2003-04-22 第156回国会 参議院 国土交通委員会 第8号
首都高速道路公団は、顧問に、日下部二郎さん、東急ハンズ社長、そして鈴木幸一さん、IIJの社長、これも民営化に向けた総合指導をいただくということで、三菱総研の桧垣亨さんも常勤でこれは来ていただいて民営化に向けたコスト削減の業務体制に関する事項をしていただく。
首都高速道路公団は、顧問に、日下部二郎さん、東急ハンズ社長、そして鈴木幸一さん、IIJの社長、これも民営化に向けた総合指導をいただくということで、三菱総研の桧垣亨さんも常勤でこれは来ていただいて民営化に向けたコスト削減の業務体制に関する事項をしていただく。
それは、皆さん方農水省の大先輩であります農業会議所会長の桧垣さんが、この前の公述人でお出かけいただいたときに、自民党の増田委員からの質問で、こう話しておるのです。農業団体の頂点にいる人間なので、系統組織の問題について、なかなか言いにくいのでありますと。
それでは、早速でございますが、桧垣公述人にお尋ねしたいのですが、食料自給率の関係で何%ぐらいをお考えですか、ずばり、これが一点。
○宮地委員 次に、桧垣公述人にお伺いしたいと思います。 特に自給率の向上と、いわゆる優良農地の確保というのは、これは切っても切れない大変重要なところでございます。特に農地転用の問題というのが最近非常に大きな問題で、私の住んでいる埼玉県などは、首都圏で都市農業の非常に盛んなところでございますが、一時、バブル期などにおいては、この農地転用の問題、宅地化の問題等で大変苦労したところでございます。
御意見は、桧垣公述人、辻井公述人、久保公述人、佐伯公述人の順に、お一人十五分程度でお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答え願いたいと存じます。 なお、念のために申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、公述人は委員に対して質疑を行うことはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
しかし、全体として組織的にきちっとなっていなければそういうものはスタートできないというものでもございませんから、委員のたびたびの御指摘であり、また大変貴重な御意見でございますから、私の方から農水大臣にも呼びかけ、農業会議所の会長、これは桧垣徳太郎さんでございますが、呼びかけ、あるいは農中の会長等を含めて、環境と中山間地帯の問題、それから食糧と環境の問題、こうした問題について一回フリートーキングの機会
長官は、大変難しい問題を二つ出しましたが、山の方のこと、それから桧垣徳太郎さんが提起した農業会議の問題、これは二つ大きな問題ですから、よろしくひとつお願いしたい。 以上で終わります。
○竹内(猛)委員 全国農業会議の桧垣徳太郎会長は農林水産大臣の諮問に対して、本答申の中で、二十一世紀の農業・農村確立に向かって新たなる国民的理解を、合意を得るという立場から、大河原農林水産大臣に対して、地域の住民や消費者や、あるいはいろいろな方々の顔の見える、そういう立場から、草の根型あるいは実践型の食と環境を考える国民運動の展開を提唱している。
この間までは皆様方の同僚議員でございます桧垣徳太郎さんも顧問でございましたが、今おられませんものですから、私自身が顧問になっておりますが、これは国会決議の尊重ということは当時から申し上げ続けておりました。
私も長い間農林関係をずっとやってまいりまして、この間参議院におられました桧垣徳太郎さんと私が総合農政調査会の顧問と、こういうことになっている。私が一人今残っているわけでございますけれども、そういう立場の中でも養蚕なんかは私が国会に出ました二十数年前、考えてみますると六万五、六千軒くらい私の県でもあったわけです。
