1956-11-19 第25回国会 衆議院 決算委員会 第1号
それからこれもこの前の委員会でお約束申し上げましたことでございますが、これらの事故は終戦以後約三百件に上っておりますが、この三百件の事故につきまして、その原因となった事情、それにとった処置等を研究いたしますために検事研究をいたしまして、そしてこの関係におきまして全国の監督官に準じます次席検事と三回にわたって研究会をいたしまして、参加人員は四十九名でございますが、そのほか庶務課長という、これも監督官級
それからこれもこの前の委員会でお約束申し上げましたことでございますが、これらの事故は終戦以後約三百件に上っておりますが、この三百件の事故につきまして、その原因となった事情、それにとった処置等を研究いたしますために検事研究をいたしまして、そしてこの関係におきまして全国の監督官に準じます次席検事と三回にわたって研究会をいたしまして、参加人員は四十九名でございますが、そのほか庶務課長という、これも監督官級
森島検事が辞表を提出されたのは、私が検事研究のため上京不在中でございまして、同検事が新聞にいろいろお述べになったそのことに対する私の弁解といいますか、さようなことについてどの新聞記者からも意見を述べろということがあったことはございません。私は四月二十二日に上京して二十八日に京都へ帰っておりまして、その間に同検事が辞表をお出しになったのであります。
この第一審の公判廷におきまして、当時の主任検事でありました井村検事は検事研究のために上京しておりまして、これがため反対尋問をいたしておらないのであります。その結果といたしましてこのような食い違いがあったのでありますが、山根検事が行って調べたところによりましても、丸岡署長は、当時そういうことは絶対に聞いておらなかった、こういうふうに申しているのであります。
それから又検事研究という制度がございまして、これはまあ自発的に研究するという形にはなつておりまするが、過去相当一人前になつた検事が寄合いまして、いろいろ問題になつておるような交通権の問題とかこういうものを各地の事情に応じて検討し合つて、そうしてどうしたらよかろうかということを研究するのもやつております。