1971-03-24 第65回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第2号
○西村関一君 次に、食肉輸入の問題でございますが、今国会の施政方針演説に対する秋山長造議員の代表質問に対しまして、佐藤総理は、畜産衛生等についても業務当局者間の取りきめをする用意があると答弁しておられます。
○西村関一君 次に、食肉輸入の問題でございますが、今国会の施政方針演説に対する秋山長造議員の代表質問に対しまして、佐藤総理は、畜産衛生等についても業務当局者間の取りきめをする用意があると答弁しておられます。
○西村関一君 政府は日中間、わが国と中華人民共和国との間における郵便協定を結ぶために、業務当局間において準備をしておられるというふうに聞くんでございますが、この点、いかがでございますか。
「政府としても、郵便、気象、電信、電波、農業、畜産、衛生等に関する業務当局者間の取りきめや、航空機の臨時便の相互乗り入れ等の措置につきましても、北京政府が応ずるならば前向きに検討する用意があります。」こういうことを言われました。政府は政府間協定を——郵便でありますとか気象でありますとか、それから電信、電波とかそういうようなことは、これは政府間協定でなければできないと思います。
政府としても、郵便、気象、電信、電波、農業、畜産、衛生等に関する業務当局者間の取りきめや、航空機の臨時便の相互乗り入れ等の措置につきましても、北京政府が応ずるならば前向きに検討する用意があります。 また、輸銀の使用は、いままでもケース・バイ・ケースで輸銀の使用ということを考えております。
二月二十七日に佐藤総理から、北京政府との話し合いの門戸は常に開放しておかなくちゃならぬということから、郵便、電信電話などの問題について、業務当局の取りきめには、先方が応ずる場合には前向きにこちらもこたえていく用意があるというような内容の答弁があったわけでございますが、郵政省当局は、過去十数年間、この問題については、技術的な問題としていろいろ検討されておったと私仄聞しておるわけであります。
中国大陸との人的交流につきましては、政府としてもできる限り促進していきたいと考えており、また郵便、気象、電信、電話等に関する業務当局者間の取りきめにつきましては、北京政府が応ずるならば、政府としてこれを前向きに検討する用意があります。
しかし、その赤字累積が六十二万が二十万になったというようなのは、そんなものはとても弁解も何もできない、これはやっぱり私は業務当局者の責任だと思うわけでございます。そういう点につきましては、とにかく総裁やわれわれは、そういう団地サービス会社の本質を、誤った運営が行なわれないようにということは、きびしく強く要請をいたして、せっかく総裁非常に苦心をしていただいておるわけでございます。
まだ正式に話し合いが最終的につかないものですから、この席では申し上げることを差し控えましたが、ただいまいろいろ業務当局者間では話をしているものがある。航空協定につきましては、ただいまお話がありましたが、いましばらく模様を見たいものでございます。
先ほど同僚羽生委員の適当な御質問がございましたが、たとえば義務上の郵便協定あるいは業務上の気象協定のごときは、両業務当局間でやっても、これは政府の承認にならないということは、国際法のABCで、その点を総理もそのとおりだと言われたと思う。事航空協定となるとちょっと厄介のようでございます。しかし、航空乗り入れの事実上の話は私はやってもいいのじゃないかと思います。
開催地が云々であるとか、交渉委員の人選がどうであるとか、交渉の責任がどうであるとかいうこともさることながら、私はたびたび今までもお願いしておったのでありますが、業務当局者として、そういう四角四面の交渉の前提として積極的に、いわば商売人としての立場からでも進めておかなければいけないのじゃないかという私どもの考え方を、この際そういう外務当局の了解もあるというか、外務当局の熱意もあることでありますから、さらにそれを
と言いますのは、その使いがもしかすると郵政業務当局であったかもしれない、私はそういうような感じをさえ持つのであります。
それがたまたまその黄色い米のあまり入らない白い米を去年の十一月ごろから取上げてたわけで、実際の業務当局者も白い米についてはあまり心配しておらなかつたと思います。少くともこの三、四月ごろまではかような問題を心配する気配はなかつたわけであります。その間においておそらく御非難を受けるようなことがあつたのだろうと思います。
ことに公庫が非常に零細企業に対して、商工中金と同様に、大きな働きをして来ておるという事実に関連して、公庫の業務を一層円滑にさせるため、公庫職員の公務員を排除するという点については、しばしば業務当局からの要望もあり、また実際にそれを十分に活用するためにも、その配慮が必要じやないかということが、われわれもまたみな論議をして来た点であります。