桧垣徳太郎先生のような立派な全国農業会議所の会長さんの足元で、そこでミカンをつくる皆さんがあれだけの努力をされながら、なおかつ初めて今選挙を前にして支持をしないということを言われることは相当な決意が要ると思う。そういう決意をしなければならないほど青年が考えているということは、大変これは大事なことではないか、しっかりこれはかみしめる必要があるだろう。あるいはまた大分県でもそうです。
だから、何ぼ頑張ってみてもこれはだめかなという形でだんだんいって、結局、例えばミカンなんかにしても三百万に対する百八十万、そういう形で二万二千ヘクタールをあれしなければならぬ、こういうような形になって、その後始末はしているけれども、桧垣徳太郎さんに対する地元の声はそれは厳しいですよ。そういうことがずっと末端までいっているのだから、その辺のことについて。
名尾 良孝君 永野 茂門君 久保田真苗君 委 員 岩上 二郎君 大島 友治君 大浜 方栄君 木宮 和彦君 古賀雷四郎君 桧垣徳太郎君
久保田真苗君 委 員 岩上 二郎君 大島 友治君 大浜 方栄君 岡田 広君 亀長 友義君 古賀雷四郎君 鳩山威一郎君 桧垣徳太郎君
理 事 久保田真苗君 岩上 二郎君 大島 友治君 大浜 方栄君 岡田 広君 亀長 友義君 古賀雷四郎君 鳩山威一郎君 桧垣徳太郎君
板垣 正君 名尾 良孝君 永野 茂門君 久保田真苗君 委 員 大島 友治君 岡田 広君 亀長 友義君 古賀雷四郎君 桧垣徳太郎君
中曽根弘文君 中西 一郎君 中村 太郎君 仲川 幸男君 永田 良雄君 永野 茂門君 成相 善十君 西村 尚治君 野沢 太三君 長谷 川信君 服部 安司君 初村滝一郎君 林 健太郎君 林 寛子君 林 ゆう君 林田悠紀夫君 原 文兵衛君 桧垣徳太郎君
名尾 良孝君 中曽根弘文君 中西 一郎君 中村 太郎君 仲川 幸男君 永田 良雄君 永野 茂門君 成相 善十君 西村 尚治君 野沢 太三君 長谷 川信君 服部 安司君 初村滝一郎君 林 健太郎君 林 寛子君 林 ゆう君 原 文兵衛君 桧垣徳太郎君
中曽根弘文君 中西 一郎君 中村 太郎君 仲川 幸男君 永田 良雄君 永野 茂門君 成相 善十君 西村 尚治君 野沢 太三君 長谷 川信君 服部 安司君 初村滝一郎君 林 健太郎君 林 寛子君 林 ゆう君 林田悠紀夫君 原 文兵衛君 桧垣徳太郎君
中西 一郎君 中村 太郎君 仲川 幸男君 永田 良雄君 永野 茂門君 成相 善十君 西村 尚治君 野沢 太三君 長谷 川信君 服部 安司君 初村滝一郎君 鳩山威一郎君 林 健太郎君 林 寛子君 林 ゆう君 林田悠紀夫君 原 文兵衛君 桧垣徳太郎君
名尾 良孝君 永野 茂門君 久保田真苗君 委 員 大島 友治君 大浜 方栄君 岡田 広君 亀長 友義君 古賀雷四郎君 桧垣徳太郎君
久保田真苗君 委 員 岩上 二郎君 大島 友治君 大浜 方栄君 岡田 広君 亀長 友義君 木宮 和彦君 古賀雷四郎君 桧垣徳太郎君
板垣 正君 名尾 良孝君 永野 茂門君 委 員 大島 友治君 大浜 方栄君 岡田 広君 亀長 友義君 古賀雷四郎君 桧垣徳太郎君
名尾 良孝君 永野 茂門君 久保田真苗君 委 員 大島 友治君 大浜 方栄君 岡田 広君 亀長 友義君 古賀雷四郎君 桧垣徳太郎君
名尾 良孝君 永野 茂門君 久保田真苗君 委 員 大島 友治君 大浜 方栄君 岡田 広君 亀長 友義君 古賀雷四郎君 桧垣徳太郎君
昭和六十三年十一月二十二日(火曜日) 午前十時開会 ───────────── 委員の異動 十月十九日 辞任 補欠選任 上杉 光弘君 桧垣徳太郎君 十月二十一日 辞任 補欠選任 桧垣徳太郎君 上杉 光弘君 ───────────── 出席者は左のとおり。