2015-05-19 第189回国会 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 第3号
梅棹忠夫さん、文化人類学の大家でいらっしゃいますが、生態学の観点、社会学の観点で文明論を論じられた方です。 この方がおっしゃっていたのは、人間にとって科学というのは業だ、カルマだというふうに言っておりました。知能は性欲だと。つまり、知的探求というのは人類の根底の欲求であって、文明はその結果なんだと。
梅棹忠夫さん、文化人類学の大家でいらっしゃいますが、生態学の観点、社会学の観点で文明論を論じられた方です。 この方がおっしゃっていたのは、人間にとって科学というのは業だ、カルマだというふうに言っておりました。知能は性欲だと。つまり、知的探求というのは人類の根底の欲求であって、文明はその結果なんだと。
同時に、今、梅棹忠夫さんのお話もございました。私も、好きでSF映画等々をずっとよく見てきたんですが、概して政治家が悪者というストーリーが多いですよね。せっかく科学者が忠告しておるのに聞かなかったとか。だけれども、数少ない例として、やはり、科学者が暴走する、素人がそれをとめるというものもあるわけで、そこら辺はうまくバランスをとっていく必要があるんだろう。
私が高校一年のときか何かに梅棹忠夫先生の文章がたしか国語の教科書に載っておって、電子計算機というものができてきている、しかし、機械に人間が支配されたらおしまいだというのを感銘深く読んだ経験もありますので、これからまた先生といろいろ議論をさせていただきたいと思います。
これに日本のその当時の政府の首脳を始めとする方々が大変な一種の問題意識をお持ちになって、総理官邸に私的懇談会、といいましても、総理官邸で何回か会議を行われまして、私も末席を連ねて、特にテレビの面からの話をいたしましたけれども、その際に、一つの文化発信必要の哲学というので、これは確か梅棹忠夫先生がおっしゃったことだと思いますが、文化は最上の安全保障であるというお言葉がございまして、この梅棹さんの説をだれよりも
しかし、明らかにアジアと日本はいわゆる同じ文明の中には属さないという言い方をする人は、日本人の中でも例えば梅棹忠夫さんなんかはそういう言い方をしていますし、あるいはハンチントンなんかも日本文明の独自を言っています。私が親しくしている朝鮮半島問題専門家で古田博司というのがいるんですが、彼なんかはもう完全にそう言っています。
ちょっと、これに関連して麻生大臣にお伺いしたいんですが、もう随分古い論文でありますけれども、元国立博物館館長の梅棹忠夫先生が著した「文明の生態史観」というものをお読みでしょうか。また、ここに持っているのですが、最近ベストセラーになっております「国家の品格」、この二つの、一つは論文、一つは書物について、お読みになったかということと、それらの書物、論文に対してどのようなことを思っておられるか。
梅棹忠夫という京都大学の民族学、比較文明学の先生なんですけれども、「情報産業論」という論文を四十二年も前に書いているんです。そこで、情報の値段の決まり方というのは、普通の物、産業社会で生み出される製品、物の値段の決まり方と情報というものの値段の決まり方は全然違う、これはすごいということを四十二年前に指摘しまして、さっきも言った限界効用ゼロの話。
四十年ぐらい前に梅棹忠夫さんという人が「文明の生態史観」という本を書いて、日本は極西の国だというわけですね。それはどういう文脈かは忘れましたけれども、まあ一種の文明論の世界からそういうことを言っているわけなんですけれども。
私は、実はもう随分前に、梅棹忠夫元国立博物館長の「文明の生態史観」というものに非常に感銘を受けた人間で、そこでは、ヨーロッパ及び日本というのは民主主義の土壌があるけれども、イスラム世界、インド世界、中国世界、ロシア世界、ここにおいては歴史上、いいか悪いか別にして、一人の為政者とその他、こういう二元化の政治形態というのが常であるし、現実そうだし、それがいわば安定しているというような論文を読んだこともございます
一九七八年に、日本の総理として初めて、当時、福田総理が中東諸国訪問をされましたときに、その後、梅棹忠夫さんが団長になりまして、私もそれに加わって、あと京都大学に当時おられた上田さんという、上田篤さんという方ですが、その三人が政府派遣の中東文化ミッションということで、ちょうど福田総理の訪ねられた跡をたどる形で訪問いたしました。
