1980-05-08 第91回国会 衆議院 地方行政委員会 第20号
〔委員長退席、松野委員長代理着席〕 それで一つは、こういった凶悪犯が大阪の梅川事件のように九年七カ月たって許可を受けたという問題。それからまた、再犯者が十年たってもどうも再び同じような罪を犯す性質というのは消えないのではないかというふうなデータがございましたし、それから、それではさらに何年延ばしたらいいかという問題もあります。
〔委員長退席、松野委員長代理着席〕 それで一つは、こういった凶悪犯が大阪の梅川事件のように九年七カ月たって許可を受けたという問題。それからまた、再犯者が十年たってもどうも再び同じような罪を犯す性質というのは消えないのではないかというふうなデータがございましたし、それから、それではさらに何年延ばしたらいいかという問題もあります。
たまたま発生した例の梅川事件を契機にして、かつての豊臣秀吉の刀狩りではないけれども、ともかく銃を減らしてしまおうという意図が介在をして、こういう法案が出てきたのではないかなどという意見すらもあるわけでございます。結局、そういう点から考えますと、この法案の制定につきましても、どうも関係者の理解が十分得られていなかったのじゃないかということが私は感じられてならないところでございます。
当時、例の大阪の梅川事件がありました直後でございまして、あの当時においていち早く審査の着眼点を整理したという点ではそれなりの評価はされると思うわけでございますが、ただ、すべての申請者につきまして一律に詳細な調査をすることになるようなその仕組みにつきましては、検討すべき点があるというふうに私ども考えております。また、それについての御批判もあることも承知をしております。
ただ、もともと危険なものであることだけは間違いがございませんので、それを持っている人のいかんによっては非常な社会的な害悪を流すということでございますので、梅川事件等が一つの契機になったことは間違いありませんけれども、私どもの気持ちの中にはいま一つあるんです。それは暴力団です。暴力団の反復取り締まり。
○政府委員(塩飽得郎君) 梅川事件以後、審査についてかなり時間をかけたということで、いろいろとまた御批判もあろうかと思いますが、あれはあれなりに、十分調査しようということで慎重にやった結果、ずいぶん時間がかかった向きがあったやに聞いております。
そのことによって、梅川事件が起きてあのときを一〇〇として今日と比べますと、銃砲店の売り上げは何と大変なダウンの仕方ですよ。これ、大臣もおわかりになっていた方がいいと思うんです。そうすると、これは余談になりますけれども、経済の発展とかなんとか言っているけれども、警察庁が経済の発展の足を引っ張っているようなものですよ、法律をつくって。
そういうふうに、梅川事件以来減っているんです。確かに新しい銃が売れるということ、その点についてのいわゆる問題点また後でもってお尋ねしますけれども。 で、またもとに戻りますが、やはりこの法律ができるとだめなんですよ。民間の射撃場経営者というのは、銃砲店ですからね、ほとんどは。だから、みんなそっちに行っちゃうのですよ、新しく購入するということになると。つきっきりなんですからね。
○佐藤三吾君 そうしますと、たしか昨年の梅川事件が一月末だったですね。その後の二月に決算委員会で私はこの問題を取り上げたわけですけれども、その際に、大臣も検察庁の方も、この際ひとつ五条一項の六号ですか、それを含めて徹底的に見直して調査をして追及してまいりたいと。こういった徹底的な追及をしてまいった結果が、なおかついま申し上げたような千七百丁がまだ所在不明と、こういうことですか。
これはもう数字として出ておりますけれども、非常に凶悪犯や暴力団関係が多くなっておるような感じがするんですけれども、この原因と、とりわけ梅川事件以後の追及の実態ですね、これ、ひとつ説明してください。
そのうち散弾銃が七十一万九千六十四、それからライフル銃か二万六千八百八十七という数字でございますが、これが梅川事件が起こりましてから所持許可規制を厳しくいたしました結果、昨年五十四年度には二万丁ほどの減少を見せておるという状況でございます。 それから、特に殺人事件等で銃砲を使用する状況はどうかという点ですが、これは諸外国の例などに比べますと、圧倒的に比率は日本が低うございます。
○政府委員(塩飽得郎君) 銃刀法の制度の基本的な見直しにつきましては、所持許可者の実態調査でありますとか、あるいは許可基準の運用実態などにつきまして、大阪の梅川事件の発生した後に、全国一斉検査なども活用いたしまして調査検討を加えている次第でございます。
○佐藤三吾君 もう時間ございませんからこれで終わりますが、いまお聞きのとおりに、大臣、まだ時間があれば私も詳しく聞きたかったわけですが、やはり銃砲に伴う昨年一年だけで事件が七十六人中五十四人と、しかも昨年の十二月結果で、銃がわからなくなった、こういった事例が千三百超えると、そういうものが、私は、今回のこの梅川事件を引き起こした一番大きな一つ要素になるんじゃないかと思うんです。