1970-10-12 第63回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第4号
昭和三十一年十一月四日、スエズ、ハンガリー事件の際、若干の航空自衛隊幹部が極東空軍司令部キューター大将の命令で出動、準軍事行動に入った。これが一つ。第二の例は、昭和三十三年の秋、金門・馬祖両島をめぐる台湾海峡の緊張の場合。第三の場合、昭和三十六年四月二十日、米軍機が朝鮮民主主義人民共和国に侵入、撃墜されたとき。
昭和三十一年十一月四日、スエズ、ハンガリー事件の際、若干の航空自衛隊幹部が極東空軍司令部キューター大将の命令で出動、準軍事行動に入った。これが一つ。第二の例は、昭和三十三年の秋、金門・馬祖両島をめぐる台湾海峡の緊張の場合。第三の場合、昭和三十六年四月二十日、米軍機が朝鮮民主主義人民共和国に侵入、撃墜されたとき。
○辻委員 それに関連して、東京の堀ばたにあった米極東空軍司令部が交代しておるはずであります。この東京にあったアメリカの空軍司令部というものは、極東全域の防衛を担任しておった中枢機関でありまして、極東全体、フィリピンあたりもすべて含んでおる。これの指揮機関系統が東京に集まっておる。その実行機関の第五空軍司令部が名古屋にあった。これが当然どこかに移るとすれば、日本全体の指揮連絡が名古屋に移行される。
極東空軍司令部を交代し、極東軍司令部を朝鮮に出す、市ケ谷を今年の七月にあける、こういうことをたしかアメリカの当局が発表したように記憶しておりますが、それは事実どうなっておるか、もし公開でできないなら非公開で示してもらいたい。
○林(一)政府委員 極東空軍司令部の統括区域が極東全般にあったということは私どもも存じております。その後どうなるかということにつきましては、先日発表になったところによりますと、陸海空軍の統括司令部としまして、在日駐留軍司令部ができるということが発表された。この在日駐留軍司令部によって在日の陸海空軍の統括をするということになると思うのであります。
一つの例を申し上げますと、現在、府中にございます極東空軍司令部の関係は、これは昨年の七月ごろまで丸の内のビルにおったのでございますが、府中の方の空軍司令部の施設ができましたものでございますから、あの方へ全部移動いたしまして、それに伴います諸部隊が入っておりました施設が返還になった。
本請願の要旨は、新聞報道によれば、米極東空軍司令部は、F100セイバー・ジェット機を福岡県板付基地に配置するとのことであるが、同機は時速千三百十五キロのスピード記録を保持する超音速機であり、滑走距離も三千メートルを要するばかりでなく、原子爆弾をも積載できる機種で、もし配置されることとなれば、付近にある九州大学は、その猛烈な響きにより、一そう勉強を妨げられことになり、かつ同基地が原爆基地となり、原水爆禍
これは、板付におきまして極東空軍司令部からして、このような強力な航空機というものの持ち込みが伝えられておりますに対して、現地におきまして、従来においてもこのエンジンの音が高いので、学校の勉強が非常にじゃまされておる。さらにこういうものが来てはますます困る。のみならず、この航空機は原水爆を搭載するおそれがある。
なお、以上そういったような日米合同委員会また施設特別委員会におきまして公式に要求したほかに、極東空軍司令部及び極東軍司令部に対しまして、再三再四にわたりましてこの問題の折衝を重ねて今日に至っております。私どもの見解では、当然その移転計画の中に約束がされてあるのであるから、この約束の実現を一日も早く見るように厳重に交渉するというのが筋でございまして、大いに熱意を持ってやっておるつもりでございます。
ことに極東空軍司令部から日米合同委員会に対して、本年七月の十七日付をもって、名古屋地区施設は十月三十一日より移動を開始すると約束したはずでございますけれども、これは実行に移されておるかどうか。私は地元から聞き及ぶところによりますと、まだ実行に移されていないということであるが、これに対して調達庁の御報告を承わりたいと考えます。
海上の捜査でございまして、われわれといたしましても非常に苦労もいたしましたし、それから駐留軍の飛行機にしても、海上保安本部にしても、それから海上警備隊にしても、それぞれ命令系統も違い、非常な苦労をいたしたわけでございますが、非常な努力の結果いろいろな連絡をして、そうして今日の成果をあげたわけでございますが、まず飛行機の操作につきましては、極東空軍司令部に飛行機の出動をお願いいたしまして、大体この海域
○安田政府委員 現在軍人会館を使用しております極東空軍司令部は都内のその他の施設を使用しておりますものと一緒に、すでに府中に移転することになつております。一部は工事着工中でありますけれども、現在府中にある極東空軍補給廠の部隊が立川市付近の都下北多摩郡の大和村に移転することになつております。