2017-03-24 第193回国会 参議院 予算委員会 第16号
まだ当事者も含めて周りはみんな土俵じゃなくて桟敷席とかお客さんのところにいます。で、偽証罪に問われるところまで、一応腹を決めて昨日証言をされた籠池理事長の証言があって、それに対して、実は土俵の外でみんなが、それは違うぞ、うそだぞ、私はそう言っていないと言っています。この状況では国民は納得しません。
まだ当事者も含めて周りはみんな土俵じゃなくて桟敷席とかお客さんのところにいます。で、偽証罪に問われるところまで、一応腹を決めて昨日証言をされた籠池理事長の証言があって、それに対して、実は土俵の外でみんなが、それは違うぞ、うそだぞ、私はそう言っていないと言っています。この状況では国民は納得しません。
つまり、御指摘のあるように、昨年成立した秘密保護法と併せてこれが施行された場合には、全く国民はつんぼ桟敷、何も知らされないで、時の政権がアメリカの要請に応じてほいほいあちらこちらへ出かけていって国民の税金を際限なく使うと、そういう事態は絶対に許すべきではないというふうに思っております。
さらに具体的に言うと、今現在、花火大会で一番いいところに桟敷席みたいなのをつくって、県外の方とかに席を売るわけですよ。でも、そんなことよりも、個人的には、桟敷席のスペースを千席、例えば、市長が用意する席、それから知事が用意する席みたいな、お隣にいらっしゃっていますけれども、年に一度の花火大会に市民とか県民を抽せんで呼んじゃおうと。プレゼント。
それか、見合った処遇をしてくれ、桟敷席に上げろとやはり言わなければおかしいですね。再度、御決意を確認します。
その人は桟敷席に座らせてくれますよ。それから、はっぴは出てくるわ、お酒は出てくるわで、それこそ最大の名主さんになりますよ。 日本は桟敷席に何で座らせてもらえないんですか、ここまでやって。これは政府全体の、今申し上げたような、お金を払っているのは事実なんです。それは払うなとは言いません。これは百歩譲っていますよ。
○古本委員 官房長官、桟敷席を答えてもらっていないような気がするんです。桟敷席に日本は上がる予定があるのか、上げてもらえるのか。桟敷席というのは、祭りに行ったって勝手に上がるわけにはいきません。祭りをやっている主催者が、さあどうぞ、先生どうぞといつも言われて桟敷席でしょう、長官も。ちゃんとそう言ってもらえるんですか、日本は。
ほとんど個々人のあれでは、情報というのはつんぼ桟敷に置かれる場合が多いわけでして、情報をやはり、広い意味では公開するということになるんですけれども、もっと公開することに自由にならないと、なるべく物を隠そうよという今の風潮といいましょうか、それをどうやって払拭するのかというのが本当に安全性を求める側としては重要だなというふうに常々考えているところです。
したがいまして、十分な根拠を持ってはいませんけれども、中台経済協力が、経済関係が深まっていって社会関係も深まっていくという中で、ただ、その周囲の国家がつんぼ桟敷にといいますか、余りよく理解できないうちにずるずるずるずるとあっという間にその平和的統一が進んでいってしまうという、政治的な面でですね、そういうことは余り考えられないというふうに私は思います。
今、外務省は官邸と連絡を取って首相の訪朝あるいはまた外務大臣の訪朝などについて打合せをしておると、それなら我々としても頑張ってくれと、こういうことになるわけで、一切連絡がないということはあなた方が、変な言葉、差別用語ですけれども、つんぼ桟敷に置かれているということを自ら認めていたわけでしょう、あのときは。それが今になると、もう二月から連絡があったと。
例えば、与党の幹事長とかあるいは国対委員長、あるいは、先ほど来話になっておりますとおりの、僕が承知しているのは三十数人と聞いておりますけれども、そういう与党の幹部の方々に、関係者にそれを配って歩いたというか説明したといったような話なんかも、それではあなたはつんぼ桟敷に置かれておったんですか。知らないはずがないと僕は思うんですけれどもね。
