2002-07-18 第154回国会 衆議院 農林水産委員会 第17号
○楢崎議員 民主党の楢崎欣弥です。 私は、有明海及び八代海の再生に関する臨時措置法案について、その趣旨を説明いたします。 失ってみて初めて、どんなに大切なものであったかを知る。それが国の政策によって人為的に消滅させられた諫早湾の広大な干潟だったのではないでしょうか。この諫早干潟は、群を抜く生物生産力と浄化能力のゆえに、漁民からは宝の海、有明海の子宮と呼ばれてきました。
○楢崎議員 民主党の楢崎欣弥です。 私は、有明海及び八代海の再生に関する臨時措置法案について、その趣旨を説明いたします。 失ってみて初めて、どんなに大切なものであったかを知る。それが国の政策によって人為的に消滅させられた諫早湾の広大な干潟だったのではないでしょうか。この諫早干潟は、群を抜く生物生産力と浄化能力のゆえに、漁民からは宝の海、有明海の子宮と呼ばれてきました。
我が党の楢崎議員に対しての、これは二月二十八日の農林水産委員会です、きちっと出ております。そして、一月二十四日の予算委員会で小泉総理も、この熊澤前事務次官の勧奨退職扱いになっていることについて、詳しく相談したいとか、割り増しになっていることについても、はっきりと総理も言っているんですよ。それから、まだまだ予算委員会の中でもこの熊澤次官についての退職金の額が出てきます。
○国務大臣(武部勤君) 楢崎議員の御質問にお答えいたします。 まず、全農チキンフーズの偽装事件についてのお尋ねであります。 これは、消費者の信頼を大きく裏切るばかりでなく、生産者の真摯な経営努力を無にしかねない、あるまじき行為であり、極めて遺憾であります。
○国務大臣(森山眞弓君) 楢崎議員にお答え申し上げます。 全農チキンフーズの偽装表示の件についてお尋ねがありました。 まず、犯罪の成否につきましては、収集された証拠に基づいて判断されるべき事柄でありますので、法務大臣としてお答えすることは差し控えさせていただきたいと思います。
今回、この沖振法の中で一部取り入れていただいていることを私は多とするものでありますが、しかし、先ほど楢崎議員がお話をいたしましたように、実際に、今回出てきた北谷町における廃油入りドラム缶、こういったものは、この表の中の、つまり、返還になって、そしてその後出てきたら、じゃ、これは一体だれがクリーニングするんだ、だれがどの責任で、そしてどういう知識に基づいてやるんだ。
予定していた以外に、今の楢崎議員の質問に対する答えで、さらに確かめておきたい点がございます。 十月十八日以前、感染牛が市場に出回った可能性は否定できない、しかし牛肉は安全だと断定されましたが、十月十八日以前とそれ以降と、屠殺の方法についても大幅な変更をいたしましたね。
○国務大臣(橋本龍太郎君) 今、私が楢崎議員に対して十兆円という金額を付してお答えをしたように言われましたが、私は新型国債という言い方をいたし御答弁を申し上げ、その内容は、上山議員に対しましても私は金融システムの安定性確保のための新型国債についてというお答えの仕方をしたと記憶しておりまして、金額を私からは申し上げたとは思いません。 ただ、それが巷間伝えられていることは私も否定をいたしません。
○国務大臣(三塚博君) 楢崎議員にお答え申し上げます。 私に対する御質問は七点でございます。 まず、預金保険機構の財源と公的支援についてのお尋ねでございます。 仮に、現在見込まれている財源では対応が困難な状況が発生いたしました場合には、平成十年度末までに保険料の負担のあり方について検討を行うことといたし、充足してまいります。
○国務大臣(橋本龍太郎君) 楢崎議員にお答えを申し上げます。 まず、今回の預金保険法改正の趣旨についてのお尋ねがございました。 現行法では、債務超過には陥っておりませんものの、多額の不良債権を抱えております金融機関を適切に処理する方策がございません。
そういう中で、特にお母さんの話を楢崎議員から言われました。これは、私のおふくろはおりませんけれども、お年寄りの各位からは、まさにこのことを、いつ上がるんでしょうかと聞かれるわけです。私からは、申しわけないがもう少し御辛抱くださいと。いつまでですかと、もう少し御辛抱くださいと、こう申し上げておるわけであります。
○政府委員(西村吉正君) 先ほど楢崎議員から幾つかの素材の御提供がございました。私どもも、先ほど御指摘のございましたような案がみんなの念頭の中にもあって、それぞれしかし難点があって非常に苦慮しておられる、こういうことかと存じます。
楢崎議員が読み上げられました当省OBからの手紙に同封されておりました請求書の写しは、昨年同議員が再質問主意書に別添として付されましたリストと基本的に同じものでございますが、これをもとに局長に対して再度問いただしました結果、ツケ回しは行っていないと明確に否認をしているところでございます。
