1967-05-23 第55回国会 衆議院 決算委員会 第9号
われわれといたしましても、交換公文がかわされまして、それによって、地図作製の設計書、規格等についてと、交換公文等に書いてございますけれども、国土地理院長とアメリカ極東地図局との間でやりなさいということで、覚え書きがかわされた、かように考えておるわけであります。
われわれといたしましても、交換公文がかわされまして、それによって、地図作製の設計書、規格等についてと、交換公文等に書いてございますけれども、国土地理院長とアメリカ極東地図局との間でやりなさいということで、覚え書きがかわされた、かように考えておるわけであります。
○安芸説明員 この文書につきましては、極東地図局との周にかわされた一種の外交文書でございまして、外交文書の取り扱いといたしまして、向こうの了解を得なければ出せないというふうに私聞いておりますので、ちょっとそのものずばりをここへお出しすることはできないかと思います。
現物を見た結果、これはやはり米軍の極東地図局がつくらしただけあって、軍事的に直ちに一般の地図に比べて非常に役に立つ地図だと、こういう印象を受けたわけでありますが、あなたはその点そういう印象を受けなかったわけでありますか。
そのときに米極東地図局が金を出して、それでつくらした。そうすると、軍が金を出してつくらす以上は、軍の目的に最高度に有利なような地図をつくらすというのがあたりまえなんだ、これは。そうしなければ軍がわざわざ金を出してつくらせる必要はないんだから。それがつくられた後にどういうふうに利用されるかというのは、これは話は別です。
問題は米軍の極東地図局ですよ。これが金を出して、極東地図局の実質的な指示のもとに地図がつくられたんですよ。そのことはアメリカ軍が自分の軍用に最も有利につくらせるということでしょう。それを前提としないで、アメリカ軍が金を出して日本の国土地理院に地図つくらせますか。次元の低いところで論議しなさるな。要はそこに問題があると言うのですよ。
その渡すまでの間は、米軍はAMS局、米陸軍極東地図局というものを日本に置いておって、その地図をもらったら、御用は済みましたとそれを引き揚げていった。あとはもう座間の機関が残っておるだけだ。だから五年がかりでもって米軍から委嘱を受けて地図を作成したということになりますと、相当な作業である、こういうふうに思うのであります。
昭和三十一年三月、この部隊は米重極東地図局を新設することになり、第二十九大隊と分離をいたしました。その後現在に至るまで、昭和三十二年の一月に名前を変えて、極東米陸軍地図局と改称して、今日では、地図の生産量は年間五百万枚をこえております。司令官はアーサー・T・ストリックランド陸軍中佐であります。現在、日本人の勤務員は約八百五十名であります。
全部で八百五十名、米軍極東地図局に勤務する日本人の勤務者、配属所行まで全部出ています。総本部十七名、第二十五技術小隊三十四名、作業本部八名、地理調査部部長付二名、人文地理課五名、自然地理課三名、図書及びサービス課七名、地理課調査課課長付五名、それから測地部というように――これは全部申し上げる時間がかかりますから、これで省略いたしまして、資料を差し上げますが、八百五十名の日本人がおります。
○小澤委員長 ただいま岡田君より要求がありました米軍極東地図局に勤務する日本人勤務者に関する資料につきましては、会議録に参照として掲載することにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