2015-07-10 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第19号
その中で、お住まいになっていたのが、私の地元の三島市の、駅の南側に楽寿園という風光明媚な公園があるんですが、そこにお住まいになっていた。そこで三島市民と李垠殿下が非常にさまざまな心の交流をしたというのが今でも三島市には残っていまして、それで私は非常に印象深く記憶をしているんです。 この李垠殿下が日本に来たのは一九〇七年、皇太子として来られました。
その中で、お住まいになっていたのが、私の地元の三島市の、駅の南側に楽寿園という風光明媚な公園があるんですが、そこにお住まいになっていた。そこで三島市民と李垠殿下が非常にさまざまな心の交流をしたというのが今でも三島市には残っていまして、それで私は非常に印象深く記憶をしているんです。 この李垠殿下が日本に来たのは一九〇七年、皇太子として来られました。
三島市というのは、大体水の都として有名だったのが、現在三島の楽寿園に行きますと、池には一滴も水はありません。なくなっているのです。それから富士市のあの工業地帯においては、地下水のくみ上げ等によって、かえって塩水が逆流をしてきている。あの山ろく地帯で、いま掘れば塩水が出てくる状態なんです。
楽寿園の一番名園の池がからからになって水が出なくなっています。そしてよごした水を全部川におっ放してくる。ですから沿線は野菜を洗うこともできなければ、家畜の飼料その他、家畜には相当水が要りますが、家畜の水に使うこともできない。