○塚原国務大臣 昨日当委員会で楢崎議員から、ただいま先生から御指摘をいただきましたような内容の質問をいただき、御答弁を申し上げましたところ、委員長から、個人の名誉にかかわる問題でもあるので通産省においてきちんと調査を行うように御指摘をいただきました。
本論に入ります前に、きのうの楢崎議員から最後に質問のありました通産省の牧野産業局長へのツケ回しの問題、しり切れトンボでちょっと我々も何となく、このままいくと牧野産業局長は飲み食いし放題、金銭授受のもらいっ放しの印象があるのであります。高鳥委員長からよく調査しろというお話がきのうありましたけれども、この質問に対する事実調査の結果、これについてポイントだけ改めて質問をさせてください。
なお、別紙をごらんいただければ、楢崎議員が質問の根拠として一度発表されたものと同一であることに私も驚いております。この事実を明らかにするため、楢崎氏へ御通知するつもりでおりますので、御了承ください。」とあらかじめ私の名前がここに出されておる。そして、「御通知する」と書いてある。御通知が来ました。それがこれです。 続いて三月十三日の分、同じくその人から、その通産OBから事務次官あて。
○高鳥委員長 楢崎議員に申し上げます。 お約束の時間が来ております。
○高鳥委員長 楢崎議員に申し上げます。
○国務大臣(武村正義君) いろいろ楢崎議員から含蓄のある御意見を承りました。 私も、今回こういう宗教法人法の改正の論議の中で、改めて宗教法人を含めた我が国の公益法人等に対する課税のあり方について勉強をさせていただいているわけであります。
○佐藤静雄君 時間がなくなってまいりましたので、長銀関係の話はあした同僚の楢崎議員がいたしますのでそれに譲ることにいたしまして、実は私の手元に当局の検査の原始記録と思われる書類があるわけでございます。 これは東京協和について六年十一月三十日現在の月別満期予定表という預金の書さ抜きでございます。
今とにかく国際的に、先ほど楢崎議員の質問の中にもあったように、非常に空洞化の問題がある。その空洞化を避けようとして、税の協調という中の分野として税制の堕落問題というのがある。
しかるに、きょうになって、先ほども楢崎議員の方からお話がありましたように、吉松という元事務局長は逮捕までされているのですよ。物すごい資料が警察に押収されているのです。にもかかわらず、まあ今までやりかけたことでなかなか答弁の切りかえができぬのかもしれないけれども、そんな答弁を私が聞いたら、これは運輸省は本格的にこの問題と、改革と取り組む気持ちはないなと思わざるを得ないのですね。
私も楢崎議員に引き続きまして、船舶振興会に絡むことにつきまして御質問申し上げたいと思いますが、その前に一、二点、法務大臣にお尋ねをして置きたいと思います。 それは、昨日でしたか、参議院の予算委員会で法務大臣が御答弁になりました、いわゆる狭山事件と言われておる事件の石川一雄さんにかかわることでありますが、仮釈放の手続を粛々と進めている、こういう意味の答弁があったようでございます。
国民の関心を集めているこの円高問題に対しましては、政府の責任については同僚の楢崎議員の質問に譲ることといたしまして、私はこのような中での景気回復のために公共投資を拡大することが重要であることを取り上げてまいります。あわせて、住宅土地対策の推進並びに農業政策の充実を求めて、総理及び関係閣僚にお伺いいたします。
しかるに、本会議における質疑を行わないばかりか、PKO特別委員会での質疑も、衆議院においてはわずかに二日間で打ち切られ、その間、我が進民連の楢崎議員に認められた質疑時間は十分と十分、合わせてわずかに二十分にしかすぎなかったのであります。 また、私ども進歩民主連合が提出をいたしました修正案に対しては、実質上、全く質疑が行われていないのであります。
また、西尾さんは、楢崎議員の先日の質問について、名誉を傷つけられたとして、法的手続をも考慮している旨の通知書をきのう楢崎議員に発送されたと伺っております。
実は、当時楢崎議員に対して、リクルートの社長室長であった松原弘という者が、昭和六十三年の八月四日に現金百万を渡そうとした。同月二十五日に現金百万を渡そうとした。翌月九月三日に現金五百万を渡そうとしたという事実があるわけであります。それがいわゆる贈賄事件として刑事訴追の対象となって、松原弘氏は起訴され、平成元年には有罪が確定しているわけでありますね。
この時期のリクルート社の献金というのは、事件のもみ消し工作という意味もありまして、例えば楢崎議員へのリクルート社の贈賄申し込み事件、これが八八年八月なんです。そのときに、未公開株をこのもみ消しのためにということで、相当たくさんの、十数人の自民党議員に総額四千万に上る献金を計画して、リストをつくって、そしてそこそこの人にはばらまいたということが言われている時期なんです。