1954-01-29 第19回国会 衆議院 本会議 第7号
日本共産党は、昨年の十一月以来、中間綱領ともいうべき「再び情勢と任務について」と題する論文をひそかに下部の組織に流し、その中で、従来の極左的偏向を自己批判した後、現在はまだ権力の奪取を日程に上すべき時期でないから、味方の力を強化する民族解放、民主統一戦線の発展強化の方策をときべきであるとし、広汎なる反米、反吉田、反再軍備の統一戦線へ労働組合、学生、婦人、文化人などを広く組合しようとして活動を続けております
日本共産党は、昨年の十一月以来、中間綱領ともいうべき「再び情勢と任務について」と題する論文をひそかに下部の組織に流し、その中で、従来の極左的偏向を自己批判した後、現在はまだ権力の奪取を日程に上すべき時期でないから、味方の力を強化する民族解放、民主統一戦線の発展強化の方策をときべきであるとし、広汎なる反米、反吉田、反再軍備の統一戦線へ労働組合、学生、婦人、文化人などを広く組合しようとして活動を続けております
民主主義の未発達な、未成熟な段階におきましては、組織労働者五百九十万のうちごく少数の、一握りの極左的偏向を持つ者によりまして全体の労働運動がゆすぶられたという点につきましては御同感でございまするが、これにつきましては過去のことで、今後は、順次労働組合の健全なる良識の回復とともに、こうした問題が逐次解消せられて行くということを考えておるのであります。
即ち労働組合は自主的にみずからの責任において極左的偏向を排し、民主的労働組合は著々その歩を固めつあるので上ありまして、これを我々は断じて保護育成しなければならない責任を持つものであります。
それから三鷹事件、平事件はそのころでなかつたと記憶しておりますが、舞鶴事件あるいは京都事件、そういうような記事が出て、野坂批判というものと関連して、民主主義運動の流れというものは、極左的偏向の愼しみ、いわゆる帰還船の中で船長をつるし上げたとか、そういうことはやはり間違いであるというような、極左的流れというものが、徐行されて来ております。
これは大きく日本新聞の二面全部に、野坂氏の極左的偏向についてということが出ておりました。いわゆる引きまわし主義だとか、いろいろな最近における行き方、いわゆる極左的偏向に対する注意が非常にこまかく出ておりました。
特に一九四九年、去年のたしか九月だつたと思いますが、いわゆる日本のアカハタ転載から、極左的偏向の批判というものが、野坂參三氏の記事において出、あるいは徳田球一氏、あるいは志賀義雄氏の極左的偏向の修正といいますか、そういうような記事が第二面に大きく出ていたことを記憶しております。
○吉田証人 日本新聞に出ておつたのには、いわゆる極左的偏向に対するひより見主義と申しますか、細胞の動きとか、暴力革命と平和革命の主張、そういうようなことが出ておつたことを記憶しております。