それから、四ページ目の一行目、「事業決定には住民はつんぼ桟敷です。」、まことに障害者の人には申しわけなかったと思いますが、つんぼ桟敷は差別語でございますので、これは障害者の皆さんにおわびをして、この言葉は削除して、事業決定には住民は阻害され続けましたというふうに訂正をお願いいたしたいと思います。 それでは、初めから申し上げます。
もしこのような警察に情報の公開の判断をすべて任せる、最終判断を任せるということになったならば、警察の情報は完全に国民はつんぼ桟敷に置かれるような状態になってしまいます。そういう状態のもとでいったならば、私は来年施行される情報公開法というものの意味は半減以下に減ってしまうのではないかと思います。
これは、何の経験から生まれたかと言えば、軍人出身の駐独武官がドイツの大使になる、そして、日独伊軍事同盟のときには、陸軍とその大使の通信は密で、外務省がつんぼ桟敷に置かれたという歯ぎしりをする経験があって、戦後十年目の昭和三十年にこの事務次官の覚書ができておる。
大臣がつんぼ桟敷に置かれていることを同じ政治家としてどう考えたのかと。何か再発防止のため何とか委員会をつくるとか、そんな瑣末なことを聞いているわけじゃないのでありまして、防衛庁に対する国会の管掌、その先端に立つ大臣がそんなことでいいのかどうかと。そういう観点から私は問題を提起しておるわけであります。
形式をおろそかにすることによっていつの間にかこれは重要である、これは重要でないということをそれぞれのずっとその省にいる局長さんや課長さんの主観によって勝手に分けてくる可能性があるわけでございますから、そこから議員がせっかく閣僚になって行っておるのに主導権がとれないでつんぼ桟敷に置かれるということが起きてくるわけでございます。
主管の大臣をおいて、これは全然つんぼ桟敷なんですか、ちょっと考えられませんけれどもね。私は、当然御相談があってしかるべきだと思う。決まってから、こういうふうにせい、こうなるのですか。
○証人(友部百男君) 先ほども申し上げたとおり、事実として申し上げるんで、私も保身を図っているわけではないんですが、平成六年の六月、先ほど申し上げた五名で政治、選挙の話をいたしまして、猛烈に反対して、新渡英夫先生というような、私がいないところ、いわゆるつんぼ桟敷というところで、表面下で交流がなされて動いていた次第でありまして、私が直接幾らだということを賜った先生はおりません。
今回の場合、本当にそれぞれの官庁内での意思の伝達も大変不十分だったと同時に、一番危険にさらされている側が全くつんぼ桟敷に置かれている。
また機会を得てシナという問題あるいはつんぼ桟敷とかめくら判とか、これは政府が地方自治体にそんなことは改めなさいと通達を出しているのです。それに対して、あなたの方からそんなことはわかり切ったことじゃないかとばんと言わなければ、総務庁が幾ら社会啓発と言ったところで国会自体から崩れていっていることになります。特に賎称語、「四つ」の問題について、私はあれはやゆに相当する言論だと思います。
私が環境庁長官のとき、ひどい目に遭ったことがある、役人の言ったことをふんふんと聞いてやる、聞いて聞かないふりをする、つまり何でもかんでもめくら判を押してつんぼ桟敷にいることが名大臣だと椎名大臣が言ったとされる。一体何でここでめくら判とかつんぼ桟敷とかいう言葉を乱発しなければならぬかというふうに思うのですね。 しかもまた、こういうことを言っているのですね。
だから私は、あなた方が役人に向かって、おれは絶対めくら判つかぬぞと、別にそこで強いてそういう表現をしていただかなくて結構だけれども、おれをつんぼ桟敷に置くなよと、そういう表現されなくても結構だけれども、ただ、やはりいろいろな点でその制約を、政治家は一番焦点にさらされるから物を言いにくいことになっているけれども、同時に、やはり言語で仕事をしている人たちも非常に痛痒を感じているということを政治家全体が認識
つまり、何でもかんでもめくら判を押してやって、つんぼ桟敷にいてやることが名大臣だということを椎名さんが言ったというけれども、私は、椎名さんはとてもそんな大臣じゃなかったし、あの人は大官僚、大政治家でありましたが、だれかが何かいつの間にか、お役人の方がそういう大臣の方が都合がいいからそういう風聞を流布して、これはなりたての大臣、気をつけた方がいいですよ、あなた方。