2017-03-30 第193回国会 参議院 総務委員会 第7号
梁瀬病院という旧山東町、今は朝来市に合併されておりますけれども、その梁瀬病院がベッド数なしになっちゃったら困るということで、当時の区長会の会長は、命を何と心得ておるんやと憤って、昭和三十一年に住民が一等地を提供して資金も出して造ったのが梁瀬病院で、そこを潰すわけにはいかないと自ら区長会の会長が大阪に医師の確保に走るとか、あるいは、経営がピンチだと聞けば、町内に号令を掛けて、地元のおらが病院で健康診断
梁瀬病院という旧山東町、今は朝来市に合併されておりますけれども、その梁瀬病院がベッド数なしになっちゃったら困るということで、当時の区長会の会長は、命を何と心得ておるんやと憤って、昭和三十一年に住民が一等地を提供して資金も出して造ったのが梁瀬病院で、そこを潰すわけにはいかないと自ら区長会の会長が大阪に医師の確保に走るとか、あるいは、経営がピンチだと聞けば、町内に号令を掛けて、地元のおらが病院で健康診断
九つの病院のうち三つ、梁瀬病院、出石病院、村岡病院、これをベッド数ゼロなどの診療所化しようという内容でありました。これ、瞬く間に地域ぐるみ、住民ぐるみで自分たちの病院を守ろうとの大運動が起こって、診療所化計画は撤回され、現在も九つの病院すべて病院として存在をしております。住民の病院への思いは強いと思います。 ただ、病院は守られましたけれども、医師の集約化が進められました。
私どもは、この高知県の魚梁瀬営林署廃止問題で、現地に入って調査をいたしました。魚梁瀬地域というのは、大臣御存じだと思うのですけれども、実は馬路村という村の中にありまして、人口二百九十三人、そのうち営林署の職員と家族が四十五世帯九十五人、つまり三分の一を営林署の職員と家族で占めております。
傷病恩給等の改善に関する請願(山口 敏夫君紹介)(第九六七号) 四四 元陸海軍従軍看護婦に対する処遇に関 する請願(早川勝君紹介)(第一〇一 一号) 四五 同(早川勝君紹介)(第一〇一八号) 四六 同(荒井広幸君紹介)(第一〇四一号 ) 四七 同(早川勝君紹介)(第一〇四二号) 四八 同(早川勝君紹介)(第一〇四七号) 四九 同(梁瀬進君紹介
(月原茂皓君紹介)(第八八七号) 同外五件(佐藤信二君紹介)(第九一八号) 傷病恩給等の改善に関する請願(山口敏夫君紹 介)(第九六七号) 五月十六日 元陸海軍従軍看護婦に対する処遇に関する請願 (早川勝君紹介)(第一〇一一号) 同(早川勝君紹介)(第一〇一八号) 同(荒井広幸君紹介)(第一〇四一号) 同(早川勝君紹介)(第一〇四二号) 同(早川勝君紹介)(第一〇四七号) 同(梁瀬進君紹介
ここに五月十七日の読売新聞に載りました記事があるんですけれども、無農薬・有機農法を普及させた医師、梁瀬義亮さんという方がお亡くなりになったという記事が出ております。その見出しに、「僕に間違いがあったら 今、言ってくれ」、「遺された言葉」ということで、 「化学肥料や農薬、それは死の魔法です。生命を無視し、増産だけが目的ですから」。
高知県には馬路村という村がありまして、この馬路村の魚梁瀬の営林署や担当区事務所は、この馬路村における唯一の国の公的機関といってもいいほど大変大きな存在で、住民の多数が営林署に従事している村でございますけれども、この馬路村にとってこのことは大変大きな関心事でございます。
さて、日本におけるボルボでありますが、既に一九六一年に梁瀬自動車を通じて輸入が開始されております。一九七四年には、帝人株式会社との合弁により帝人ボルボ株式会社が設立され、活発な事業展開を図ろうとしたやさき、第一次オイルショックに見舞われまして、出ばなをくじかれる形となりました。
もう一つは林野庁にお伺いしますが、奈半利川上流の魚梁瀬の国有林の伐採が進みまして、皆伐地を中心に八百カ所近い崩壊が見られるという状態でございます。この水源の山の荒廃の想像以上の進行が奈半利川濁水の一つの原因になっている。電発もそのことを念頭に置いて奥地山林等の濁水発生源対策を講ずる必要性を認めているのであります。
例えば私の県などは国有林に依存する度合いは非常に高いわけでして、御承知だと思いますが、高知県安芸郡馬路村の魚梁瀬営林署、それから馬路営林署、二つの統合問題で今まで随分長い間、自治体も反対をしまして、林野庁とも交渉を持ち、何と言いますか、長く紛糾が続いたわけでございますが、今度こういうことが行われますと、これはもう山村にとりましては重大な問題であり、しかも山村地域は荒廃の一途をたどる以外にないのではないかという
