、総辞職だけではなく国会の解散ということも当然あり得るとその覚悟のほどを明確に表明しているわけでありますが、このような過去の先輩議員の方々、また総理の御声明、そのようなことに関して今日官房長官としてはどのようなお考えをお持ちでしょうか。
○国務大臣(森山眞弓君) 昭和四十四年の佐藤榮作総理大臣の御答弁の内容につきましては、私も記録をたどってみたわけでございますが、佐藤総理は「国会の御承認を得られないようなずさんな決算や行政は行なっておりませんので、そのような心配は御無用かと存じます。」とまずおっしゃっているわけでございます。
佐藤榮作総理の大変な御苦労で沖縄が返還されたことは、沖縄御出身の先生もよく御理解をいただいているところでございますが、大変な苦労が払われてきた経過がございます。
名前も郵政省と電気通信省の当時、後で総理大臣で活躍されました佐藤榮作先生が初代の郵政大臣と電気通信大臣を兼務したことを、ちょうど私、その当時電気通信省に入省いたしましてよく覚えているわけでございますけれども、その後間もなく電気通信省はなくなりまして電電公社、今のNTT、そして郵政省だけが残りまして郵政大臣、こうなられたのでございます。
このような熱情あふれる実践活動の中で、先生は、終生政治の師と仰ぐ吉田茂、佐藤榮作両元総理を初め多くの先達の知遇を得、多大の薫陶を受けられるなど、先生御自身の政治家としての礎を築かれたのであります。
ところが、あなたは佐藤榮作さんの屋敷を月百万、そうすると年千二百万。また、河口別荘の借り賃月八十万、年九百六十万を支払う。こういうことになりますと、これだけで年間二千百六十万円。二千万円をオーバーして赤字になるわけであります。また、この河口別荘を借りるに当たって二千万円の敷金を払われたとも言われておるわけであります。加えて当時自民党幹事長、そして昨年から総理です。
○国務大臣(竹下登君) 私は、内閣官房副長官、長官、長いことその仕事をしておりましたが、佐藤榮作先生に、国会で物を言うときには行政府としての立場を逸脱した言葉を言ってはならないということを教わってまいりました。
いずれにしても、今も国会答弁を取り上げてお話がありましたけれども、私もいろいろ調べてみても、当時の佐藤榮作総理大臣は、北についての請求権というのは全く白紙だということを繰り返しておりますし、一九七四年の木村俊夫外務大臣などは、現在の韓国ないし韓国政府が朝鮮半島全体における唯一の政府であるという認識は日本政府は持っていませんというふうにはっきり言っていますね。
しかし、長官になりましてからしみじみと人間社会の因縁などというのを思い起こしたりしまして、私の師匠は佐藤榮作先生でございましたから、先生が政治生命をかけて返還に努力した、末弟である私がその沖縄の担当大臣になるのも何かのえにしかななんて思ったりしています。 何回か沖縄をお訪ねしておりますと、今先生御指摘のように一番最初に目につきましたのはやはり沖縄の風景です。