2008-05-08 第169回国会 衆議院 農林水産委員会 第11号
この楽天主義は、本当に大楽天主義であって、そんなことでは食料安全保障に決してつながっていかない、食料自給率も向上しないと私は確信をするものでございます。そこは指摘にとどめさせていただきます。 「農村と都市をむすぶ」の二〇〇八年三月号に掲載をされました平野参議院議員の論文、「大きな岐路に立つ米作り、そして農村 —米を生産する農家へ所得補償を—」これを私も読ませていただきました。
この楽天主義は、本当に大楽天主義であって、そんなことでは食料安全保障に決してつながっていかない、食料自給率も向上しないと私は確信をするものでございます。そこは指摘にとどめさせていただきます。 「農村と都市をむすぶ」の二〇〇八年三月号に掲載をされました平野参議院議員の論文、「大きな岐路に立つ米作り、そして農村 —米を生産する農家へ所得補償を—」これを私も読ませていただきました。
それで、私は朱さんほど中間層に関しては楽天主義じゃなくて、やはり中国が今一兆六千億ドルという非常に大きなGDPの、グロスでですね、日本の約三分の一までもう来たわけですが、しかし、一人当たりのGDPでいえばまだ一千ドルのちょっと過ぎたところですね。
私はもともと楽天主義者だったんですけれども、日を追うごとにペシミストになっていくような自分が悲しくてなりません。 私は昭和十六年、一九四一年生まれ、総理は一年私より後でございますが、我々は、戦後の荒廃の中で、本当に食べるものもない日々の中で育ちました。日本社会全体が戦後の荒廃の中で、貧困の中をどう生き延びていくかということは、何とか国民一体の意識を持ってしのいでまいりました。
それは建設的な楽観主義などというものでは決してなく、その場しのぎの無責任な楽天主義と呼ぶべきものであります。 私は、特に企業・団体献金の禁止問題に対する自自公の姿勢をただしたいと思います。 そもそも企業・団体献金の禁止は、平成六年の一月に、リクルート事件や佐川急便事件をきっかけとした、当時の細川総理と河野自民党総裁との合意に基づくものであります。
生まれつきのオプチミスト(楽天主義者)として、」僕はオプチミストと言っておるのですが、「私は、より良い時代が正にそこまで来ていると確信しています。」。 実は、この五月四日、外務大臣はアジア三カ国をまさに経済危機の真っ最中に訪問されました。大変わかりやすい英語で、今これは日本語訳を読まさせていただいたのですが、シンガポールで五月四日に外務大臣がお話しになったところを抄訳させていただきました。
現在まだまだ行政改革を断固として続けなければならない局面に我が国はございます、しかし、これまでのような国際的に見て相対的に軽い税負担が我が国において今後も未来永劫続くと考えるのは、余りにも非現実的な楽天主義でございます。我が国は現在、世界のどの国も経験してなかった速度で高齢化社会に向かって進んでおります一、 私は臨調、行革審に五年間にわたって参与として参加いたしました。
しかし、何度も申しますが、私もほかのビジネスマンも楽天主義者でありますから、やはり成長率も前と同じぐらい速く進むのではないかと思っております。と申しますのも、こういう状況というのは雪だるま式にふえるもので、一度走り出すともうとまらない、スローダウンをしないというふうに思うわけです。
もちろん、私とて今直ちに地球上から一切の軍事力をなくすことが可能だと考えるほどの楽天主義者ではありません。だが、総合安全保障というのであったならば、基本的スタンスとして、いかに軍事力の発動を防ぎ、軍事力を歴史の博物館に送り込んでいくのか。そのための非軍事的努力とは何かを政策論として明らかにする必要があると考えるのであります。
私は余り心配性じゃない、楽天主義なのだけれども、そこいらは国民に対する責任を我々は負いますので、そういう形での計画を明らかにしてほしいと思います。 そこで対策としてですが、問題がここに至ったことはなぜかということ。 一つには、農民に生産意欲がなくなった。かなり無理な減反を押しつけた。生産者米価はなかなか思うように上がらない。生産費、所得が補償されない。
ですから、そういう意味で、人材確保という観点でわれわれが問題にしていくときには、つまり給与という観点で、一〇%か三〇%になればいい人材が集まるのじゃないかというようなオプティミズム、楽天主義じゃなくて、そういうものを上げてみたって、現実にそういう人的なコネクションで人事の問題が出てきたり、大企業でいい人材が採られて、なかなかいい教師が定着しないとか、そういう諸問題を総合的にとらえていく姿勢ないし施策
あれやこれやで、さっきの質問もあとでもうちょっとやりたいものですから、ここで締めくくりたいのですけれども、午前中の質問で私が言った、いまの教員養成というものを考えたときに、たとえば先生方の給与を一〇%上げれば人材が集まるであろうという楽天主義、オプティミズムは、現在の制度の中ではそうはなりませんよというふうに私は判断する。一つの側面の一要素であるかもしれない。
底なしの楽天主義です。贈呈いたしますよ。どんな世界観を持っているか、読んでみてください。 そこで、大臣、漁港に行ってみると、漁村に若い青年がぴちぴちと仕事している。私たちは暗い面は見ていません。ここに日本の将来があると見ています。あなたは漁業に詳しいからよく見てくださればわかる。どうして漁村に青年がいるか。そして農村に青年がいないか。価格が補償されていない。
したがいまして、これだけを言われると、どうも科学技術に対してあまりにも楽天主義であるので、その辺、私は、科学技術そのものは両刃の剣である、悪用することもできれば善用することもできるという識見は、やはりお互いに持って振興をはからなければならぬと思うので、この文章では少し誤解があるように思うからお伺いしておきます。
その中で二千年をこえる人類文明史を見渡し回想し、その中から「おだやかな楽天主義を引き出した」と言っておられます。通産大臣はこの「おだやかな楽天主義」というものを、どういうふうに解釈されておられますか。いずれ詳しいことは、また日を得ましてお尋ねをしたいと思います。以上お尋ねをいたします。
なお、浅田さんのお話の、事故はないだろう、こう思っておられるのはずいぶん楽天主義者で、私は驚いたのです。
大平はいつも楽天主義者じゃないかと言われるわけですけれども、私は、いつも前向きに、このように積極的にあらゆる機会をつかまえて海運政策というものを前進さしていくべきである、これはいいチャンスであったのじゃなかろうかと、いまなお思っております。
○山中(吾)委員 大臣は勝手に、自分の主観をずいぶん底抜けの楽天主義で言われるのですが、それは僕はとんでもない間違いだと思うのです。そういうことで今の教員養成計画をお立てになれば、私は大へんだと思うのです。
あなたの御答弁の通り、世の中がゆくのであれば、これはきわめて楽天主義になるのですが、そんなものじゃ絶対ございません。あなたとまた来年けんかしなければならぬということになったら、まことに困ることになるのですが、しかし、ただ、こういうことを私は非常に心配するわけであります。ゴム会社が一方的に実権を握ります。三分の一入っておるから違うと言っても、多数決だったら、三分の二の方が絶対勝つ。
また現代の国際情勢においては力による平和という言葉もあるくらいでありまして、野放しの楽天主義では現実に平和はとうてい保たれるとは考えません。いかなる手段方法を用いるにせよ、何かしら国防上にすきを作らないような考慮、用心が必要であると考えるのであります。これをやりませんと、すきをつかれ、それが発火点となって戦争の危険を招くことになると考えるのであります。