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54件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2017-03-30 第193回国会 参議院 総務委員会 第7号

梁瀬病院という旧山東町、今は朝来市に合併されておりますけれども、その梁瀬病院ベッド数なしになっちゃったら困るということで、当時の区長会会長は、命を何と心得ておるんやと憤って、昭和三十一年に住民が一等地を提供して資金も出して造ったのが梁瀬病院で、そこを潰すわけにはいかないと自ら区長会会長が大阪に医師の確保に走るとか、あるいは、経営がピンチだと聞けば、町内に号令を掛けて、地元のおらが病院で健康診断

山下芳生

2007-10-23 第168回国会 参議院 総務委員会 第2号

九つ病院のうち三つ、梁瀬病院出石病院村岡病院、これをベッド数ゼロなどの診療所化しようという内容でありました。これ、瞬く間に地域ぐるみ住民ぐるみ自分たち病院を守ろうとの大運動が起こって、診療所化計画は撤回され、現在も九つ病院すべて病院として存在をしております。住民病院への思いは強いと思います。  ただ、病院は守られましたけれども医師集約化が進められました。

山下芳生

1998-09-07 第143回国会 衆議院 日本国有鉄道清算事業団の債務処理及び国有林野事業の改革等に関する特別委員会 第4号

どもは、この高知県の魚梁瀬営林署廃止問題で、現地に入って調査をいたしました。魚梁瀬地域というのは、大臣御存じだと思うのですけれども、実は馬路村という村の中にありまして、人口二百九十三人、そのうち営林署職員家族が四十五世帯九十五人、つまり三分の一を営林署職員家族で占めております。

中林よし子

1995-06-16 第132回国会 衆議院 内閣委員会 第11号

 傷病恩給等改善に関する請願山口      敏夫紹介)(第九六七号)   四四 元陸海軍従軍看護婦に対する処遇に関      する請願早川勝紹介)(第一〇一      一号)   四五 同(早川勝紹介)(第一〇一八号)   四六 同(荒井広幸紹介)(第一〇四一号       )   四七 同(早川勝紹介)(第一〇四二号)   四八 同(早川勝紹介)(第一〇四七号)   四九 同(梁瀬進君紹介

会議録情報

1995-06-08 第132回国会 衆議院 内閣委員会 第9号

月原茂皓紹介)(第八八七号)  同外五件(佐藤信二紹介)(第九一八号)  傷病恩給等改善に関する請願山口敏夫君紹  介)(第九六七号) 五月十六日  元陸海軍従軍看護婦に対する処遇に関する請願  (早川勝紹介)(第一〇一一号)  同(早川勝紹介)(第一〇一八号)  同(荒井広幸紹介)(第一〇四一号)  同(早川勝紹介)(第一〇四二号)  同(早川勝紹介)(第一〇四七号)  同(梁瀬進君紹介

会議録情報

1993-06-04 第126回国会 参議院 農林水産委員会 第15号

ここに五月十七日の読売新聞に載りました記事があるんですけれども、無農薬有機農法を普及させた医師梁瀬義亮さんという方がお亡くなりになったという記事が出ております。その見出しに、「僕に間違いがあったら 今、言ってくれ」、「遺された言葉」ということで、  「化学肥料農薬、それは死の魔法です。生命を無視し、増産だけが目的ですから」。

新間正次

1990-05-25 第118回国会 参議院 産業・資源エネルギーに関する調査会 第5号

さて、日本におけるボルボでありますが、既に一九六一年に梁瀬自動車を通じて輸入が開始されております。一九七四年には、帝人株式会社との合弁により帝人ボルボ株式会社が設立され、活発な事業展開を図ろうとしたやさき、第一次オイルショックに見舞われまして、出ばなをくじかれる形となりました。

山岡国秀

1988-04-13 第112回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号

もう一つ林野庁にお伺いしますが、奈半利川上流の魚梁瀬国有林の伐採が進みまして、皆伐地を中心に八百カ所近い崩壊が見られるという状態でございます。この水源の山の荒廃の想像以上の進行が奈半利川濁水一つの原因になっている。電発もそのことを念頭に置いて奥地山林等濁水発生源対策を講ずる必要性を認めているのであります。

