1976-10-19 第78回国会 参議院 建設委員会 第2号
この破堤現場は東海道新幹線橋梁下流約三百メートルのところであり、破堤時には長さ約五十メートルであったのが、最大八十メートルの破堤に達し、森部輪中内約四平方キロメートルの湛水に続き、北川は旧国道二十一号線から犀川の右岸堤まで、南側は安八町と輪之内町の境界、東側は長良川堤防、西側は牧輪中堤にまで湛水し、その被害状況は床上浸水三千六百四十三戸、床下浸水四百六十六戸にも達したのであります。
この破堤現場は東海道新幹線橋梁下流約三百メートルのところであり、破堤時には長さ約五十メートルであったのが、最大八十メートルの破堤に達し、森部輪中内約四平方キロメートルの湛水に続き、北川は旧国道二十一号線から犀川の右岸堤まで、南側は安八町と輪之内町の境界、東側は長良川堤防、西側は牧輪中堤にまで湛水し、その被害状況は床上浸水三千六百四十三戸、床下浸水四百六十六戸にも達したのであります。
そこの約百メートル以南に森部輪中の排水機が設置してあるわけです。堤外の方は、御承知でございますけれども、犀川を掘るときに、どろで仕方がなくて建設省が無料で埋めたわけです。東面の堤外の河川敷に対しましては、そういうふうな危険な砂で埋めてあるということです。堤防も、御承知のとおり決壊すればわかりますが、砂ばかりです。その辺に、要するにずさんな工事の原因があったろうと思っております。
その破堤した濁流は、森部輪中内、北側は犀川の右岸堤まで、南側は安八町と輪之内町の境界まで、東側は長良川の堤防まで、西側は牧輪中堤まで湛水し、その堤内に流れ出した水量は約四千二百万立方メートルに達し、安八町全域、墨俣町のほぼ全域に浸水し、最大水深四メートル余という湛水状態を生ぜしめるところとなりました。