輸入組合でありますから、しかもその後、この輸入組合の理事長というのは株式会社ヤナセですから、梁瀬社長が理事長ですから、どうやらこの株式会社ヤナセさんから横やりが入る。なぜ横やりが入るのかというと、申し上げておりますように発行しておる輸入組合に尋ねるとすぐにわかる。
先生も御案内と存じますが、今国有林が大きく所在しておりますところの名前で申しますと、例えば秋田杉にいたしましても、木曽にいたしましても、それから四国の魚梁瀬にいたしましても、あるいは最近急に脚光を浴びております九州の屋久杉にいたしましても、これはそれまではほとんど価値として認められていなかったわけでございます。
これは河川局長もよく御承知の早明浦ダムにしても、電発でやった魚梁瀬のダムでも、あのダムをやったことによって魚梁瀬一帯の方は全くの寒村になってしまって、そうして絶えず魚梁瀬のダムの水によって奈半利用が汚濁をされて、アユ漁も全くやまってしまったというような話もいつもされるわけです。
そこで、ああいう魚梁瀬の地区から営林署がなくなったらどうなるか。それはよけいに過疎になる。仕事には迷惑をかけないといっても、現実的には位事の面でもどうしても立ちおくれてくるわけですから、その辺についての見解を承っておきたいと思います。
○福田(省)政府委員 ただいま先生がおっしゃいましたとおりでございまして、特に、あの魚梁瀬の営林署は、私が高知におりましたときにも、むしろこれは便利な奈半利に置いたらどうかというような意見があったり、いろいろと問題のあったことも記憶いたしておるのでございます。
現に兵庫県の朝來郡の山東町には公立の豊岡病院の分院として梁瀬病院というのがございますが、ここは非常にりっぱなコンクリート建ての避病舎までもかかえている病院でございますが、もともとは院長を中心にして五人のお医者さんが診療に当たっておられました。しかし、いつの間にやら一人去り二人去りして、いまでは看護婦さんだけはおりますけれども、一人のお医者さんもいないのです。
重政氏は、昭和四十年十月十日に、共和産商から、梁瀬自動車株式会社から、金額は三百六十五万円、おそらくいま乗っている自動車だと思います。しかし、重政さんは、委員会で問題になってからいろんな点変更しておりますから、現在別な自動車に乗っていることかもしれません。しかし、乗ったことは間違いない。金額は三百六十五万円、自動車の型、六六年型ビック乗用車、ナンバーは、これは全部調べてまいりました。
われわれの調査時点においても、なお、三江北線の.石見梁瀬、粕渕間の江川橋梁の橋げたは流失のままであり、他にも多くの末復旧の橋梁を見る等、洪水時のなまなましい爪あとは随所に存在していました。 災害救助法が発動されたのは、結局、広島県において五カ市町村、島根県において七カ市町村であります。 要望事項についておもなものを申し上げます。 まず第一に、河川改修の早期実施ということであります。
それから三江北線の石見梁瀬・粕淵間の江川橋梁の橋げたが流失いたしましたが、スパンが三十六メートルという特殊な長いけたであるために、これを製作をするために日時を要しますので、十一月開通の見込みでございます。これらの被害総額は約六億円でございます。 この豪雨の際の私鉄関係につきましては、日の丸自動車の法勝寺線をはじめ七社、十九区間に被災をいたしまして、被害見込み額は千二百万円であります。
そのときはそんなことでありまして、私どもの考え方からいたしますと、四国の魚梁瀬のほうも実は見てまいりました。それから、西松がたしか農林省の何かで小さなロックをやったということも聞いておるのであります。西松も福井県の出身でございまして、心の底では、第一工区、第二工区は前田、熊谷二つ入っておりましたので、どっちでもいいが、とってくれればよいがという気持ちがございました。
○勝澤委員 そこで、いままでとそう変わりがないというならば、いままでの工事で魚梁瀬を見てみますと、魚梁瀬は目途額が三十五億、入札が鹿島四十五億、間四十七億、それから清水四十七億、ここで目途額が三十五億であった。そして三社の中で最低が四十五億、十億の違いがあるわけですね。目途額の三十五億、そして鹿島が最低で四十五億、十億の違いがあって、ここで話し合いによって三十五億にきめた。
われわれ常識的にものを考えてみて、三十五億で電発が魚梁瀬を計画したやつが、とにかく四十五億、四十七億、四十七億というふうに持っていって、そうしてあとは見積もり合わせで三十五億に十億減らしたというのです。そういうことが魚梁瀬で行なわれているわけですね。それがいままで全部やられてきたわけです。そうして刑事上の問題にならないということが私はふしぎだと思うのですが、その点いかがでしょう。