山原健二郎

1987-09-17 第109回国会 衆議院 農林水産委員会 第10号

例えば私の県などは国有林に依存する度合いは非常に高いわけでして、御承知だと思いますが、高知県安芸郡馬路村の魚梁瀬営林署、それから馬路営林署、二つの統合問題で今まで随分長い間、自治体も反対をしまして、林野庁とも交渉を持ち、何と言いますか、長く紛糾が続いたわけでございますが、今度こういうことが行われますと、これはもう山村にとりましては重大な問題であり、しかも山村地域荒廃の一途をたどる以外にないのではないかという

山原健二郎

1984-04-10 第101回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号

先生も御案内と存じますが、今国有林が大きく所在しておりますところの名前で申しますと、例えば秋田杉にいたしましても、木曽にいたしましても、それから四国の魚梁瀬にいたしましても、あるいは最近急に脚光を浴びております九州の屋久杉にいたしましても、これはそれまではほとんど価値として認められていなかったわけでございます。

村尾行一

1967-12-19 第57回国会 参議院 予算委員会 第4号

現に兵庫県の朝來郡の山東町には公立の豊岡病院の分院として梁瀬病院というのがございますが、ここは非常にりっぱなコンクリート建ての避病舎までもかかえている病院でございますが、もともとは院長を中心にして五人のお医者さんが診療に当たっておられました。しかし、いつの間にやら一人去り二人去りして、いまでは看護婦さんだけはおりますけれども、一人のお医者さんもいないのです。

中沢伊登子

1966-11-17 第52回国会 参議院 決算委員会 閉会後第10号

重政氏は、昭和四十年十月十日に、共和産商から、梁瀬自動車株式会社から、金額は三百六十五万円、おそらくいま乗っている自動車だと思います。しかし、重政さんは、委員会で問題になってからいろんな点変更しておりますから、現在別な自動車に乗っていることかもしれません。しかし、乗ったことは間違いない。金額は三百六十五万円、自動車の型、六六年型ビック乗用車、ナンバーは、これは全部調べてまいりました。

大森創造

1965-09-10 第49回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第1号

われわれの調査時点においても、なお、三江北線の.石見梁瀬、粕渕間の江川橋梁橋げたは流失のままであり、他にも多くの末復旧の橋梁を見る等、洪水時のなまなましい爪あとは随所に存在していました。  災害救助法が発動されたのは、結局、広島県において五カ市町村、島根県において七カ市町村であります。  要望事項についておもなものを申し上げます。  まず第一に、河川改修早期実施ということであります。

稲浦鹿藏

1965-08-09 第49回国会 参議院 災害対策特別委員会 第3号

それから三江北線石見梁瀬・粕淵間の江川橋梁橋げたが流失いたしましたが、スパンが三十六メートルという特殊な長いけたであるために、これを製作をするために日時を要しますので、十一月開通の見込みでございます。これらの被害総額は約六億円でございます。  この豪雨の際の私鉄関係につきましては、日の丸自動車法勝寺線をはじめ七社、十九区間に被災をいたしまして、被害見込み額は千二百万円であります。

堀武夫

1965-03-11 第48回国会 衆議院 決算委員会 第13号

そのときはそんなことでありまして、私どもの考え方からいたしますと、四国の魚梁瀬のほうも実は見てまいりました。それから、西松がたしか農林省の何かで小さなロックをやったということも聞いておるのであります。西松も福井県の出身でございまして、心の底では、第一工区、第二工区は前田、熊谷二つ入っておりましたので、どっちでもいいが、とってくれればよいがという気持ちがございました。

笠羽清右衛門

1965-03-04 第48回国会 衆議院 決算委員会 第11号

○勝澤委員 そこで、いままでとそう変わりがないというならば、いままでの工事で魚梁瀬を見てみますと、魚梁瀬目途額が三十五億、入札が鹿島四十五億、間四十七億、それから清水四十七億、ここで目途額が三十五億であった。そして三社の中で最低が四十五億、十億の違いがあるわけですね。目途額の三十五億、そして鹿島最低で四十五億、十億の違いがあって、ここで話し合いによって三十五億にきめた。

勝澤芳雄

1965-03-04 第48回国会 衆議院 決算委員会 第11号

われわれ常識的にものを考えてみて、三十五億で電発が魚梁瀬を計画したやつが、とにかく四十五億、四十七億、四十七億というふうに持っていって、そうしてあと見積もり合わせで三十五億に十億減らしたというのです。そういうことが魚梁瀬で行なわれているわけですね。それがいままで全部やられてきたわけです。そうして刑事上の問題にならないということが私はふしぎだと思うのですが、その点いかがでしょう。

勝澤芳雄