小学校五年修了で中学校へ、中学校四修で高校へ進んだ有名人には、刑法の団藤重光さん、民族学の梅棹忠夫さん等がおられます。また、中学校四修で高校へ入学した人々の中には中曽根元首相であるとか、宮澤喜一元首相、宮本顕治さん、不破哲三さん、私たちは上田建二郎さんと申していますが不破哲三さん、それからノーベル賞の湯川秀樹先生、福井謙一先生、江崎玲於奈さん等々がおられます。
占領終了から五年たった一九五七年、梅棹忠夫さんの「文明の生態史観序説」が発表されます。このころから、日本否定の見直しが始まります。その代表的な論文だと申し上げてもいいと思います。ユーラシア大陸の東の端の日本と西の端の西欧、その二つの文明は並行進化したとするわけであります。 梅棹さんによれば、戦前の日本肯定論は神話に基づく非合理的なものだった、かつ西欧否定論と表裏一体だった。
梅棹忠夫先生の「文明の生態史観序説」、それから中根千枝さんの「タテ社会の人間関係」、一生懸命読ませていただきました。 経済大国化していくときに、日本人の国民性が変わってまいりました。和辻哲郎の「風土」によれば、国民性、民族性というのは風土によって規制される、こういうふうに書かれてあるわけで、我が国の風土が変わったわけでもないにもかかわらず、国民性が変わってきた。
その内容をちょっと、どんな方がということを二、三挙げてみますと、民族学博物館の梅棹忠夫先生、それから江崎玲於奈先生、それから一橋大学の阿部謹也先生、それからドナルド・キーン先生、財界からは小林陽太郎さんと堤清二さん、これらの方々にユニバーシティーアドバイザーズになっていただきまして、メンバーをちょっと申し上げただけでもおわかりだと思いますけれども、お忙しいこれらの方々が本当に真剣に会議に出てきていただいて
この芸術文化の持つ公共的な価値については、早くも一九七二年、大阪府が設置しました大阪文化振興研究会のメンバーのお一人で、当時国立民族学博物館の館長であった梅棹忠夫先生がこの研究のメンバーのお一人でございましたが、文化は私事ではなく公事、公のことである、そして教育はチャージ、つまり蓄積、文化はディスチャージ、発散することであると述べられまして、これは後に創元社から「大阪の文化を考える」という本になって
そして、今おっしゃいました五名の委員、それからさらに四名の専門委員あるいは担当科学官三名、これを全部合わせましても、例えば文科系の方は梅棹忠夫さんお一人なんですね。あとの方は全部理科系といいましょうか、そういう自然科学系の人たちなんでしょう。たった一人の人が文科系、社会科学系で、それで五段階評価をするというやり方が果たして正しいのか。
○植木政府委員 上山春平京都国立博物館長をそのヘッドにいたしまして、例えば京都大学の東南アジア研究インターの石井米雄先生であるとか、あるいは国立民族学博物館の館長の梅棹忠夫先生、さらには京都市立芸術大学長梅原猛先生、それから放送大学教授の加藤秀俊先生、京都大学名誉教授桑原武夫先生、東京大学教授の中根千枝先生等々、日本文化研究にかかわりのある大変すぐれた研究者の方々がお集まりになって調査会議を構成しております
その初代館長になられる梅棹忠夫氏の設立に至るまでの苦労話が「天声人語」に書かれておりましたが、その終わりの方で、「やると決まれば、徹底してやりぬくという日本の役人の集中力」、そして関係「各省庁の役人が、激しく議論しながら、一本の糸をよりあげて」その行政を実行した力は偉大なるものであるというふうに「天声人語」の中にうたわれております。
○国務大臣(高見三郎君) これはアイウエオ順になっておりますが、 (演出家) 浅利 慶太さん (日本クラウン株式会社取締役社長) 有田 一寿さん (作 家) 有吉佐和子さん (京都大学教授) 梅棹 忠夫さん (東京工業大学助教授)江頭 淳夫さん (作 家) 遠藤 周作さん (日本国際教育協会理事長) 小川
これを読んで見ますと、「情報とは、人間と人間との間で伝達されるいっさいの記号系列」であるというのが梅棹忠夫さんの解釈だという。「情報とは、知らせる行為であって、知識は知っているという状態であるから、一般的にはすべての情報はみな知識と呼べるのである」、フリッツ・マハループという人。「私は情報をコミュニケートする内容に限定して、人間精神の創造物と考えてみたい。