1985-10-30 第103回国会 衆議院 予算委員会 第3号
戦前の靖国神社に対してはどういう性格のものであったかというと、例えば一九四四年、当時のアメリカ国務長官ヨーデル・ハルと、その当時の前駐日大使の極東局長グルーを中心とする戦後政策委員会では、靖国神社は国家神道そのものであり、靖国神社から国家神道特有の宗教的儀礼を除去したならば、もはや宗教の名に値しない純然たる国家主義の殿堂であり、その点では他の大多数の神社や伊勢神宮とさえ異なった性格の施設である、こういう
戦前の靖国神社に対してはどういう性格のものであったかというと、例えば一九四四年、当時のアメリカ国務長官ヨーデル・ハルと、その当時の前駐日大使の極東局長グルーを中心とする戦後政策委員会では、靖国神社は国家神道そのものであり、靖国神社から国家神道特有の宗教的儀礼を除去したならば、もはや宗教の名に値しない純然たる国家主義の殿堂であり、その点では他の大多数の神社や伊勢神宮とさえ異なった性格の施設である、こういう
ただ、メンデレオ極東局長と申しますけれども、実は私もそういう方は全然知らないのでございまして、極東局長ということならば、現在バンディという人がちゃんと局長の席におります。私も全然知らないような人間でありまして、私、新聞を見まして、全然重要性を認めませんでしたので、大臣にももちろん御報告しておりません。
早く会見ができるようにしてくれと言つたところが、それがきいたと見えて、翌日九月の二日でございました、自動車で迎えに参りましたのでそれに乗りますと、ソ連外国貿易省の極東局長の名前はスパンダーレンという男のところへ連れて行かれました。この極東局長というのは日本で言えば通商局長というのでございましよう。共産党の北鮮並びに中共を除くところの全アジア地域の関係をやつている通商局長であります。
丁度極東局長のジヨンソン氏がお留守でありましたので、局長代理といたしましてオーバートン氏に会いまして、日本のこの戦争遺家族並びに傷病者に対する優遇、救済が非常に不徹底である実情をドイツの実情と比較いたしまして、私は一時間ほどこのオーバートン氏に日本の国情に合わない、無論私は再軍備という問題とからめて話したわけではありませんけれども、少くともヒューマニズムからいつても、一般の国民感情からいつてもこれではいかんということを
民間代表としては曾てハル国務長官の下に極東局長を勤めておられましたヴアレンタイン博士及びギユリツク博士が随伴せられて、巧みな日本語で一行の面倒を見て下さつたのであります。飛行場からホテルまでは多くの場合憲兵又は警官が先導し、警笛を鳴らし特別行進するのが通例であつたのであります。ニユーヨーク市におきましても又同様でありました。ただ日本国旗を立てて進むことのできなかつたのは遺憾であります。